2013年7月23日火曜日

【映画時評】#40「3・11を風化させない〜『先祖になる』と『東京原発』を見て〜」


日本人は忘れやすい国民だと、よく言われる。太平洋戦争の際に中国大陸や朝鮮半島で起こったことに関する歴史認識の違いも、このことと無縁でないと思う。数世代前の出来事を、自分の世代のことのように記憶する民族との違いだと考えれば合点がいく。自戒を込めて書くのだが、テレビや新聞で2年4カ月前の東日本大震災に触れない日はないが、それ以上の時間がたったように感じたり、また今回の国政選挙の争点として埋没しているように思うのは、そういった特性故だろうか、それとも一種の平和ボケだろうか。

優れたドキュメンタリー映画監督(『延安の娘』『蟻の兵隊』)であり、「人間を撮る ドキュメンタリーがうまれる瞬間」(平凡社)を著した池谷薫は、『先祖になる』で陸前高田市で農林業に従事する、77歳の佐藤直志の2年間を撮った。2011年3月11日の大津波は消防団員だった息子の命を奪った。住んでいた家は津波に流されなかったものの損傷は激しい。一冬を廃屋で過ごした老人は、代々の先祖にならって、流されたらまた建てればいいと、高台への移転を勧める行政や仮設住宅に移った妻の反対を押し切って、これまで住んできた場所に家の再建を決める。

このドキュメンタリー映画では、老人の手によって切り倒される大木と家の解体シーンを並べたり、あるいは棟上げ式の後に、切り株に挿し木をして森林の再生を祈るシーンをつないだ、いかにも映画的なモンタージュが忘れ難いが、池谷は人間を描くことを忘れない。佐藤の家では、家の再建場所に関する妻との意見の相違にとどまらない。息子の死が、嫁と姑の感情的な軋轢や夫婦間の亀裂を生み出す。その一方で、地震と津波によって壊れかけた地域コミュニティーを再生しようとする、若者たちの姿も映画は描く。山車をぶつけ合う祭りの継続が、その象徴だ。祭りは人々を元気にする。

04年に公開された『東京原発』は、広瀬隆が書いた「東京に原発を!」(集英社)を思い出させたが、都庁に隣接する新宿中央公園に原子力発電所を誘致するという都知事(役所広司)の唐突な発言で始まる劇映画である。まるで舞台劇を見ているような、副知事(段田安則)と都の幹部職員(平田満、岸部一徳、吉田日出子ほか)を交えた会議でのやり取りは、原発が持つ功罪を明らかにする。

さまざまな名目の補助金や交付金は、雇用も含めた地域経済を活性化するはずだ。温排水は地域冷暖房に使えるだろう。半面、都心に誘致した原発で、チェルノブイリ級の事故が起こった時の放射能汚染の拡散予想図には慄然とする。また、放射性廃棄物の処理問題は数万年後の子孫にまで委ねられる(『100,000年後の安全』を思い出してほしい)。先見性に満ちていたこの映画だが、全電源喪失という事態が想定外なのは言うまでもない。

イオンシネマ弘前(旧ワーナー・マイカル・シネマズ弘前)が、無料上映作品の1本として、『先祖になる』を選んだことに拍手を送りたい。『東京原発』は「after 311脱原発弘前映画祭」で、『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督=『六ヶ所ラプソディー』)と合わせて上映されたが、この映画祭が継続されることを期待したい。3・11を風化させてはならない。

(harappa映画館支配人=品川信道)[2013年7月16日 陸奥新報掲載]

▼『東京原発』予告編


▼『先祖になる』予告編

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