2018年5月30日水曜日

【越境するサル】 №.173「ドキュメンタリーの歴史をたどる~harappa school 『映画の時間』への誘い~」(2018.5.20発行)


 昨年スタートした「harappa school」の第2弾、harappa school 2018」の講師を引き受けた。私が担当するのは「映画の時間」。
「ドキュメンタリーの歴史をたどる」と題して、4回シリーズで主に戦後のドキュメンタリー映画の歴史を概観しようという試みだ。
「コトリcafe」(百石町展示館内)でお茶を飲みながら、一緒にドキュメンタリーの歴史をたどる仲間を募る

 
   2018.5.20

   長いこと、ドキュメンタリーの歴史をコンパクトに学ぶ「勉強会」のようなものを企画したいと考えていた。
   学生時代に『不知火海』(1975  土本典昭監督)の自主上映活動に参加して以来、つねにジャンルとしての「ドキュメンタリー」を意識してきたし、何度か自主上映会を行ってきた。社会科教師を職業としていたから、テレビ・ドキュメンタリーを含めたドキュメンタリーを教材と して扱うのも日常的だった。
  harappa映画館」のスタッフとして活動するようになり、名作を鑑賞する「ドキュメンタリー勉強会」を企画し(20092010)、「harappa映画館」の新しい特集上映「ドキュメンタリー最前線」に積極的に関わってきた(2010~)。この『越境するサル』でも「今年出会ったドキュメンタリー」で、テレビ・ドキュメンタリーも含めた作品紹介を続けている(2009~)。そろそろ何かまとまったものを提出したい。そう思っていた時期に、この「harappa school」の話があった
  
   4回の構成は、次のように予定している。

   1回(2018/6/18)は、「亀井文夫、羽仁進から小川紳介、土本典昭まで」。
 亀井文夫の戦前・戦中・戦後の歩みから、羽仁進の登場、そして黒木和雄・小川紳介・土本典昭の活動の足跡を追う。紹介する作品は、この5人が監督した次の作品群になる。
 亀井文夫 『戦ふ兵隊』(1939)『日本の悲劇』(1946
      『流血の記録 砂川』(1956
 羽仁 進  『教室の子供たち』(1954)『法隆寺』(1958
 黒木和雄 『あるマラソンランナーの記録』(1964
 小川紳介 『三里塚の夏』(1968)『ニッポン国 古屋敷村』(1982
 土本典昭 『ドキュメント 路上』(1964
      『水俣 患者さんとその世界』(1971  

   2回(7/17)は、「小川・土本以降の秀作・問題作群」。
 原一男・佐藤真・森達也ら、1970-80年代以降に出現した監督たちを取り上げる。現在に至るまでの多彩な作品群が対象となるが、次の5人をその代表として紹介したい。
 原 一男 『ゆきゆきて神軍』(1987)『全身小説家』(1994
      『ニッポン国VS泉南石綿村』(2018
 佐藤 真 『阿賀に生きる』(1992
      『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(2005 
 森 達也 『A』(1998)『A2』(2001)『FAKE』(2016
 池谷 薫 『延安の娘』(2003)『蟻の兵隊』(2006)『先祖になる』(2013
 想田和弘 『選挙』(2007)『精神』(2008)『港町』(2018) 他 

   3回(9/18)は、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」。
 1989年に第1回が開催された「山形国際ドキュメンタリー映画祭」は、アジア初の国際ドキュメンタリー映画祭として際立った存在感を示しているが、そのスタートから現在に至るまでの歴史を振り返る。紹介する作品も、多彩なものになるはずだ。
  飯塚俊男 『映画の都』(1991  構成・編集 小川紳介)第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭を記録したドキュメンタリー
ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)受賞作品ワン・ビン『鉄西区』(2003)・『鳳鳴-中国の記憶』(2007)、リシャール・ブルイエット『包囲:デモクラシーとネオリベラリズムの罠』(2009
 小川紳介賞受賞作品加藤治代『チーズとうじ虫』(2005)、フォン・イェン『長江に生きる  秉愛の物語』(2007)、チャン・ジーウン『乱世備忘ー僕らの雨傘運動』(2017) 他

