2015年1月28日水曜日

【harappa Tsu-shin】「こどもアート万博」開催しました♪

 みなさん、こんにちは!!
先週末はヒロロ4階の交流館ホールで「こどもアート万博」が開催されましたよ♪

「こどもアート万博」は映画上映と4つのワークショップが楽しめる、
こどもたちのためのステキなイベントなのです♪

今回の上映作品は、NHK Eテレで放送している「ひつじのショーン」でもおなじみの
ニック・パーク監督の代表作「ウォレスとグルミット」!!
「ウォレスとグルミット」はこどもも大人も楽しめる作品です!
会場には笑い声が響いていました♪
たくさんの方に楽しんでもらえて良かったです♪

映画を観終わった後は、楽しいワークショップ♪

こちらは弘前大学の塚本先生による
アニメーションづくり「回転のぞき絵」です♪
どうやったら動きのあるおもしろい絵になるかみんな真剣でした!

こちらは建築家の蟻塚さんによる「こども建築ワークショップ」♪
実際に蟻塚さんが設計した建築模型の中から好きなものを選んで制作。
模型をつくった後は、周りに木や車を置いたりしていました♪

こちらは弘前大学教育学部美術教育講座彫刻研究室の学生さんによる
針金工作「ひとふでがきでいこう」♪
その名の通り、ひとふでがきで制作です!
ひつじやソフトクリーム、ジバニャンまで!!
ステキな作品が次々と出来上がっていました♪

こちらは弘前大学の学生さん馬場くんによる
木工作「木の丸棒で小物入れをつくろう」です♪
マスキングテープで好きに模様をつけたり、
丸棒を切ったり、、、ノコギリを初めて使うこどももとても上手にできていました♪


一人で2つのワークショップに参加してくれる子もいて、
とても賑やかなワークショップ会場となりました♪

少し制作時間が長くなってしまい、
こどもたちが飽きてしまうかな?とも心配しましたが、
こどもたちは最後まで真剣に、楽しそうに参加してくれました!!
今回のワークショップで作ったものをぜひお友達に自慢してほしいです♪




【harappaスタッフ=太田】


2015年1月6日火曜日

【越境するサル】№132 「今年出会ったドキュメンタリー 2014年10-12月期」(2014.12.28発行)

2014年10-12月期に出会ったドキュメンタリーについて報告する。
   今回も、数多くのテレビ・ドキュメンタリーと出会った。報告の仕方はまだ模索中だが、しばらくこの形で続けてみる。
   
 「今年出会ったドキュメンタリー 2014年10-12月期」
   2014年10月から12月までに観たドキュメンタリーを列挙する。映画の方はいつもの通りほとんどがDVDでの鑑賞。スクリーンで観たのは2本。( )内は製作年と監督名と鑑賞場所等、※はテレビ・ドキュメンタリー。
10月・・・『モナリザ』(2007 李纓) 
             『ビリー・ジョエル ドキュメンタリー ロシアに架ける橋』(WOWOW配給)            
             『ホームレス・ワールドカップ』(2008 スーザン・コッホ,ジェフ・ワーナー)
      『激増する不法入国の子供たち~揺れ動く米国移民政策の陰で~』
      (2014 ドキュメンタリーWAVE)※      
      『“3.11”を忘れない51 戦う牛飼い!」』(2014 テレメンタリー)※
             『記録映画『東京オリンピック』誕生の軌跡~市川崑と164人のキャメラマン~』
      (2014 ノンフィクションW)※
      『何を打つのか 雑居ビルのボクシングジム』(2014 ドキュメント72時間)※              
      『帰れぬ故郷(ふるさと)~70年、サハリンで引きずる戦後~』
      (2014 テレメンタリー)※                   
11月・・・『椿姫ができるまで』(2012 フィリップ・ベジア 再 harappa映画館スペシャル)
             『マンガで世界を変えようとした男 ラルフ・ステッドマン』(2012 チャーリー・ポール)
             『チェルノブイリ 28年目の子どもたち』(2014 OurPlanetTV 「脱原発弘前映画祭」)
             『福島 生きものの記録 シリーズ2~異変~』(2014 岩崎雅典 「脱原発弘前映画祭」)
       
      『フェンス~分断された島・沖縄~』(2013 BS-TBS)※
      『放射線を浴びたX年後3 棄てられた被ばく者』(2014 NNNドキュメント)※
      『水爆実験 60年目の真実~ヒロシマが迫る"埋もれた被ばく"~』
      (2014 NHKスペシャル)※
      『シェークスピアの正体』(2014 BS世界のドキュメンタリー)※
             『香港 学生かく闘えり』(2014 BS世界のドキュメンタリー)※
     『2014 ガザからの報告~イスラエル・パレスチナ紛争~』(2014 ETV特集)※
             『ソビエト連邦 最後の日々』(2014 BS世界のドキュメンタリー)※
      『中国の危険な食品 1・2』(2014 ドキュメンタリーWAVE)※             
      『幸せな日々は過ぎ行く~グリーンランドとツバルの村で~』
      (2014 BS世界のドキュメンタリー)※
                   
