2014年2月14日金曜日

【harappa Tsu-shin】「ゆきの灯り」

みなさん、こんにちは!
路面の雪は少ないですが寒い日が続きますね。。。
なかなか外に出かけるのも億劫になるこの季節ですが、
先週末は「ゆきの灯り」を開催していました♪

まず一つ目は、「菊池錦子の書ができるまで」
百石町展示館隣の店舗のガラス面を用いて、
菊池錦子さんの席上揮毫の様子を撮影した映像を投影しました。

投影は、真上からのショット、全体のショット、手元のショットと3面を使い、
まるでその場で席上揮毫を見ているような臨場感あふれる作品となりました。

そして今回、菊池錦子さんに書いていただいたのは「雪月花」です。
「雪月花」にはそれぞれ想いを込めて書かれたそうです。
「雪」・・・ふうわり、ふうわり つめたいけれどあったかい
「月」・・・内奥にみなぎる力、凛とひめやかに
「花」・・・ただただ最後の最後まで輝きを放ち続ける 気高く美しく
雪化粧をした弘前の夜にぴったりの作品となりました。

お次は、スライドショー「HIROSAKIポートレイト」です♪
下土手町交差点角のカワイ音楽教室の壁面をスクリーンに、
百石町商店街、土手町商店街のお店の方を撮影した写真を
スライドショーで投影しました!
大スクリーンで迫力満点です!
こちらのポートレイトは、秋の「gallery wagon」でもお世話になった
弘前大学の吉谷拓海さんが撮影してくれました。
どのお店の方もステキな表情でした!

菊池錦子さん、吉谷拓海さん、
撮影のご協力をしていただいた商店街のみなさん、
寒い中ご覧いただいたみなさん本当にありがとうございました!



(harappaスタッフ=太田)

【harappa Tsu-shin】フォトスクール「雪を、灯りを、きれいに魅せる」

「ゆきの灯り」では、フォトスクールワークショップも開催しました♪
講師は「写真館ハセガワ」の長谷川正之さんです。
今回のフォトスクールのテーマは、
「雪を、灯りを、きれいに魅せる」です!
なので、撮影は夜!外!みなさん完全防備です。

出発の前に、カメラの撮影モードを変更しています。


撮影場所は、雪燈籠まつり開催中だった弘前公園です♪
長谷川さんのレクチャーをもとにみなさん真剣モードです。

ろうそくの灯りをキレイに撮るのってなかなか難しいですよね。
参加者は、一眼レフ、デジカメ、スマホを手に、寒い中でも夢中です。

みなさんいろいろと角度を変えてみたりと、楽しそうでした。

もちろん、ライトアップされた弘前城も良い題材となったようです。

長谷川さんはこんな角度からも撮ってましたよ。

いろいろな“灯り”に合わせて、撮影方法も変わるんですね!

寒空の下、たっぷり2時間のフォトスクールワークショップとなりました。
講師の長谷川正之さん、ご参加いただいたみなさん、
寒い中、本当にありがとうございました!
今度は、桜が満開の弘前公園でフォトスクール開催したいですね♪



(harappaスタッフ=太田)


【harappa Tsu-shin】サイレント映画上映+生演奏「バスター・キートン傑作集」


「ゆきの灯り」最終日は、
かだれ横丁大ホールにて、
バスター・キートンのサイレント映画上映を行いました!

「ゆきの灯り」をイメージして、かだれ大ホールも、
キャンドルでちょっとおめかししてみました♪

バスター・キートンは、チャーリー・チャップリンやハロルド・ロイドと並び、
「世界の三大喜劇王」と呼ばれています。
サイレントムービーなのでもちろんセリフはありませんが、
無表情のまま繰り広げられる体を張ったアクションとギャグに、
ついつい笑ってしまいます。

今回は短編作品を5作品を上映したのですが、
うち3作品を生演奏つきで上映しました。
演奏していただいたのは山田里美さんです。
次々と展開するキートンの演出にあわせて、
とってもすてきな演奏をしていただきました♪

演奏していただいた山田里美さん、
ご来場いただいたみなさん、
本当にありがとうございました!



