7月、ようやく<映画館という日常>に復帰した。もちろん以前と全く同じ姿に戻ったわけではないが、少なくとも私(たち)の眼前には前と同じ大きなスクリーンがあり、傍らには観客がいる。「コロナ第2波」におびえながらも、私(たち)は映画館に足を運ぶ。
「ドキュメンタリー時評」第7回は、「<映画館という日常>への復帰」と題して、7月に映画館で出会った2本の作品を紹介する。
「ドキュメンタリー時評 2020年8月 ~<映画館という日常>への復帰~」
2020年7月11日、八戸。降りしきる雨の中、十三日町「フォーラム八戸」にたどり着く。スーダンで生まれ、フランスで映画を学んだスハイブ・ガスメルバリ監督の『ようこそ、革命シネマへ』(2019)が、前日から上映されていた。
一度、この映画を見逃していた。昨年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭2019」の特集のひとつ「Double Shadows/二重の影2 映画と生の交差する場所」(※注)で上映されていたのだ(会場は山形市民会館小ホール他)。私はこの特集の15本のうち、2本だけを鑑賞した。
1950年代に北朝鮮を離れモスクワの映画学校で学ぶが、金日成体制を批判してソビエトに亡命した8人の映画人のその後を描いた『さらばわが愛、北朝鮮』(2017 キム・ソヨン監督)と、かつてタイのバンコクのマーケットに実在した、「アート系作品」を取りそろえた海賊ビデオ店をめぐる証言で構成された『あの店長』(2014 ナワポン・タムロンラタナリット監督)の2本である。実はこの2本との出会いは(そしてこの特集との出会いは)、私にとって映画祭最大の収穫であった。
だが、『木々について語ること~トーキング・アバウト・ツリーズ』という題名(原題)で上映された『ようこそ、革命シネマへ』は、前述のように見逃した。私は別のプログラムに参加していた。
2019年、ベルリン国際映画祭パノラマ部門ドキュメンタリー賞・観客賞受賞など世界各地で高い評価を受けたこの作品は、2020年6月、ユーロスペースを皮切りに劇場公開され、東北の地でも映画館で観ることができるようになった(なお、『さらばわが愛、北朝鮮』も6月末から全国で順次公開されている)。
『ようこそ、革命シネマへ』の登場人物は4人。イブラヒム、スレイマン、エルタイブ、マナル…1956年のスーダン独立後、1960~70年代にに海外で映画を学び映画作家・製作者になった彼らの作品は、海外でも高く評価されていた。しかし1989年の軍事独裁政権誕生後、彼らの表現の自由は奪われ、思想犯としての拘禁と国外亡命を余儀なくされた。長い年月を経て彼らはスーダンで再会するが、すでに国内の映画産業は崩壊し、映画館も姿を消していた。彼らは映画館を復活させるための行動を開始する。だが、彼らの前に、いくつもの壁が立ちはだかる…
映画への愛、失われたものを取り戻すための粘り強い闘い、どんな時もユーモアを忘れない心性、そして土地の人々との確かな絆。監督の言う「希望の哲学」を私たちは感じ取り、心を揺さぶられる。これは、とてつもない映画だ。
原題の『木々について語ること~トーキング・アバウト・ツリーズ』は、ドイツの劇作家・詩人ベルナルド・ブレヒトの詩「後世へ向けて」の中にある言葉である。「こんな時代に木々について語るなんて犯罪のようなものだ!それは恐怖や悪を前に沈黙するのと変わらない」(ブレヒト)…ガスメルバリ監督の強い「意志」を感じさせる題名である(この映画の完成直後、スーダンの独裁政権は打倒された。
▼『ようこそ、革命シネマへ』予告編
7月17日、再び「フォーラム八戸」を訪れた。『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020 大島新監督)の初日だった。
『なぜ君は総理大臣になれないのか』の主人公は、衆議院議員・小川淳也、49歳。当選5期を数える彼は、2019年2月の衆議院予算委員会で毎月勤労統計をめぐる不正を厳しく追及し、「統計王子」として注目を集めた。現在、立憲民主党代表特別補佐を務めているが、ここまでの彼の政治家人生は紆余曲折の連続であった…
高松市生まれ(選挙区も高松市だ)の彼は、東京大学を卒業し、1994年、自治省に入省する。官僚への道を選択したのだ。しかし、2003年、「官僚では社会を変えられない」と、反対する家族を説得して衆議院選挙に民主党公認で出馬、落選。2005年、「郵政選挙」で比例復活当選。2009年、初めて選挙区当選。民主党鳩山由紀夫政権で総務大臣政務官を務める。しかし、2012年・2014年・2017年の総選挙は比例復活当選。自身の所属もこの間の民主党系の混乱そのままに、民主党・民進党・希望の党と変遷、希望の党の解党後は国民民主党に合流せず無所属となり、現在は立・民・社・無所属フォーラムに所属…そう、政権交代から自民党政権復活以降の激動(野党の、と言うべきか)の真っ只中にいて、もがき続けていたのが、この小川淳也なのだ。
TVドキュメンタリーを数多く手がけてきた大島新監督は、2003年10月10日衆議院の日、民主党から初出馬した小川にカメラを向け、以来17年間彼を撮り続けてきた。その17年間の映像から私たちが目にするのは、地盤・看板・カバンを持たず、2005年初当選を果たすもその後もほとんど比例復活当選のため党内での発言力も弱く、なかなか出世しない彼の姿であり、それでも誠実に政治に向かおうとする彼の姿である。
映画のクライマックスである、民進党の希望の党への合流をめぐるドタバタ劇、そしてその当事者のひとりとして2017年の総選挙を闘い抜いた小川の「悲惨」な選挙戦。これは遠い昔の出来事ではない。私たち国民にとっても、いまにつながる「悲惨」な現実だった。
「なぜ君は総理大臣になれないのか」、家族も認める「政治家に向いていない」小川へのダメ出しのような、逆説のようなこのタイトルは、多くの評者が言うように、私たちに向けられている。私たちとは、主権者である国民、有権者のことだ……
▼『なぜ君は総理大臣になれないのか』予告編
8月の青森・岩手のドキュメンタリー映画上映情報は、特にない。再び、ネット配信中心の鑑賞となりそうだ。
(※注)
「山形国際ドキュメンタリー映画祭2019」の特集「Double Shadows/二重の影2 映画と生の交差する場所」のホームペーシのアドレスは次の通り。
<後記>
2本とも、八戸での鑑賞だった。県内で移動が出来るうちに映画館に行こう。そう考えて、間隔を置かずに八戸を訪れた。盛岡行きも考えたが、断念した……
次の「ドキュメンタリー時評」は、事情により10月発信となる。どのような作品と出会うか、まだ不明である。
(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的に配信されております。