 12月・・・『南の島の大統領-沈みゆくモルディブ-』(2011 ジョン・シェンク
      『イエローケーキ クリーンなエネルギーという嘘』(2010 ヨアヒム・チルナー
             『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』(1999 エイアル・シヴァン 再)                   
             『宝子たち、薄暮のころ~水俣病胎児性患者と母~』(2014 テレメンタリー)※
             『激動 香港 岐路に立つ金融界』(2014 ドキュメンタリーWAVE)※
      『世界の果ての村で~グリーンランド~』(2014 BS世界のドキュメンタリー)※
             『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス 50年の挑戦』
     (2014 マーティン・スコセッシ、デヴィッド・テデスキ WOWOW国際共同制作プロジェクト)※
             『メルトダウン File.5 知られざる大量放出』(2014 NHKスペシャル)※
             『シカとスズ 勝者なき原発の町』(2014 NNNドキュメント)※
             『若者たちの“反乱”~香港デモ・自由をかけた75日間~』(2014 NHK)※ 
             『裂かれる海~辺野古 動き出した基地建設~』(2014 テレメンタリー)※
             『38万人の甲状腺検査~被ばくの不安とどう向き合うか~』(2014 NHKスペシャル
             『1984~不朽のSF小説から生まれる過去・現在・未来~』
      (2014 WOWOW国際共同制作プロジェクト)※ 
            
   毎回、「収穫」を選んでいるが、2014年10-12月期の印象に残った作品について数本紹介する。
 まず、映画から。

   『モナリザ(2007 李纓)。政治問題化したドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』(2007、公開は2008) の李纓監督の作品。中国南方の農村、石材店(その店の名が「モナリザ」だ)の踊り子アーチョンの家庭は崩壊しそうだ。姉のシュウシュウが小さい頃「誘拐」 されてきたことが判明し、両親は刑務所に収監され、家族は犯罪者一家扱いされ…そんな中、脳腫瘍に冒され死期の迫った祖母が、娘つまり刑務所にいるアー チョンの母に会いたいと懇願する。アーチョンとシュウシュウは祖母の願いを実現するため奔走し、ついに母は公安の監視つきで一時帰郷する。その列車の中で シュウシュウは詰問する。私はさらわれたのか、拾われたのか…そして、私たちも自問自答する。この映画はドキュメンタリーなのか、フェイクなのか…
▼「モナリザ」予告編



   『ビリー・ジョエル ドキュメンタリー ロシアに架ける橋』(WOWOW配給)。1987年、ビリー・ジョエルはアメリカのロックアーティストとして初めてソ連で単独公演を行なった。グルジアか らモスクワ、そしてレニングラード、ビリーと家族とスタッフはソ連の人々の予想を超える歓迎を受けながら公演と交流を続ける。貴重な映像と両国の関係者の 証言でつづる「冷戦の終わりの始まり」とも言える時代の記録。

   『椿姫ができるまで』(2012 フィリップ・ベジア 再harappa映画館スペシャル)。以前すでに紹介した作品だが、「harappa映画館スペシャル」という形で自主上映を行ったので報告する(http://harappa-h.org/contents/20141107harappamovie.php)。 家庭での鑑賞と違って、スクリーンでの映像と圧倒的な音響、まさに至福の時間であった。なお、№128では次のように紹介した。「2011年、エクサン・ プロヴァンス音楽祭で上演されたヴェルディのオペラ「椿姫」。オペラ歌手ナタリー・デセイ、演出家ジャン=フランソワ・シヴァディエ、指揮者ルイ・ラング レ…天才プロフェッショナルたちが、稽古場で顔を付き合わせて舞台「椿姫」を作り上げていく過程を描く。それぞれのプライドをかけた稽古場でのぶつかり合 いの末、舞台は完成に近づく…」
▼「椿姫ができるまで」予告編



   『マンガで世界を変えようとした男 ラルフ・ステッドマン』(2012 チャーリー・ポール)。1960年代後半、イギリスからアメリカに渡った風刺マンガ家ラルフ・ ステッドマン。社会への怒りを爆発させた彼の作品はザ・ニューヨーカーやローリング・ストーン誌などに掲載され評判となり、やがて生涯の友となる破天荒な 「ゴンゾー(ならず者)・ジャーナリスト」ハンター・S・トンプソンと出会う。このふたりの共同作業(もちろんラルフがイラスト担当)で出来上がったのが ロード・ノンフィクション『ラスベガスをやっつけろ』(1998年テリー・ギリアム監督により映画化)である。映画『ラスベガスをやっつけろ』主演俳優 ジョニー・デップのインタビューとナレーション、アニメーション化されたラルフ作品、スラッシュの楽曲等々、過去の映像以外にも魅力満載。
▼ 「マンガで世界を変えようとした男 ラルフ・ステッドマン」予告編


 『福島 生きものの記録 シリーズ2~異変~』(2014 岩崎雅典 「脱原発弘前映画祭」)。福島第一原子力発電所の事故で広がった放射性物質が生態系にどんな影響をもたらすかを追跡・記録する『福島 生きものの記録』。シリーズ2は警戒区域内に取り残された被ばく牛の保護や飼育を行う「希望の牧場・ふくしま」で体表に白い斑点の表れた牛たちの検査とその結果報告、ツバメやニホンザル、ヤマトシジミの変化などを追跡する。「AFTER 311 第3回脱原発弘前映画祭」は、11月24・30日、弘前文化センターで開催されたが、映画はこのほかに『チェルノブイリ 28年目の子どもたち』(2014 OurPlanetTV)・『A2-B-C』(2013 イアン・トーマス・アッシュ)・『イエローケーキ』(2010 ヨアヒム・チルナ-)、合わせて4本。『A2-B-C』は「山形」で観ており、『イエローケーキ』はレンタル予定。2本鑑賞し、「浪江町長 馬場有氏 講演」に参加。
▼「福島 生きものの記録 シリーズ2~異変~」予告編

