2018年3月28日水曜日

【越境するサル】№.170「スペイン紀行(中)~アンダルシア~」(2018.3.27発行)


 マドリードをあとにして、南の地アンダルシアに向かう。コルドバ・セビリア・グラナダ…イスラーム王朝の面影が残る街々。その出会いの予感に、胸はときめく。
 
 
     「スペイン紀行(中)~アンダルシア~」

  スペイン3日目。朝7時半、ホテルを出発し、マドリード・アトーチャ駅へ。アトーチャ駅の熱帯植物園のような「待合室」で時間をつぶし、9時発セビリア行き高速鉄道AVEに乗り込む。いわば「新幹線」の旅である。


 ラマンチャの地から、アンダルシアへ。快適なシートと広がる車窓。どこまでも続くオリーブ畑…

 アンダルシアという地名から、想起される映画作品が2つある。1つは、ルイス・ブニュエル監督(スペイン)の『アンダルシアの犬』(1929)。シュールレアリスムの記念碑的作品である。学生時代、大学祭の企画で自主上映したことがあり、私にとっても現在につながる記念碑的な映画だ。2016年、東京・国立新美術館で開催された「ダリ展」の上映コーナー(ダリはこの映画の共同製作者)で再会したが、いつまでも新しさを失わない前衛的な映像だと、改めて感じた。
 もう1つは、ユーセフ・シャヒーン監督(エジプト)の『炎のアンダルシア』(1997、原題『運命』)。イスラーム王朝(ムワッヒド朝)支配のアンダルシア。当代一の知識人として尊敬を集める哲学者アヴェロエス(イブン・ルシュド)は、哲学や娯楽を禁ずるイスラム原理主義者の陰謀に巻き込まれて、焚書を命じられるが…原理主義への批判を軸にした社会派ドラマだが、一方で冒険活劇であり、ミュージカルの要素も持ったエンターテインメント作品である本作は、北方のキリスト教社会の野蛮さも描いており、進行しつつあるレコンキスタ(キリスト教徒による国土回復運動)への不安を感じさせる映画でもあった。そして、この映画の舞台となったのが、首都コルドバである…

 1050分、コルドバで下車。コルドバ生まれの現地ガイド・イザベルの流暢な日本語に導かれ、白い小径に花々が彩りを添えるユダヤ人街を通り、コルドバのシンボル・メスキータを目指す。

 メスキータは元々イスラームのモスクとして建てられ(8世紀、後ウマイヤ朝)、その後キリスト教のカテドラル(大聖堂)とされた。したがって、メスキータには2つの文化、2つの世界が融合している。ミナレット(尖塔)、イスラームの「円柱の森」、キリスト教のカテドラル、2つの世界が入り混じった不思議な空間に、ただただ圧倒される。

 メスキータを抜け、ローマ橋を歩き、その橋の要塞だったカラオーラの塔を間近に見て、コルドバの街をあとにする…

 パラドール(景勝地の国営ホテル)のレストランにて昼食(オックステール煮込み)。その後、2時間ほどバスに揺られ、アンダルシアの州都セビリアへ。
 セビリアのホテル到着後、夜はタブラオ(フラメンコショーを楽しむ劇場・店)にツアー客全員で出かけ、フラメンコショー。タパス(小皿料理)とサングリア、シェリー酒を楽しみながら、踊りとギターと歌すべてに酔いしれる…

 スペイン4日目。午前中は、セビリア市内観光。アルカサル(宮殿)・カテドラルとヒラルダの塔・スペイン広場…盛沢山のスケジュールに身が引き締まる。ホテルを出発してまもなく、貿易都市として栄えたセビリアを支えたグアダルキビル川に沿って立つ、黄金塔を左に見る。

 観光の中心となる旧市街地を歩く。雨が激しくなってきた。

 まず、壮麗なイスラーム風宮殿アルカサルを訪れる。イスラーム時代の城を、レコンキスタ後にキリスト教徒の王が改築したこの宮殿に、色濃く残るイスラーム文化。

 続いて、スペイン最大の規模を誇るカテドラル。モスクの跡地に建設された、とてつもなく巨大なこの大聖堂は、1519年に完成。さまざまな様式が混在する、豪華そのものの内部にため息をもらし、当時スペインを構成した4人の王に担がれたコロンブスの墓にあわててシャッターを切り、モスクのミナレットとキリスト教の鐘楼が融合した97mのヒラルダの塔の展望台から街を一望する。そろそろ疲労がたまってきた。

 1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場、スペイン広場で一息つく。そういえば、セビリアでは万国博覧会も開催された。1992年のことだ。この年、バルセロナではオリンピックが開かれた。1975年以降、つまりフランコ没後のスペインの劇的な変化の歴史を反芻する。

