酒井充子監督のドキュメンタリー映画『台湾萬歳』(2017)を観るため、青森市(シネマディクト、9/9~15)に出かけた。イベントで賑わう日曜の街を横目で眺め、いつもの映画館にいつものように向かう。待ちに待った酒井監督の新作。少し緊張している自分がいた…
「酒井充子監督『台湾萬歳』、台湾三部作最終章へ」
『台湾萬歳』の舞台は台湾南東部・台東縣成功鎮。多様な民族が暮らす人口約22万5千人の台東縣、成功鎮は原住民族と漢民族系の人々がほぼ半数ずつ暮らす人口約1万5千人の町だ。もともとアミ族が暮らしていた地域に、1932年(昭和7)年漁港が作られ、それ以降日本人や漢民族系の人々が移住してきた。いまも続く「カジキの突きん棒漁」は日本人移民が持ち込んだものだ。
映画の登場人物は5人(5組)。
元カジキ漁・漁師の張旺仔さんと妻の李典子さん。張さんは19歳でカジキ漁船に乗り、30歳から病気で引退する49歳まで「カジキの突きん棒漁」漁船の船長を務めた。現在は畑仕事を日課とし、午後には港で船から魚が降ろされる様子を眺める。日本人が名付け親だという妻の典子さんと共に、長男夫婦と暮らす。
「カジキの突きん棒漁」を営むオヤウさんと妻のオヤウ・アコさん。成功漁港からいまも夫婦でカジキ漁に出るアミ族の夫婦。アミ族はかつて漁港築港の際、労働力として駆り出された。夫婦で漁をするシーンは圧巻である。
中学校の歴史教師カトゥさん。シンガーソングライターでもある。ブヌン族の伝統的な狩りをいまも続ける。地元のお年寄りからの聞き取り調査も行っている。彼の歌とギターがこの作品の中でひとつのアクセントになっている。
ブヌン族のムラス・タキルダン(日本名:きよこ)さん。日本統治時代、ブヌン族はもともと住んでいた高地の村から強制的に移住させられたが、その移住経験者の数少ない証言者。カトゥさんに移住当時のことを話す。
ブヌン族のダフさん。カトゥさんと共に伝統的な狩りをいまも続ける。彼らが森に入るとき先祖に捧げる祈りのシーンは、この映画の核心のひとつである。また、ダフさんの狩人としてのたたずまいとその確かな技量は、見るものを圧倒する。
この5人(5組)の生活を淡々と描く『台湾萬歳』は、随所に歴史に翻弄された人々の悲哀や日本統治そのものへの冷静な視点などを交えながら、ひとつの「人間讃歌」に仕上がっている。いつのまにか私たち観客は、台東縣成功鎮を中心とする小宇宙の中に吸い込まれ、登場人物たちと共に呼吸し生活しているような気持になる。そして、エンドロールが流れ映画が終了したあとも、私たちは依然、その小宇宙の中にいる…
新聞社勤務(北海道新聞)を経て2000年から映画の制作や宣伝に携わっていた酒井監督の初監督作品は『台湾人生』(2009)。日本統治時代の台湾で青春期を送った「日本語世代」の5人の台湾人が語るそれぞれの半生。彼らへのインタビューで構成されたこの作品によって、私たちは歴史に翻弄された人々の人生と日本に対する複雑な想いを知ることとなった。
その後、日本最初の超高層ビル“霞が関ビル”をはじめとする数々の超高層ビル建設に関わった、台湾出身の建築家・郭茂林を取材した『空を拓く 建築家・郭茂林という男』(2012)を監督した彼女は、『台湾人生』第二部とも言うべき『台湾アイデンティティ』(2013)を世に送る。再び、「日本語世代」の老人たちを訪ね、敗戦で日本が去ったあとの彼らの苦難、二二八事件・白色テロの時代を生き抜いた老人たちの語りを記録する監督。寄り添うようなカメラワークと監督の姿が心に残る。
そして、韓国の国民的画家イ・ジュンソプとその日本人妻・方子の戦火に翻弄された人生を描いた『ふたつの祖国、ひとつの愛
イ・ジュンソプとその妻』(2014)を監督した後、いよいよ「台湾三部作最終章」へと向かう。
私もそのスタッフである映画自主上映組織「harappa映画館」は、過去3回酒井充子監督作品を上映した。2010年3月、記念すべき最初のドキュメンタリー特集「ドキュメンタリー最前線」で上映した『台湾人生』、2014年2月上映の『台湾アイデンティティ』、2015年2月上映の『ふたつの祖国、ひとつの愛 イ・ジュンソプとその妻』。『台湾人生』と『ふたつの祖国、ひとつの愛
イ・ジュンソプとその妻』の上映の際には酒井監督も弘前を訪れ、観客の前で熱っぽいトークを繰り広げた。「harappa映画館」と弘前の観客は、「台湾三部作最終章」を完成させた彼女が再び弘前を訪れることを待っている。