   4回(10/15)は、「harappa映画館『ドキュメンタリー最前線』ゆかりの監督たち」。harappa映画館では、2010年から「ドキュメンタリー最前線」と題してドキュメンタリー映画の特集を企画してきたが、その際ゲストとして弘前を訪れ自作について語ってくれた監督たちがいる。harappa映画館で上映された作品と近作を紹介する。
  松江哲明 『あんにょん由美香』(2009)『ライブテープ』(2009
      『トーキョードリフター』(2011
      『フラッシュバックメモリーズ  3D』(2012
 酒井充子 『台湾人生』(2009)『台湾アイデンティティ』(2013
      『台湾萬歳』(2017  
  ヤン ヨンヒ    『ディア・ピョンヤン』(2005)『愛しきソナ』(2011
      『スープとイデオロギー』(2019
   聖雄  『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』(2013
      『夢の間の世の中』(2016『獄友』(2018)他


   さて、第1回はどのような構成になるだろうか。
  
   一応「戦後ドキュメンタリー史」を概観することを目標としているが、戦前・戦中からの連続性に留意しなければ「戦後史」を描くことはできない。これは自明である。ここで最初に扱うべきは、やはり亀井文夫(1908-1987)であろう。

   1929年にソビエトに渡り、そこで見た映画に感動して映画の道に志した亀井は、レニングラード映画技術専門学校聴講生となる。1933年、写真化学研究所に入社し、1935年監督デビュー。1938年の『上海』・『北京』に続いて、1939年、軍部の後援で監督した『戦ふ兵隊』を作るが上映禁止となり、1941年、治安維持法違反容疑により検挙・投獄。
 戦後、1946年、戦中からのニュース映画映像を共同編集した『日本の悲劇』が、GHQの上映禁止を受ける。以後、劇映画での活躍、東宝争議、独立プロ「日本ドキュメントフィルム」創立…1950年代に至る亀井の足跡を駆け足で追いかける。

   続いて、195060年代の重要作として次の4作品を紹介する。羽仁進『教室の子供たち』(1954)、亀井文夫『流血の記録 砂川』(1956)、羽仁進『法隆寺』(1958)、土本典昭『ドキュメント 路上』(1964)。

   羽仁進の存在は特筆されるべきである。1949年、岩波映画製作所の設立に加わった羽仁は、1952年、監督デビュー。1955年に公開された『教室の子供たち』は、授業中の子どもたちの姿をいきいきと写し出し、教育映画祭最高賞受賞など高い評価を得た。彼の記録映画は娯楽映画と併映されることもあり、その人気をうかがわせる。1958年には法隆寺の姿を淡々と描く『法隆寺』を制作するが、1960年、ドキュメンタリーの手法を多用した劇映画『不良少年』を撮り、その後はドキュメンタリー・劇映画両方で活躍する。

   亀井文夫『流血の記録 砂川』の公開は1957年。日米行政協定によって先祖代々の土地を追われた砂川の人々の抵抗の記録であるこの作品は、戦後ドキュメンタリーの金字塔であり、その後のドキュメンタリーに決定的な影響を与えた。

   そして、いよいよ土本典昭が登場する。高度経済成長により都市整備が進む東京、タクシー運転手の日常を斬新なカメラワークで追う『ドキュメント 路上』は、芸術祭奨励賞などを受賞する。