 昼食の後、グラナダへ向かう。3時間余のバスの旅だ。

 午後6時、グラナダ着                                                      

 スペイン5日目。この朝も、ホテルの朝食を楽しむ。生ハム・チーズ・エッグ・パン・ヨーグルト・エスプレッソのコーヒー…どのホテルも美味しかった。ランチやディナーより、朝食の方がずっといい。特に、グラナダのホテルのコーヒーが美味かった…

 テレビでは日本のニュース。東日本大震災七周年追悼式。この日は、311日だった…
 
 1236年、コルドバがキリスト教徒に奪回され、1248年にはセビリア陥落、その後1492年のグラナダ陥落まで、イスラーム勢力最後の砦としてグラナダは繁栄を続けた。その「終末の宴」ともいうべきアルハンブラ宮殿を、歩く。

 まずは、ヘネラリフェ庭園・夏の離宮を訪れる。

 そして、宮殿の心臓部・ナスル朝宮殿へと足を踏み入れた…

 イスラーム芸術の最高傑作を堪能した後は、2時間かけて「白い村」ミハスへ。そこで、ソパ・デ・アホ(ニンニクスープ)とシーフードフライの昼食。しばし、このリゾート地でくつろぐ…

 アンダルシアを駆け抜けた、濃密な3日間。この後、マラガから飛行機でバルセロナへ…
 

<後記>

 「スペイン紀行(上)」に続いて、「スペイン紀行(中)」を発信する。次号は「今年出会ったドキュメンタリー」。その後、「スペイン紀行(下)」を発信する予定。





(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。


2018年3月27日火曜日

【harappa Tsu-shin】「harappa school 2017-18」終了しました♪


今年度から新しくスタートした「harappa school」。
トップバッターとして2つの講義が開講していました。


「音楽の時間」講師:齋藤浩(ASYLUM主宰)

「映画の時間」講師:三上雅通(harappa映画館 館主、元なみおか映画祭ディレクター)

それぞれ月曜日の1830分から1時間半、大人の勉強タイムです♪



「音楽の時間」では、“アバウト・ポピュラー・ミュージック”と題して、
ブルーズやゴスペルの誕生から、白人ポップス、
カントリー&ウエスタンの登場などの流れをお勉強♪
最終講義では丸々ビートルズ特集♪
ただ、1時間半ではビートルズを語るにはまだまだ時間が足りないようで、、、
何だか続きがありそうな予感です♪



「映画の時間」では、 “ハンフリー・ボガードはどちらになびく?”、
“映画の中の歌は最高!”などのテーマをもとに、たくさんの映画をお勉強♪
最終講義では、映画の中のダンスシーンに注目し、
フレッド・アステアの華麗なダンスシーンについて語り合いました♪
こちらも、“映画”という奥が深すぎるテーマに、
まだまだたくさんの講義が続きそうです!


今回は、それぞれ全4講義で構成、最終日には受講者の皆さんに修了証書が渡されました!
昨年11月~3月までの長丁場を最後まで受講いただいた皆さん、
講師の斎藤浩さん、三上雅通さん、
本当にありがとうございました!!

harappa schoolは来年度もまた開講予定となっています!
詳しい情報は決まり次第、HPでお知らせいたしますので、
皆さん、ぜひご参加ください♪


(harappaスタッフ=太田)

2018年3月23日金曜日

【越境するサル】№.169「スペイン紀行(上)~マドリード、そしてトレド~」(2018.3.22発行)


今月、つまり20183月、妻とスペインを訪れた。添乗員付き12名のツアーだから、かなり気楽な旅のはずだったが、成田からマドリードまで14時間余りのフライトはさすがにきつかった…
 
 
「スペイン紀行(上)~マドリード、そしてトレド~」

  スペイン1日目。マドリードのホテルに到着したのが午後7時過ぎ。この日は夕食がないので、次の日の日程確認と荷物整理のあと、現地ガイドに紹介してもらったホテル向かいのバルへ早速繰り出した。市民と旅行者で賑わう店に入り、にわか勉強してきたスペイン語で何とか飲み物とタパスを注文する。白ワインとビール(セルベッサ)、イベリコ豚の生ハム(ハモン・イベリコ)とタコのガリシア風。最高の組み合わせを味わいつつ、スペインの旅は始まった…

 スペイン2日目。午前中はマドリード市内観光。一般入場前のプラド美術館特別見学からスタート。世界三大美術館の一つに数えられるプラドの諸作品を混雑なしで鑑賞できる、まさに「特別」な時間。ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤの3人を中心に、スペイン王家の豪華なコレクションの数々を堪能する。