  
 『南の島の大統領-沈みゆくモルディブ-』(2011 ジョン・シェンク)。 インド洋に浮かぶ1200の島々から成るモルディブ共和国。30年に及ぶ独裁政権に終止符を打ち、民主化を成し遂げた第3代大統領モハメド・ナシード (2008~2012在任)の大統領1年目の活躍を描いた作品。平均海抜1.5m、このまま温暖化が進めば国土が水没してしまう可能性が指摘されるモル ディブのリーダーであるナシードは、2009年コペンハーゲンで開催された気候変動枠組条約締結国会議(COP15)に乗り込み、先進国と途上国それぞれ に対して精力的に働きかけ危機を訴える…深い問題意識と痛快なテンポ、間違いなく傑作である。
▼「南の島の大統領-沈みゆくモルディブ-」予告編

   
 『イエローケーキ クリーンなエネルギーという嘘』(2010 ヨアヒム・チルナー)。 ウラン採掘が人間と自然にもたらす危険、その実態をオーストラリア・カナダ・アフリカのナミビア・旧東ドイツ等世界各地の採掘所を5年間にわたって取材し て作り上げた作品。「3.11」以前に作られたこの作品は、国家と企業によって隠され続けてきた真実を告発する。衝撃的であり、かつ説得力に満ちた映像で ある。
▼「イエローケーキ クリーンなエネルギーという嘘」



テレビ・ドキュメンタリーからも数本。

 『記録映画『東京オリンピック』誕生の軌跡~市川崑と164人のキャメラマン~』(2014 ノンフィクションW)。1965年に公開された『東京オリンピック』。劇映画の市川崑監督による第18回東京オリンピック(1964)公式記録映画である この作品は、競技の順位や記録をほとんど提示しない「問題作」として「記録か、芸術か」論争を巻き起こした。164人のキャメラマンたちによって撮影され た「奇跡」の映像の誕生の秘密を、当時の関係者の証言によって明らかにする…なおWOWOWのドキュメンタリー番組「ノンフィクションW」は、この10月 から土曜日午後1時放送となったが、魅力的なラインナップが続く。

 『フェンス~分断された島・沖縄~(2013 BS-TBS)。ドキュメンタ リースペシャルとして2013年12月15日(日)にBS-TBSに放送されたものの再放送。第40回放送文化基金賞「テレビドキュメンタリー優秀賞」受 賞、平成26年度文化庁芸術祭参加作品。特派記者・松原耕二が、沖縄米軍基地フェンスの「外側」と「内側」の声それぞれを取材した意欲作。フェンスの外側 の沖縄の人々のさまざまな思いと、フェンスの内側のアメリカ兵の意識、両者の壁に迫ろうとする取材の結果、お互いが相手をよく知らないという現実が見えてくる…フェンスの内側の生活・兵士たちへの教育などの映像は私たちにとって未知のものであり、考えさせられるところが多い作品だった。最初と最後に登場する摩文仁の丘「平和の礎」の存在が、未来の姿を暗示しているように思えるのだが。

  『放射線を浴びたX年後3 棄てられた被ばく者』(2014 NNNドキュメント)。今年8月放送の『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』 (『越境するサル』№131で紹介)の続篇。60年前に行われたアメリカの水爆実験による被ばくを裏付ける文書を、政府は今年9月開示した。長年にわたり 被害実態を調査してきた高知県の元高校教師らは、その文書の内容と量に疑問を感じて、再開示を求める行動を開始する。南海放送の、10年にわたる持続的な 検証に敬意を表したい。なお、文化庁芸術祭参加作品として今回再放送された『水爆実験 60年目の真実~ヒロシマが迫る"埋もれた被ばく"~』(初回放送2014年8月6日 NHKスペシャル)も、第5福竜丸以外の漁船員たちの大量被ばくという同じテーマを扱った作品。  

 『宝子たち、薄暮のころ~水俣病胎児性患者と母~』(2014 テレメンタリー)。 およそ60年前、、「へその緒」を通して母親の水銀を吸収して水俣病 になった胎児性水俣病患者たち。彼らの介護はこれまで主に母親が担ってきたが、母親たちももう80代になった。患者たちは、母親の元を離れ、家を出てケア ホームに入ることを決意する。ナレーションは石川さゆり。

 『激動 香港 岐路に立つ金融界』(2014 ドキュメンタリーWAVE)。 金融街の占拠へと発展した香港の史上最大規模のデモ。「普通選挙」をめぐり、金融エリートたちの中にも民主派と親中派の対 立は存在する。一国家二制度の恩恵によって発展してきた香港経済界はどうなっていくのか?中国との関係は?さまざまな立場の人々の動向を取材した好企画で ある。なお、11月に放送された
『香港 学生かく闘えり』(2014 BS世界のドキュメンタリー 2013年制作)は、2012年、中国への愛国教育を義務化しようとした香港政府の政策に抗議しそれを撤回させた学生たちの行動の一部始終を記録したもの。この行動も今年の動きとつながっている。
  