(harappaスタッフ=太田)



2014年2月7日金曜日

【映画時評】番外篇「2013青森映画回顧『ヴァニシング・ムービー』」



【日本映画】
○『戦争と一人の女』
○『かぞくのくに』
○『遺言 原発さえなければ』
○『ペコロスの母に会いに行く』
○『甘い鞭』

【ピンク映画】
○『となりの人妻 熟れた匂い』(後藤大輔)
○『いんらん千一夜 恍惚のよがり』(竹洞哲也)
○『女真剣師 色仕掛け乱れ打』(田中康文)
○『美熟女の昼下がり もっと、みだらに』(荒木太郎)
○『ホテトル嬢 悦楽とろけ乳』(池島ゆたか)

【外国映画】
○『テッド』
○『ジャンゴ 繋がれざる者』
○『ウォーム・ボディーズ』
○『42 世界を変えた男』
○『ゼロ・グラビティ』
※観賞順

2013年は宮崎駿が引退発表した年として記憶されるのだろうか。クリント・イーストウッドの新作も高倉健の新作もない寂しい年だった(高倉健は文化勲章を受章したが)。

13年も「見た映画の質は、見た映画の本数に支えられる」の信条のもと、スクリーンで260本、テレビやDVDで147本の映画を見た。3年連続で「映画一日一本」が現実となったが、「新作よりも旧作を見たときのほうの満足度が高いのは、評価が定まった映画や、かつて見たときに感動したような旧作を選んで見ている結果だろうか」と書いた昨年の思いは変わらない。

スクリーンで見た新作については、評価を5点満点の星取りでメモしているが、いざ三つのカテゴリーに分けて5本ずつを選ぼうとして題名を眺めても、映画の内容、印象、記憶が即座に甦らない。その理由や原因だが、ぼくの体力の衰えも勿論あるが、上映される映画の側にもあるのではないかと考えている。

アニメ(ジブリと「クレヨンしんちゃん」は別だ)、3D映画、吹き替え版の映画をぼくは基本的に見ないが、津軽地方では外国映画は吹き替え版のみの上映だったり、また字幕版と両方上映する場合でも、吹き替え版の方が上映時間で優遇されているようだ。
吹き替え版が増えてきたのはこの十年くらいのことと記憶するのだが、全国的に字幕を読むのが面倒だという観客が多くなっているらしい。彼らにとっては、テレビやDVDの吹き替え版の延長に映画館があるのだろう。映画は映画館で見るものというぼくのスタンスからは、主客が転倒しているように思えるのだが、それは古い考えなのだろうか。

また、俳優の声も映画の魅力のひとつだと考えるので、吹き替え版はみすみす映画の楽しみを放棄することだと思わざるを得ないが、ぼくとは反対に吹き替えの声優を楽しむ人もいるのだろう。でもぼくは、日本語をしゃべるジョージ・クルーニーなんか見たくない。

ここでは選ばなかったが、『人類資金』で20年間の映画制作に終止符を打ったK●HOの椎井友紀子プロデューサーと、1980年代頃までは、よく分からない映画を見たときには、友人と議論したり、名画座まで追いかけて見たり、映画雑誌や本を読んだりして、自分なりに理解しようとしたものだったが、人間関係などが最初から分かっているコミックなどの原作ものの映画が氾濫している現状はその裏返しであり、難解な映画を作ること自体が敬遠される傾向にあるという話をした。別のところでは、外国映画がまったく不振だとも聞いた。これらのことは根元でつながっている。言葉は悪いが、映画観客の精神的な低年齢化がもたらしたものだと思うのである。

入れ替え制という上映形態も、娯楽の先にある映画の楽しみを奪っている。少女に向かってナイフを振り上げようとした女医を押しとどめたのは誰だったのだろうか(『甘い鞭』)。入れ替え制でなければ、そのままもう一回見て、いろいろ確認したり、考えることもできたはずなのだ。

光量の少ない暗い画面でDVD上映を続けている「弘前テアトル劇場」(弘前市桶屋町)は、映画以外のことが目的の入場者も多いが、新東宝が11番組、エクセスフィルムが9番組、オーピー映画が6番組の合計26番組(78本)を上映した。新作27本の内訳は、新東宝が竹書房とタイアップ制作した3本、エクセスは09年公開の6本、オーピー映画は10年以降のピンク映画の新作の大半を担う状況を反映して18本(11年・12年公開作品)だった。いずれもオーピー作品から選んだ。