 私にとってとりわけ重要だったのは、「プラドでゴヤを鑑賞する」ことだった。かつて堀田善衛の著作『ゴヤ』(全4巻、1974-1978新潮社、1992朝日文芸文庫)を読み(雑誌『朝日ジャーナル』連載中から気になっていた作品だったが)、しばらく「ゴヤ」に浸りきっていたことがある。今回、ガイドに導かれ『着衣のマハ』・『裸のマハ』・『180853日の虐殺』を経て『我が子を喰らうサトゥルノ』ほかの「黒い絵」シリーズの展示室までたどり着いた時、既視感のようなものを感じたのはこの読書体験による。

 館内撮影禁止のため、ひたすら自らの記憶に諸作品を焼き付けた1時間15分。土産にベラスケス、エル・グレコ、ゴヤそれぞれのお気に入り作品のマグネットを買い求める…



 プラドからほど近い、ソフィア王妃芸術センターへと急ぐ。ヨーロッパ現代美術のコレクションを展示するこの美術館の存在も、私たちにスペイン行きを決意させた大きな要因のひとつだ。ここには、ピカソの『ゲルニカ』が展示されているのだ(写真の『ゲルニカ』はマグネット



 真っ先に『ゲルニカ』に向かう。縦約3.5m、横約7.8m。巨大な絵だ。誰もが知っている絵だが、間近で見るとやはり圧倒的な存在感だ。、内戦中の1937年、スペイン共和国政府はパリ万博スペインパビリオンに展示する絵の制作をピカソに依頼する。そしてピカソは、フランコ将軍と結んだドイツ空軍による、バスク地方ゲルニカへの空爆に対する怒りをモチーフとした絵を完成させた。

 スペイン中から、いや世界中から集まってきた人々とともに、『ゲルニカ』の前に立つ。


 ソフィア王妃芸術センターでは、ダリとミロも見逃せない。日本で開催された展覧会でも何度かその作品と遭遇したが、この美術館で出会うのはまた格別だ。しかも撮影可の展示もあり、駆け足で鑑賞・撮影を繰り返す…



 この日、スペインは「女性の日」。各地で、女性の権利を求めるデモ行進が行われた。ここソフィア王妃芸術センター前からスタートするグループに私たちも遭遇したが、その全貌を知るのは、夜のテレビ報道によってであった…



 デモ隊が少しずつ街の各所に集まっている時、私たち観光客は王宮やスペイン広場で写真撮影。かつての繁栄の名残りと、スペインの現在が、同じ時刻に交錯する…



 ランチはパエリア。腹ごしらえを終えたら、午後はトレド探訪。マイクロバスで4時間半の、現地ガイド付きオプショナルツアー…



 「スペインに1日しかいないならトレドへ行け」。マドリードから70km、エル・グレコが後半生を送ったトレドの町を訪れずして、スペインを語ることはできない。三方をタホ川に囲まれ、キリスト教・ユダヤ教・イスラームの3つの文化が融合した「16世紀で歩みを止めた町」。その旧市街に足を踏み入れる。


 石畳の路地を抜け、まず訪れたのはサント・トメ教会。ここで、エル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』を鑑賞しなければならない。去年の秋、NHKEテレ「旅するスペイン語」の中で紹介され、どうしても出会いたいと思い続けていた絵だ。



 教会に入るとすぐ、その絵に遭遇した。ひっきりなしに訪れる観光客の間をぬって、私たちもその前に立つ。かつてこの町の伯爵の死に際して起こったひとつの奇跡を描いた、エル・グレコの最高傑作。ひたすら凝視する…

 そして、トレドと言えば、スペイン・カトリックの総本山であるカテドラル。1226年から建設がすすめられ、1493年に完成した、ゴシック様式の大聖堂。道に迷っても、このカテドラルの大尖塔を目指して歩いていけば、そこにたどり着く。



 大聖堂内部に入ると、薄闇に浮かび上がる色とりどりのステンドグラス。円柱によって構成された角柱に支えられた、いくつもの礼拝堂。最初から最後まで、その荘厳さに圧倒される。



 さらに、コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰った金が使われている宝物室の聖体顕示台、エル・グレコの『聖衣剥奪』…



 サント・トメ教会と、カテドラルと、銘菓マサパン、幾何学模様の工芸品、それに魅力的な石畳の路地。充実の午後だった、と言うべきだろう。マドリードのホテルに帰り着いたのは午後8時過ぎ、スペインでは普通の夕食開始時刻、だそうだ…
 

<後記>

  まず「スペイン紀行(上)~マドリード、そしてトレド~」を発信する。このあと、「スペイン紀行(中)~アンダルシア~」・「スペイン紀行(下)~バルセロナ~」を順次発信する予定だが、その前に「今年出会ったドキュメンタリー 20181-3月期」が入るはずだ。4月中旬まで、『越境するサル』のスケジュールは埋まっている。



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。