2013年10月2日水曜日

【映画時評】#42「生きるに値する世界 ~宮崎駿監督の引退表明に思ったこと~」



個人的なことを書くのをお許し願いたい。
庭に「トトロの木」と名づけて大事にしている桑の木がある。
虫が付きやすく、周りからは面倒だから切ってしまったらとも言われるのだが、
大切にしているのは次の理由からだ。
宮崎駿監督の『となりのトトロ』をご覧になった方は、
一晩のうちに種子が芽を出し、
あっという間に大木に成長する場面を覚えていらっしゃるだろう。
庭に桑の木を植えた記憶はない。
鳥が運んできたのだろうか、あるいは風が種子を運んできたのだろうか。
少しずつ大きくなった記憶もなく、気が付いたときにはそこに育っていたというのが、映画のシーンを思い出させたのだった。
 
7月に『風立ちぬ』を公開したばかりの宮崎監督が引退を表明した。
引退記者会見をテレビで見ていて思ったのは、ある年齢を超すと、
自分の人生の残り時間を考えざるを得ないということだ。
そして、その時間をどう過ごすかは本人の問題だ。
宮崎監督は、『風立ちぬ』は5年ぶりの新作ではなく、
5年もかかったと語っているが、もし次の映画に取り掛かれば、
公開するまでには、これから5年とか6年の時間が必要だろう。
宮崎はスタジオジブリで、『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』まで、
29年間で10本の長編アニメを撮った。
直近の4作の間隔を見ると、『千と千尋の神隠し』から『ハウルの動く城』までは3年、『崖の上のポニョ』までは4年、そして『風立ちぬ』までは既に書いた通り、5年を要している。
その時間を主として「三鷹の森ジブリ美術館」のために使いたいというのが、
自身を映画監督ではなく、アニメーターだとする宮崎の引退の理由だった。
宮崎の映画には浮遊感が漂う。
空中戦や飛行船、空に浮かぶ城、空飛ぶ箒、天駆ける竜はもちろん、
『となりのトトロ』では夜空の猫バスに加えて、トトロのお腹の上で少女は心地よい浮遊感を味わったはずだ。
『崖の上のポニョ』でさえ、少女が魚の背中を飛び移る魅力的なシーンには、
まるで波乗りのような浮遊感を覚えたものだった。
空を飛ぶこととそれがもたらす浮遊感は、宮崎にとっては常に描くべきテーマであった。

宮崎が別の人生を選んだなら、それは飛行機や飛行船の設計者ではなかっただろうか。
だから『風立ちぬ』でゼロ戦の設計者である堀越二郎の人生を描いたとき、
宮崎は一定の達成感を得たとぼくは考えるのである。

引退記者会見で印象深い発言があった。
それは、宮崎の出発点が児童文学であり、「この世は生きるに値するんだ」ということを、子供たちに伝えたいというものだった。
それはこれまでの、そしてこれからの彼の仕事の方向を示しているだろう。
とは言え、宮崎の映画は子どもたちだけのものではない。
むしろ少年や少女の心を持ち続ける大人に向けて作られてきた。
彼の映画に現れる破壊や殺戮の場面、あるいは『風立ちぬ』で批判された喫煙シーンは、表面的なことに過ぎない。
映画の裏に潜むものを見逃してはならない。
今ぼくは、宮崎駿の映画をまとめて見たいと思っている。
 
(harappa映画館支配人=品川信道)[2013年9月17日 陸奥新報掲載]


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