 『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス 50年の挑戦』(2014 マーティン・スコセッシ、デヴィッド・テデスキ WOWOW国際共同制作プロジェクト)。WOWOWオリジナルドキュメンタリー国際共同制作プロジェクト(日本・アメリカ・イギリス)の記念すべき初放送 作品。1963年に創刊された文芸誌「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」、その扱う題材は科学やアート、文芸や人権、政治、戦争など多岐にわた る。編集者ロバート・シルヴァーズと寄稿者たちの信頼関係によって首尾一貫した姿勢を貫き通すこの雑誌の、50年間の歴史を寄稿者たちへのインタビューと 当時の映像でつづる。スーザン・ソンタグ、ノーム・チョムスキー、ノーマン・メイラー、ジェームズ・ボールドウィン、ヴァーツラフ・ハヴェル…彼らの肉声 とさまざまな事件。監督は、自らも購読者であるマーティン・スコセッシ(共同監督)。
  
 『シカとスズ 勝者なき原発の町(2014 NNNドキュメント)。石川県能登半島、志賀町(しかまち)と珠洲市(すずし)。志賀町は原発誘致により巨額の交付金を得てきたが、現在運転 停止中。珠洲市は建設計画をめぐって長年住民が対立してきたが、結局電力会社の判断により建設は中止。どちらの自治体も、賛成派と反対派の間の溝は埋めら れていない。立地計画のスタート時から現在までの映像と当事者たちへのインタビューによって、原発に翻弄され続けてきた住民たちの苦悩を検証する。
  
 『1984~不朽のSF小説から生まれる過去・現在・未来~』(2014 WOWOW国際共同制作プロジェクト)。オー ストラリアとの国際共同制作プロジェクト作品。ジョージ・オーウェルが1948年に執筆したアンチ・ユートピアSF小説『1984年』は、いまだに映画・ 音楽・文学・アートなどに大きな影響を与え続けている。全体主義国家による監視統制社会を描いたこの小説の舞台となった1984年から30年、オーウェル が描ききれなかった現代の監視社会の現状と未来について、世界のトップクリエーターやジャーナリストたちにインタビューを試みる。インタビュアーは、映画 『1984』(1984)で原作の忠実な再現を試みたマイケル・ラドフォード監督。


<後記>
 次号は、「2014年、その後の『サル』」。すぐ発信する。
 何とか、年4回発信することができた。このペースなら持続できそうだ。



(harappaメンバーズ=成田清文)

※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。

【越境するサル】№133 「2014年、その後の『サル』」(2014.12.29発行)

2014年は、№123「藤岡利充、酒井充子、そしてヤン ヨンヒ~上映会への誘い~」から№132「今年出会ったドキュメンタリー 2014年10-12月期」まで10 本、ほぼ例年並みの発信となった。だが、このうち4本は「今年出会ったドキュメンタリー」。ほかは低調だったと言わざるを得ない…今年も「その後の『サル』」と題して、2014年に扱ったテーマのその後の展開を記す。

 
    「2014年、その後の『サル』」

№123「藤岡利充、酒井充子、そしてヤン ヨンヒ~上映会への誘い~」
    「harappa映画館」第17回(2/22)は、「ドキュメンタリー最前線2014」(『映画「立候補」』(2013 藤岡利充)・『台湾アイデンティティ』(2013 酒井充子・『ディア・ピョンヤン』(2005 ヤン ヨンヒ))、「harappa映画館」第18回(3/15)は、「ヤン ヨンヒ監督特集」(『愛しきソナ』(2009 ヤン ヨンヒ)・『かぞくのくに』(2012 ヤン ヨンヒ)とヤン ヨンヒ監督のトーク)。監督トークの進行を受け持ったこともあり、ヤン ヨンヒ監督の世界に「はまってしまった」自分がいた。彼女の作品をすべて上映することができた満足感もあり、このマイブームは5月にWOWOWで彼女のテレビ・ドキュメンタリー「綾戸智恵 その歌声が変わった日~父と母の痛みを抱いて~」(ノンフィクションW)が放送されるまで続いた。さて次は、彼女の新しい長編が観たい。   その後、 「harappa映画館」の企画はずっとなかったが、11月、harappa映画館special「イタリア・オペラにようこそ~映画とライブ、至福の一夜~」(http://harappa-h.org/contents/20141107harappamovie.php)を実施、好評を博した。   そして、2015年3月、再びドキュメンタリーの上映を企画している。『フタバから遠く離れて 第二部』(2014 舩橋淳)・『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013 リティ・パニュ)・『ある精肉店のはなし』(2013 纐纈あや)・『ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~』(2014 酒井充子)の4本の予定だが、詳細はもう少し待ってほしい。

№124「珈琲放浪記~函館 湯の川から宮前町、そしていつもの十字街へ~」
№129「珈琲放浪記~アイスコーヒー 2014年夏~」
   古川界隈の「カフェ・ジ・ターヌ」でマンデリン・ブルーバタックを飲んでから、いくつかの街でいくつかの出会いがあった。たとえば札幌、たとえば小樽、たとえば八戸、たとえば弘前の初めて入る珈琲豆屋。その中で印 象に残っているのは、やはりマンデリンである。と言うより、私はどこの喫茶店に行っても、まずマンデリンを探し、初めて訪れる街の喫茶店をガイドブックや インターネットで調べる際も、メニューにマンデリンがあるかどうかを確かめる。要するに、私の珈琲放浪の目的はマンデリンと出会うことなのだ。それも深煎 りの。
   次の「珈琲放浪記」のテーマ、と言うか副題は「マンデリンへの道」…少し時間がかかるかもしれないが、マンデリンについてじっくりと取り組んでみたい。
   次の「珈琲放浪記」のテーマ、と言うか副題は「マンデリンへの道」…少し時間がかかるかもしれないが、マンデリンについてじっくりと取り組んでみたい。