2014年2月の『台湾アイデンティティ』上映以後、私はそれまで以上に「台湾」に対して意識的であろうとしてきた。もちろん、酒井監督作品に触発されたことが大きい。2014年以降の「台湾体験」について、記録と記憶を綴ってみる。それは「酒井監督の新作を待ちながら」とでも名づけたくなるような日々だ。
2014年3月。思い立って、台北へ旅行した。ほぼ3日間、定番のコースをまわっただけだが、台北の街とホウ・シャオシェン監督の映画、『恋々風塵』や『非情城市』の撮影地付近の雰囲気だけは味わうことができた。ちょうど「立法院占拠事件」の真っ只中であったことも、今思えば感慨深い(※注1)。
2014年11月から、丸谷才一の長編小説『裏声で歌へ君が代』と、この作品をめぐるいくつかの論考に没頭する。垂水千恵の論考「丸谷才一の顔を避けてー『裏声で歌へ君が代』試論」(『新潮』2014年11月号)に導かれるように、日本を舞台とする幻の「台湾民主共和国準備政府」をめぐる小説である『裏声で歌へ君が代』を再読し、私自身の台湾への想いが過去にすでに形成されていたに気づいた。これも「台湾体験」だったのだ(※注2)。
さらに私は、『裏声で歌へ君が代』に何らかの影響を与えたはずの台湾生まれの直木賞作家・邱永漢の小説『客死』(そして『香港』)にたどり着く。
2015年12月、台湾出身の作家・東山彰良の直木賞受賞作『流』を読む。2016年4月、台湾で幼少期を過ごした作家・リービ英雄と東山彰良の対談「日本語小説の場所としての『台湾』」(『すばる』2016年4月号)を読む。2016年5月、リービ英雄の「故郷」台湾への旅を描く『模範郷』を読む…この間、エドワード・ヤン監督のいくつかの映画との遅すぎる出会いもあった。
そして2016年5月、ついに酒井監督の近況を伝える紀行文「台湾、記憶の島で」(与那原恵、『文學界』2016年6月号)に出会う。
「台湾、記憶の島で」は、台北で医院を営んでいた沖縄生まれの祖父とその娘(つまり筆者の母)のかつての住居を訪ねる記録だ。自らが台湾に引き寄せられる理由を静かに語る、その語り口が魅力的な紀行文なのだが、この旅は『台湾人生』公開以来の友人である酒井充子監督が次作(『台湾萬歳』)の撮影を続ける台東縣・成功鎮へ向かう陣中見舞いの旅でもあった…ようやく、「台湾三部作最終章」のイメージが見えてきた。
2016年12月、戦前の台湾で生まれ育った日本人・「湾生」たちの「故郷」台湾への想いを描いたホアン・ミンチェン(黄銘正)監督の『湾生回家』(2015)を鑑賞。酒井監督の新作を待ちわびる気持はますます強くなった。
こうして、2017年7月、東京「ポレポレ東中野」での『台湾萬歳』上映に至るわけだが、残念ながら私は駆けつけることができなかった。しかし、「青森シネマディクト」で上映されることを知り、この日ついに、私は映画館を訪れた…
さて、2018年度に弘前で『台湾萬歳』自主上映を実現するために、私はいくつかの企画を考え始めている。もちろん酒井充子監督には来ていただくことになるだろう。「台湾三部作」完成報告のトークは絶対に必要だ。それから同時上映はどうしようか…
先月(8/20)、BS朝日のニュース番組「いま世界で」に酒井監督が出演しているのを偶然見た。番組では「台湾と日本を見つめる2つの視点」ということで、「湾生」を撮ったホアン・ミンチェン監督の『湾生回家』と「日本語世代」を撮った酒井監督の『台湾萬歳』を紹介していた。この2本立ても魅力的だ。あともう1本、台湾と日本人に関する映画を加えるか。それとも、「台湾三部作」を一挙上映するか。悩ましい、けれども胸が高鳴るような日々が続く。
(※注1)
『越境するサル』№127「台北の想い出」
http://npoharappa.blogspot.jp/2014/05/no12720140501.html
(※注2)
『越境するサル』№135「丸谷才一『裏声で歌へ君が代』再読~「台湾体験」の記憶へ~」
http://npoharappa.blogspot.jp/2015/02/135.html
<後記>
この映画を観た、その勢いでとにかく発信する。映画のエンドロールから、まだ丸1日たっていない。
(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。
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