   もう一人、黒木和雄を紹介しなければならない。大学卒業後、岩波映画製作所へ入社、1958年監督デビューした黒木は主にPR映画を監督し、その前衛的な表現から異色のドキュメンタリストとして注目される。また彼は、土本典昭・小川紳介ら岩波映画製作所周辺の若手映画人たちのリーダー的存在であった。フリーとなった後、東京オリンピックを目指す君原健二選手を追った『あるマラソンランナーの記録』(1964)を監督するが、製作会社首脳部と対立、以降彼は劇映画の世界を目指し、1966年の『とべない沈黙』から、1970年代の『竜馬暗殺』や『祭りの準備』、そしてその後の作品群により日本映画を代表する巨匠と評されるようになる。

   ここから、小川紳介と土本典昭、「2人の巨人」についての紹介となる。それぞれの作品を「同時代の記録」として体験してきた(リアルタイムとはいかなかったが)私にとっては、自分史の一部を語るものになるだろう。

   1960年、岩波映画製作所と助監督契約を結んだ小川紳介は、1961年、黒木和雄・東陽一・土本典昭らと映画研究グループ「青の会」を結成。1964年、岩波との契約を解消、1966年、監督第1作『青年の海 四人の通信教育生たち』を自主製作。1966年、小川プロダクションを設立。スタッフを率い、成田市三里塚の農民と生活を共にしながら、新東京国際空港の建設に反対する農民運動(いわゆる三里塚闘争)を記録した「三里塚シリーズ」ドキュメンタリー映画7作を発表する(19681977)。その後、スタッフと共に山形県上山市に移住し農業を営みながら、1982年『ニッポン国古屋敷村』、1986年『1000年刻みの日時計 牧野村物語』を発表。
   山形国際ドキュメンタリー映画祭の提唱者である。

   土本典昭は、1956年、岩波映画製作所入社、ドキュメンタリー制作に携わる。1957年フリーになり、1961年、映画研究グループ「青の会」の結成に参加、1963年、国鉄のPR映画『ある機関助士』で監督デビュー。1965年、テレビ番組の撮影で水俣病患者多発地区を訪れた体験をきっかけとして、その後本格的に水俣に入り、現地の人々と生活を共にしながら撮影を行い、1971年『水俣  患者さんとその世界』を発表した。その後も水俣病やそれに関する作品を制作し続け、17本の連作を主として青林舎に拠って制作した。
   前述した1975年の『不知火海』自主上映参加以来、私は何度か土本監督作品の上映等に関わってきた。私にとって、最も重要な意味を持つドキュメンタリー作家である。

   こうして、亀井文夫の足跡から「岩波映画製作所」と「青の会」をキーワードとする4人の監督の活動まで、90分という枠の中で映像を交えて語りたいと思う。
  
   なお、私の「映画の時間」と交互に開講される「音楽の時間」の講師は、弘前のミュージック・シーンの全てを見届けてきた齋藤浩氏(ASYLUM主宰)。前回の「harappa school」から引き続きの開講である。前回は、ビートルズまでのポップ・ミュージックの歴史だったが、今回はその続編である「ロックの系譜」。ビートルズから始まるロックの変遷を語る。私も生徒の一人となって参加しようと思う。


 日程等は次の通り。

映画の時間「ドキュメンタリーの歴史をたどる」 
2018/06/18(月)、07/17(火)、09/18(火)、10/15(月)
18:30
20:00

音楽の時間「ロックの系譜」
2018/06/04(月)、07/02(月)、09/03(月)、10/01(月)
18:30
20:00

募集人数:各講座15
会場:コトリ café (百石町展示館内)
参加費:各講座 2,000円(harappa会員 無料)+別途1ドリンク(各回)
    ※各講座初回は無料です


   詳細は、次をクリックせよ。



<後記>

 harappa school 2018」への参加を呼びかける通信である。最大15名の小さな講座だが、やはり多くの人と一緒に、熱気あふれる「教室」を作っていきたい。可能な限り、宣伝に力を注ぎたいと思う。
   次号は「珈琲放浪記」の予定。「珈琲放浪記」は、夏にかけてさらに2本ほど発信しようと計画を立てている



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。