№125「映画『ハンナ・アーレント』をめぐって」
 映画『ハンナ・アーレント』が大きなセンセーションを巻き起こしたことにより、アイヒマン裁判を描いたドキュメンタリー『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』(1999 エイアル・シヴァン監督)が再び脚光を浴びることになった。2014年1月、東京渋谷・ユーロスペースで緊急限定リバイバル上映、8月にはDVDのレンタ ルも開始された。私もひさびさに良い画質で鑑賞することができたが、アイヒマン裁判を議論するための条件は整いつつある。   アーレントの哲学そのものも、すでに哲学史の重要な1ページとなりつつある。私の仕事(とりわけ受験指導の分野)の中でも重要な位置を占めることになる。ますます彼女の著書の精読が必要であるが、私の関心は「アイヒマン裁判とアーレント」から動きそうもない…

№126「今年出会ったドキュメンタリー 2014年1-3月期」
№128「今年出会ったドキュメンタリー 2014年4-6月期」
№131「今年出会ったドキュメンタリー 2014年7-9月期」
№132「今年出会ったドキュメンタリー 2014年10-12月期」
   初めて年4回の発信を試みた。おかげで、多くのテレビドキュメンタリーを紹介することが出来たし、私自身もほぼ毎日ドキュメンタリーに向き合う緊張感を保ち続けている。録画して鑑賞した番組はこの2~3倍に上る。   さて、この中で「年間ベスト」を選ぶとなると、映画では次の3本の印象が圧倒的だ。『アクト・オブ・キリング』(2012 ジョシュア・オッペンハイマー)、『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013 リティ・パニュ)、 そして『ある精肉店のはなし』(2013 纐纈あや)。3本とも「青森シネマディクト」の大きなスクリーンで観た。つまり、かなり期待して映画館まで行っ たということだが、どれも期待通りだった。『アクト・オブ・キリング』と『ある精肉店のはなし』は昨年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で見逃した作 品。映画館で普通に観ることができたこと自体にも意味がある。   この3本以外では、『メキシカン・スーツケース <ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』(2011 トリーシャ・ジフ)、『キューティー&ボクサー』(2013 ザッカリー・ハインザーリング)、『三姉妹~雲南の子』(2012 ワン・ビン)、それと「脱原発弘前映画祭」でシリーズ1と2を観ることができた『福島 生きものの記録』(2013・2014 岩崎雅典)が特筆もの。   テレビ・ドキュメンタリーでは、『綾戸智恵 その歌声が変わった日~父と母の痛みを抱いて~』(2014 ノンフィクションW ヤン ヨンヒ)と『38歳 自立とは?』(2014 極私的ドキュメント にっぽんリアル)、それと『再起の一滴~陸前高田・老舗醤油店1000日の記録~』(2014 テレメンタリー)の3本。どれも個人的に思い入れのあるものばかりだが、その思い入れを除いても質の高い作品だと言える。   あと、『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』(2014 NNNドキュメント)と『放射線を浴びたX年後3 棄てられた被ばく者』(2014 NNNドキュメント)の2本は、長い年月をかけた取材そのものに敬意を表する。今年は特に、民放の地方局制作のテレビ・ドキュメンタリーを積極的に紹介しようと努めたが、来年もこの姿勢は維持したい。   来年2015年は「山形国際ドキュメンタリー映画祭」が開催される年だが、私は仕事の都合で行けそうもない。その欠落を埋めるために、他の映画祭や劇場で 上映される作品をまめにチェックし、積極的に出かけていきたい。また、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の過去の受賞作や話題作を入手し、鑑賞すること ができれば、と思う。


№127「旅のスケッチ~台北の想い出」
   旅から帰った後、しばらく余韻に浸ったままの日々を過ごした。それでも何かにせかされるように必死に記録をまとめ、この「旅のスケッチ」を発信、さらに、かなりの分量の写真をharappa事務局に送り、体裁を整えブログのコーナーに掲載してもらった(http://npoharappa.blogspot.jp/2014/05/no12720140501.html)。こうして多くの人たちにこの文章を読んでもらい、自分も写真入りの方をプリントアウトして台湾について語る際の資料に利用したりした。いろいろな意味で思い出深い号となったのである。   ブログにアップした8日後の5月10日、NHKBS「ドキュメンタリーWAVE」で『議会占拠24日間の記録~中台急接近に揺れる台湾~』が放送された。 台北滞在中に進行していた、学生たちによる立法院(国会)占拠行動の詳細なレポートである(№128「今年出会ったドキュメンタリー 2014年4-6月期」でも紹介)。その後、このドキュメンタリーは高橋源一郎によって朝日新聞で紹介され、多くの人に事件の詳細が知られるようになっ た。現場のすぐ近くにいて、現地のメディアの報道を連日必死に追いかけていた私にとって、その後を見守るべきテーマとなった。  その後もずっと台湾のことを考えていたが、10月、長い間心のどこかで気になっていた小説『裏声で歌へ君が代』(丸谷才一 1982)の再読に入った。「幻の台湾民主共和国」をめぐる物語であるこの小説の記憶が、私の台湾行きのひとつの要因だったことは間違いない。けれど、ずっとそのことを忘れていた…   そして11月、台湾統一地方選。国民党の「歴史的敗北」。もう一度、台湾について考えるべき時が来たようだ。    