6年前、「映画芸術」誌に「ヴァニシング・ピンク」と題して、先細りのピンク映画の状況について連載したことがあるが、今ぼくは「ヴァニシング・ムービー」という漠然とした危機感を抱いている。映画そのものが無くなることはないだろうが、その質に関する危機感である。1年後には、この思いが杞憂だったとなることを祈りたい。

(harappa映画館支配人=品川信道)[北の街掲載]

【映画時評】#44「さまざまな形の暴力〜3本の単館アート系映画を見て」


所用で出掛けた都内で、『鉄くず拾いの物語』『ドラッグ・ウォー 毒戦』『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』を見た。これらの映画は、座席数の少ない映画館で上映されることが多い、いわゆる単館アート系映画である。


実話に基づいている『鉄くず拾いの物語』の舞台は、ボスニア・ヘルツェゴビナの田舎だ。自動車を解体したスクラップを売って細々と暮らしているナジフの一家に、次々と難題が降りかかる。

貧乏なロマの一家は保険証を持たない。手術代が払えないので、流産した妻の手術は拒否される(医師倫理の原点である「ヒポクラテスの誓い」に反した暴力的な行為だ)。薬を買うお金もなく、電気まで止められてしまう。

ナジフは義理の妹の保険証を借りて妻に手術を受けさせ、動かなくなった自分の車を解体して少しのお金を手に入れる。電灯がついた瞬間、小さな娘たちが喜ぶ姿はつかの間の幸福感をもたらすが、それは問題の先送りでしかない。

ダニス・タノヴィッチ監督は、この過酷な体験の当事者に再現させたが、彼ら、特にナジフの演技には驚ろかされる。映画は、持てる者と持たざる者が厳然と存在する世界の現実と、格差社会に内在する暴力性を声高に訴えることはしないが、観客はこれらのことから目をそむけてはならない。


ジョニー・トー監督の『ドラッグ・ウォー 毒戦』は、香港と中国本土を舞台にした麻薬捜査の物語である。

麻薬組織の捜査を担当するジャン警部(スン・ホンレイ)は、テンミン(ルイス・クー)を逮捕し、「本土では死刑になる。死にたくなければ、捜査に協力しろ」と脅して、おとり捜査に引き込む。怪しげな人物が入り乱れて、捜査は進んでいく。もちろん、テンミンが寝返る危険性は常にあり、ジャン警部とテンミンの駆け引きが面白い。

また、密売人に扮したジャンが相手を信用させるために大量の覚醒剤を摂取した後の処置など、ジャン警部が率いる捜査チームの手際の良いチームワークにも目を見張る。この映画の最大の美点は、物語の展開とそれぞれの場面のスピード感である。
そして、激しい銃撃戦の先には別の死が用意されている。法がもたらす死もまた、一種の暴力であることを意識させられるのである。

ジム・ジャームッシュが監督した『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』は、21世紀の吸血鬼物語だ。

ミュージシャンとして世を忍ぶアダム(トム・ヒドルストン)は、ギターのコレクターでもある。恋人のイヴ(ティルダ・スウィントン)が、大西洋を横断して夜の飛行機でやって来るのは、彼らが太陽の光、ニンニク、木の杭、十字架が苦手だからだ。経由地にロンドンを避けるのは、ドラキュラ伯爵の仇敵だったヴァン・ヘルシング教授の末裔が住んでいるからだろうか。

21世紀の吸血鬼は無用のトラブルを避けるため、人間を襲わない。病院から輸血用の血液を不正に購入している(O型Rhマイナスが上物らしい)。だが、汚染された血液が彼らの生存を脅かす。アダムとイヴは生き延びるため、健康な恋人たちの血を吸い、旧来の作法通り、死体ではなく吸血鬼に転生させることを決意する。

このオフビートな吸血鬼映画では、人間が吸血鬼に襲われる暴力よりも、吸血鬼さえもが血液による感染という暴力にさらされているという寓意を読み取るべきだろう。

(harappa映画館支配人=品川信道)[2014年1月21日 陸奥新報掲載]