№130「『越境するサル』的生活 2014 ~青森市古川界隈を彷徨う~」
   12月、仕事で青森市に滞在した際、再び古川界隈を訪れた。「ニコニコ通り」の初めて入る蕎麦屋、夜遅くまでやっている青森市民図書館、そしてふらり立ち 寄った居酒屋「侍」の「帆立みそ焼き」と「馬刺し」。帰りに珈琲豆を買いに訪れた「カフェ・ジ・ターヌ」(改装された店内は、かなりいい雰囲気!)で飲ん だマンデリン…限られた時間の中で、必要最小限の美味しいところだけをいただいた、という感じか。たぶん、青森市に来るたびに、私はこの界隈を彷徨うの だ。   なお、№130に「『文學界』を4冊ほど手に取って長椅子に腰掛けた。たしか、台湾の映画人呉念眞について四方田犬彦が書いている評論があったはずだった が、その4冊の中にはなかった。」というくだりがあるが、これは私の勘違いだったことが判明した。四方田犬彦の評論は、『新潮』2014年3月号の「台湾 人の三人の『父親』」。非常に興味深い内容で、いずれ「台湾」について何か書くときに参照されることになるだろう。

<後記>
   №132「今年出会ったドキュメンタリー 2014年10-12月期」の記録とほぼ同時進行で、「その後の『サル』」に書く内容について考え続けた。そして、自分が発信したテーマについてその後も 考え続けていること、来年もそれにつながる内容を書きたいと思っていること、に気付いた。「まだまだ『越境するサル』は続く」だ。   来年の予定を書いてみる。次号は、映画『悪童日記』について。実は先日、八戸まで観に行ってきた。続いて、台湾について。丸谷才一の小説『裏声で歌へ君が 代』の再読をきっかけに、自分の記憶を確認したいと思ったのだ。その次は、3月の「harappa映画館」の「上映会への誘い」…「珈琲放浪記」はしばら く無理か。




harappaメンバーズ=成田清文)

※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。

【越境するサル】№134 「映画『悪童日記』に寄せて」(2015.1.3発行)

  昨年の末、1本の映画を観るために、八戸を訪れた。かつて夢中になって読んだアゴタ・クリストフ『悪童日記』(1986年、邦訳1991年)の映画化作 品。大雪のため奥羽線が遅延するというアクシデントはあったが、何とか午前11時の上映開始前に「フォーラム八戸」にたどり着いた。
 
      「映画『悪童日記』に寄せて」
   映画『悪童日記』(2013 ドイツ・ハンガリー合作)のストーリーは、ほぼ原作に忠実に進行する。
   第二次世界大戦中、疎開のため双子の「僕ら」は母に連れられ「大きな町」から「小さな町」へ移り住む。そこは母の親である祖母が住む町だ(「大きな町」はハンガリーの首都ブダペスト、「小さな町」はオーストリアとの国境近くの町クーセグがモデルとされる)。
   祖母と疎遠であった母が「大きな町」に帰った後、「僕ら」は人々から「魔女」と呼ばれる粗野で意地悪な祖母にこき使われ、ありとあらゆる労働に従事する。そして「僕ら」は、日々の出来事を父からもらったノート(日記)にそのまま記録し続ける。
   生きのびるために、文字通り一心同体で「僕ら」は外界に立ち向かう。強くなるための訓練を自らに課し、勉強も続け、戦時下の大人たちの邪悪さに耐え抜き、時には大人たちを罰する。
   やがて戦争は終わり、新しい支配者(ソ連軍)が町に出現する。新たな抑圧が進行する中、「僕ら」はある決意をする。それは、「僕ら」のひとりが「国境」を越えるという決意だった…
   小説『悪童日記』の原作者アゴタ・クリストフは、1935年ハンガリーで生まれ、貧困の中、高卒後すぐに結婚し工場労働者となった。ナチス・ドイツの支配 からソ連の支配下となった母国で起こった1956年のハンガリー動乱、彼女は乳呑み児を抱えて西側に逃れ、スイス(フランス語圏)に移住する。難民の彼女 は工場労働で生計を立てながら、大学の外国人向け講座でフランス語の読み書きを学び、やがて数多くの戯曲作品をフランス語で書き始める。1986年、初め ての長編小説『悪童日記』がパリの大手出版社スイユ社から出版される。彼女は50歳になっていた…
   とてつもなく困難であると思われた映画化に成功したのは、ハンガリーのヤーノシュ・サース監督。1958年、ブダペスト生まれ。映画だけでなく舞台演出で も国内外で活躍していた彼は、長い間待った末にようやく映画化権を獲得し、スイス在住のアゴタ・クリストフに会いに行く。彼女の承諾を得た彼は、定期的に 彼女に会い物語を再構成し、原作では明確にされていなかった物語の舞台を具体的にハンガリーに設定した。それは、彼女の希望でもあった(彼女はクランク・ インの1年前、2011年7月に亡くなった)。
   映画に戻る。
   主役の双子を演じたジェーマント兄弟の演技、というよりその存在感は特筆されるべきだろう。ハンガリーのすべての学校に連絡し、双子の子役探しを半年続け た末に「発見」されたという彼らのナチュラルな美しさと野性味は、この映画を成功させた最大の要因といってもいい。そして、脇を固める俳優たちの演技と撮 影監督クリスティアン・ベルガーのカメラワーク。映画を観ている者は、この物語はどこまでも続いていくのだと思う…
   いつか、『悪童日記』の続篇『ふたりの証拠』(1988、邦訳1991年)が、同じスタッフとジェーマント兄弟によって映画化される日を待ちたい。

▼「悪童日記」予告編


※なお、「フォーラム八戸」では2014.12.27~2015.1.9公開。これから公開される東北・北海道の主な映画館は、「フォーラム仙台」(2015.1.10~)・「フォーラム盛岡」(2015.1.17~)・函館「シネマアイリス」(2015.2.14~)他。
<後記>
   この映画について、原作について、アゴタ・クリストフについて、ハンガリーの現代史について、書くべきことはまだまだたくさんあるが、今回は速報として映 画の紹介だけを発信する。クリストフ関連の情報については、かつて『越境するサル』に書いたことがあるので、<付録>として下に掲載する。
   次号は、台湾をめぐる映画と小説の記憶。明日から準備に入る予定だが、これがなかなか難航しそうだ…


<付録>
   かつてアゴタ・クリストフとハンガリー動乱について書いた『越境するサル』バックナンバー。 
    『越境するサル』 №42 (2006.5.28発行) 

今月、待ち望んでいた2冊の本との出会いを果たした。アゴタ・クリストフ自伝『文盲』(2004年、邦訳2006 年白水社)と小島亮『ハンガリー事件と日本~一九五六年・思想史的考察』(1987年、中公新書)である。『文盲』は、以前その一部が紹介されていたもの の全訳。『ハンガリー事件と日本』は、絶版となっていたためここ数年古書店などを探していたものだが、新しい勤務先の図書館の棚で「発見」した。 

     「アゴタ・クリストフの衝撃、ハンガリーの衝撃」


   1991年、アゴタ・クリストフの長編小説『悪童日記』(1986年、フランス)の邦訳が刊行された。それはひとつの「事件」であった。簡潔な文体と衝撃 的な内容のその作品は、フランス語で発表されてから数年で世界文学史上に残る傑作と評価され現在まで33の言語に翻訳されているが、著者のクリストフは発 表当時全く無名のハンガリーからの亡命女性だったのである。そして日本においても、他の国々と同じようにある衝撃をもって『悪童日記』は迎えられた。