2014年2月4日火曜日

【越境するサル】No.124「珈琲放浪記~函館 湯の川から宮前町、そしていつもの十字街へ~」(2014.02.03発行)

1月末から3日間、函館に滞在した。将棋部の全国新人大会の引率だが、日程に余裕があったので、気になっていた喫茶店を1日に1軒ずつ訪れることができた。時間つぶし程度の訪問で「珈琲放浪」と言えるほどのものではないが、貴重な出会いはあった。

「珈琲放浪記~函館 湯の川から宮前町、そしていつもの十字街へ~」

1日目、まず函館駅前どんぶり横丁「恵比寿食堂」で、生徒と一緒に「函館黒豚丼」を堪能する。函館男爵豚を使用した、わりと新しい名物だ。

その後、市電で宿泊地の湯の川温泉へ。受付までかなり時間があったので、途中、宮前町の「横山珈琲店」で時間を調整しようと五稜郭公園前で降車。しばらく歩いて店の前までたどり着いたが、何と定休日。木曜も定休日とは知らずショックを受けたが、逆に闘志もわいてくるのが「珈琲放浪」の不思議なところだ…

それでもこの日、湯の川で「隠れ家」のような喫茶店に出会うことができた。湯の川温泉発祥の地にある湯倉神社の裏に、ひっそりとたたずむ「銀の匙」。骨董や手作りの小物が店内にも玄関や庭にもあふれ、何やら落ち着く雰囲気だ。コーヒーを凍らせた氷がたっぷり入ったアイスコーヒー(もちろんコーヒーの量もたっぷりだ)で一息つき、チェックインにはまだ早いが、少し得をした気分でホテルに向かう。


2日目、朝食の後、宿泊している「花びしホテル」のラウンジで北海道限定「N43ブレンドコーヒー」を頼もうと思ったが、現在は扱っていないとのこと。これも昨日の「横山珈琲店」同様、かなり詳しく情報を調べていたのだが不発。インターネットの情報は必ず直接確認すべし、と頭ではわかっていたつもりだったが残念至極。しかし、気を取り直してエスプレッソを注文する。これが思いの外美味い。とりあえず満足して大会に突入。夕刻まで珈琲はお預け…

夕方近く、公式戦終了。湯の川からバスで「横山珈琲店」を目指す。五稜郭駅経由昭和営業所行き。万世橋を越えた所で下車。住宅街の中に、昨日確かめておいた三角屋根を発見。やっとたどり着いた。全体に暗いトーンの店内はかなり広い。10人ほどが座れる長いカウンター席に座り、「深煎り30グラム180cc」を注文する。ここでは、このように珈琲豆と水の分量を客が選ぶ。ちなみに、「深煎り」のもう一種類は「30グラム150cc」である。

一口飲んですぐ、ああ、これが私の求めていた苦さだ、と思った。すっきりとしていて、しかも深い味わい…自分のボキャブラリーの貧しさが何とも情けなくなるが、そのような表現しかできない。配合について質問する必要もなし、ただその店のブレンドに任せればいい…そんな店に時々出会うが「横山珈琲店」もそのひとつだと思った。もう一度来る。その時は「深煎り30グラム150cc」にチャレンジしよう。


3日目は、函館駅出発までの時間を利用して十字街へ。行き慣れた「函館市地域交流まちづくりセンター」(末広町)1階喫茶「Drip Drop」に立ち寄る。「フレンチブレンド」(深煎り)を注文し、おそらくこれから函館の珈琲の基準(むろん私の好みの基準だが)となるはずの味を確認する。相変わらずの喉ごし、期待通りだ。本当は、ちょうどこの日在庫がなかった「マンデリン」を飲みたかったのだが、めげずに次の機会に期待する…この楽天性が「珈琲放浪」の真骨頂。

函館編は、このあとも2年に1回ほど発信されるはずだ。その際、同じ店が再登場することもありそうである。今回の「Drip Drop」も2度目の登場である。

<後記>
珈琲を飲むために要する時間は30分。その30分間を、今回も持つことができた。
往復の車中で、大江健三郎『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』を読み終えた。『サル』に結実するのは、いつの日になるだろうか…

(harappaメンバーズ=成田清文)

※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。