   かなり遅れてこの本と出会った私も、他の多くの読者と同じように「一晩で」読了し、クリストフ作品の虜となった。物語は第二次大戦末期、ハンガリーのオー ストリア国境付近と思われる田舎町に疎開させられた双生児の少年(たち)が主人公である。二人は近隣から「魔女」と呼ばれる怪物的な祖母のもとで苛酷な生 活を強いられているが、その厳しい生活の中で彼らはたくましく、したたかに、労働し、学習し、「恐るべき子供たち」に成長していく。
   この双生児の物語の、戦後スターリン体制下における続篇とも「変奏曲」とも言える作品が『ふたりの証拠』(1988年、邦訳1991年)と『第三の嘘』 (1991年、邦訳1992年)であり、『悪童日記』と合わせて「三部作」を構成している。1956年の「ハンガリー動乱」(以後、便宜的にこの呼称を用 いる)の暗い記憶が刻印された人々の生活を背景に、徹底して主観を排した文体で「ベルリンの壁崩壊」後に至る魂の物語が展開された「三部作」、とでも言っ ておこうか。
   さて『文盲』(※注1)である。私たちは、著者の体験(というより人生そのもの)と真正面から向き合わされる。家族の(とりわけ兄との)一体感、スターリ ン体制下の生活、亡命体験(それは難民体験であるが)、故国への想い、本を読むことと書くことへの想い・・・それまでに書かれた物語とは違う自伝という形 ではあるが、時に重なり合い、時に註釈ともなりうるもうひとつの物語と私たちは出会う。そして「文盲」と題された理由、つまり彼女が異国の地でハンガリー 人としてのアイデンティティを浸食されながら、生きるためにフランス語を学習し(彼女は9歳でドイツ語、11歳でロシア語を押しつけられた経験を持つ が)、この決して母語のようには書けない言語で作品を作ろうと挑戦したその過程(いわば「文盲」状態からスタートした)を知る。それは何という苛酷な、孤 独な挑戦だったことだろう・・・
   こうして私たちは、彼女の人生の結節点となったハンガリー動乱そのものに向かう。
   1953年のスターリン死去、その後のフルシチョフの雪解け路線への移行をうけて、1956年10月23日、ブダペストで起こった学生・労働者と秘密警察 との衝突は、ソ連軍の介入を経て劇的な展開を見せる。ソ連に従わないため失脚していたナジ・イムレが首相に任命されたのである。そのナジ政府のもとで、駐 留するソ連軍の撤退が開始された10月30日、民衆と秘密警察との再度の衝突が始まり、11月、ソ連軍の戦車2500両、歩兵15万人がブダペストに到着 する。「動乱」は鎮圧され、ナジ首相は逮捕され2年後に処刑、5000人以上の死者と10万人以上の難民(国外逃亡者・亡命者)が生み出された(※注 2)。
   その亡命者たちの中に彼女がいた。反体制運動をしていた夫と幼い娘とともに難民としてオーストリアへ逃げ、それからスイスへ亡命、その地で彼女は工場労働者として生きていく・・・
   ハンガリーで起こった出来事は遠く離れた日本にも大きな影響を与えたが、その見取図となるような書物を私たちはそれほど持っているわけではない。
   『ハンガリー事件と日本』は、ハンガリー動乱の衝撃が日本の思想界に与えた影響を丹念に拾い出し、新書という体裁にまとめ上げた貴重な研究である。「ス ターリン批判」そのものから筆を起こし、「ハンガリー事件」と「ハンガリー論争」の経過の記述を序章とし、その後五章にわたって日本(論壇・知識人・政治 党派)の動向が詳述されているが、その目配りと構成は本格的なものだ。
   まず「講座派」と「労農派」という「日本マルクス主義」の2つの流れと「日本的近代主義」を押さえ、ついでハンガリー動乱の影響をうけた知識人たちの「新 潮流」が一通り紹介される。佐々淳行・藤田省三・佐々木基一・松下圭一・梅棹忠夫という一見脈絡のない、しかし説得力のあるラインナップ。そして後半の百 数十ページ、社会党・自民党・日本共産党の「ハンガリー事件」への対応から「ニューレフトの創成」(本書にあるとおり「日本のニューレフトがハンガリー事 件を直接の契機に誕生した事実は、比較的広く知られている」)に至る政治史(あるいは政治思想史)へと記述は続く。それは、それぞれの政党や党派の歴史で は決して客観的に書かれることのない、徹底して吟味された資料によって構成された記述である。
   このようなよく整理された概説を読むと、たちまちそのひとつひとつの資料に踏み込みたいという欲求に駆られる。たとえば、埴谷雄高と中野重治のハンガリー 動乱への対照的な対応(当然のことだが)について比較・検討することは、私にとって避けて通るわけにはいかない重要なテーマである。さらに「新潮流」にし ても「ニューレフト」にしても、その思想や組織・運動は私(たち)にとって壁であり父(あるいは兄)であり続けたものだ。私(たち)にとってはすでに目の 前に存在していたものの出自を探る旅、という言い方は大げさすぎるだろうか・・・
   いま私は、『ハンガリー事件と日本』の中で紹介された著作や資料のいくつかへすでに向かっている。まず「ニューレフトの創成」の冒頭で詳しく解説されてい る真継伸彦の長編小説『光る声』(1966年)。ある私立大の日本共産党教員細胞のリーダー教授とその周辺の、ハンガリー動乱をめぐる動揺と混乱、そして 離党をめぐる劇を描いたこの小説は、戦中の弾圧の記憶を含む知識人の精神史として読むことができる。登場する者の多くが、ソ連共産党に失望し、さらに日本 の「党」の対応(以前の誤りも含めて)に対する複雑な思いを抱く様は、戦後思想史の一断面を見せられるようだ。
   このあと私は、中野重治と埴谷雄高に関する資料・書籍に向かうだろう。さらに、「プラハの春」と「ポーランド・連帯」をめぐる映画や書籍の記憶に向かうだろう。それはもう、自分史とも明確に重なる時代の記憶だ。 
(※注1)
   1989年から1年間スイスの雑誌に連載されていたものが、この自伝の原典である。彼女の長編小説第四作『昨日』(1995年、邦訳1995年)の巻末付 録『母語と敵語』(1995年のクリストフ来日講演原稿)に収録されていたものと内容が重なっているが、今回の出版が「決定版」の訳出と考えるべきであろ う。
(※注2)
   2005年、NHKBS1で放送された『戦後60年 歴史を変えた戦場』シリーズの中の「ハンガリー動乱~ブダペストの13日間~」は、この動乱の経過と歴史的意義を過不足なくまとめたドキュメンタリーである。私も随分参考にさせてもらったが、今年10月21日・22日開催予定の「ハンガリー1956シンポジウム」 ttp://www1.odn.ne.jp/~cal16920/2006-Hungary1956-Sympo.HTM でもビデオ上映が予定されている。 
<後記>(№42)
   転勤から二ヶ月が過ぎようとしている。高校総体終了まで休日返上のハードな日々が続く(始業式から今日まで休日は1日のみ)が、一方でバス通勤(電車通勤 を含む)生活に慣れてペースをつかんできたのも事実だ。今回の通信のために読んだ7冊の本(うちアゴタ・クリストフの再読4冊)はすべて、通勤のバスや電 車の車内・駅やバスターミナルの待合室・ソフトボール遠征先のホテルのロビー等で読まれたものである。
   アゴタ・クリストフ自伝をきっかけに、東欧からロシア関連の書籍・映画について少し集中して扱いたいと思う。順序は未定だが、『プラハの春 モスクワの春』など藤村信の著作、『存在の耐えられない軽さ』(映画およびミラン・クンデラの原作)、『イワン・デニーソヴィチの一日』などソルジニー ツィンの著作、アンジェイ・ワイダの映画『大理石の男』と『鉄の男』等々についてである。これらの作品との出会いは、私にとって「事件」であった。


(harappaメンバーズ=成田清文)

※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。