2013年12月31日火曜日

【つむじ風】12号「カレーもいいけどおせちもね!」

レトルトカレーのCMに、「おせちもいいけどカレーもね!」ってのがあった。
ここ数年、友人や仲間とおせちをつまみに最後の忘年会をしている。
なかなか豪華な気分になっていいものである。

フェイスブックで知ったが、友人が自分でおせちを作っているのにはビックリした。
私は多分、自分で作ることはないだろう。カレーならいくらでも作れるが。

「おせちは五穀豊穣を願い、家族の安全と健康、子孫繁栄の祈りを込めて、縁起の良い食材にこと寄せ、海の幸、山の幸を豊かに盛り込んだもの」、と書かれているように、壱の重「蛸小倉煮、タコを多幸と重ねます」、弐の重「いくら醤油漬、子孫繁栄の象徴」、参の重「たたき牛蒡、地中に根を張るごぼうは、根気がつく、という縁起物」等々、お品書きを読むのも楽しい。


それでは、みなさま、よいお年を!
感謝感謝。

2013年12月29日日曜日

【越境するサル】No.122「2013年、その後の『サル』」(2013.12.28発行)

2013年は、№112「キアロスタミ×イオセリアーニ×カウリスマキ~上映会への誘い~」から№121「今年出会ったドキュメンタリー映画 2013下半期」まで10 本、ほぼ例年並みの発信となった。その他に特別号が3本、仕事では新しい部署で苦労したが、何とか発信を続けることができた…今年も「その後の『サル』」と題して、2013年に扱ったテーマのその後の展開を記す。

「2013年、その後の『サル』」

№112「キアロスタミ×イオセリアーニ×カウリスマキ~上映会への誘い~」
№114「木村文洋×横浜聡子×澤田サンダー~上映会への誘い~」
№116「『フタバから遠く離れて』~上映会への誘い~」
2013年の「harappa映画館」はこの3回だけだったが、11月、弘前市の「弘前りんご博覧会」の一企画である「弘前りんご映画祭2013」にスタッフとして参加した。3日間で9本の作品を上映、クロージングはキアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』(1987年、日本公開は1993年)だった。詳細は映画祭のホームページ(※注1)を見てほしいが、ゲストの塩田明彦監督(今回の上映作品は『どこまでもいこう』1999年)との出会いをはじめ収穫が多かった。

7月19日放送された(再放送は7月22日)「NHK ドキュメント72時間『最後の避難所から』」は、『フタバから遠く離れて』の舞台、埼玉県加須市の旧騎西高校避難所を取材した番組である。 「72時間で何が撮れるというのか。ここにいる双葉町の人々は2年4ヶ月以上避難生活を送っている。その圧倒的な時間の重みに対して、撮影者はどのように向き合えばいいのかを考えていない。」という批判もあるが、『フタバから遠く離れて』を観た者にとっては、「その後」の記録として貴重な映像のように思えた。『フタバから遠く離れて』に対する様々な評価とともに、今後議論がなされるだろう。NHKは、12月27日放送の「NHKスペシャル シリーズ東日本大震災『最後の避難所~原発事故の町 住民たちの歳月~』」で、6月の役場機能福島県内移転から旧騎西高校避難所閉鎖までの日々をルポしているが、今後も双葉町の人々の「その後」を追跡してほしい。

なお、2014年の「harappa映画館」だが、現在の予定は次のとおり(※注2)。2月22日(土)、「ドキュメンタリー最前線2014」、『立候補』(藤岡利充/2013)・『台湾アイデンティティー』(酒井充子/2013)・『ディア・ピョンヤン』(ヤン・ヨンヒ/2005)。3月15日(土)、「ヤン・ヨンヒ特集」、『愛しきソナ』(ヤン・ヨンヒ/2009)・『かぞくのくに』(ヤン・ヨンヒ/2012)。

№113「高村薫『冷血』~合田雄一郎の果てしなき彷徨~」
『越境するサル』の反響について、今まで書いたことはほとんどない。しかし、この号については少し報告しておくべきだろう。というのは、NPO法人harappaのサイトのブログコーナーに『越境するサル』を毎号アップしてもらっているのだが、この号だけアクセス数が極端に多いのだ。8ヶ月で3000を超えるアクセス、他の号の数倍である。
   この号は、高村薫『冷血』の内容について他のブログなどに比べてかなり詳しく紹介したつもりだった(カポーティの『冷血』についてもふれている)が、それにしても他の号と桁が違いすぎる。もしかしたら、関連する「高村薫の風景」と(№38)「高村薫から高橋伴明・立松和平へ、道元に至る道」(№81)を<付録>としたことによって、いろいろな単語から検索されたのかもしれない。このあたりのアクセス事情について詳しい方がいれば、ぜひ教えてほしい。
 
№115「若松孝二の現在~中上健次『千年の愉楽』へ~」
映画『千年の愉楽』公開を機に、中上の原作を読み直した。以前読んだ際にもその完成度の高さを感じてはいたが、今回再読してみて一層強く感じた。「オリュウノオバ」という軸を設定することにより、中上の「路地」の世界が無限の、あるいは永遠の拡がりを持ち、読者に心地よい神話的世界を提供する。そしてその世界は、どこを切り取っても私たち読者にとって魅力的だ…

その後、「路地」が解体された後の物語である『日輪の翼』(1984年)を読んだ。ケルアックの伝説的小説『路上/オン・ザ・ロード』(1957年)を思い起こさせるロードムービースタイルのこの小説の中で、「路地」を失ったオバたちは改造冷凍トレイラー車に乗って熊野から伊勢、一宮、諏訪、瀬田…と移動を続ける。移動する「路地」。もしかしたら中上の最高傑作かもしれないこの作品との出会いは、大きな収穫だった。
   若松監督の映画については、ピンク映画時代の伝説的作品が少しずつ手元に集まりつつある。いつか系統的に鑑賞しなければと考えているが、もっと気軽に1本ずつ楽しみたいという気持もある。
   
№117「珈琲放浪記~札幌、「再会」と「出会い」と~」
№119「珈琲放浪記~長崎人のオアシス『珈琲人町』~」
その後の「珈琲放浪記」、京都にて。9月、出張で京都を訪れた。会合までのわずかな空白の時間、地下鉄で錦小路を目指した。目的はふたつ、「鳥豊」の鴨スモークを買い求めることと、「びーんず亭」の店頭で珈琲を飲むこと。滞在時間は20分ほど、鴨スモーク2本(これは最高の酒の肴となった)を購入し、「びーんず亭」の「東ティモール」を味わった。「東ティモール」の、すっきりした苦さ。外で飲む珈琲はこうでなきゃ…

さて、2014年の「珈琲放浪記」、青森県の喫茶店も何軒か紹介しようと考えている。弘前市の「二三味(にざみ)珈琲」(石川県)が飲める店、弘前市の本格的エスプレッソが飲める店、青森市の自家焙煎の店…乞うご期待。

№118「今年出会ったドキュメンタリー 2013上半期」
№121「今年出会ったドキュメンタリー 2013下半期」
つい先日「2013下半期」を発信したばかりだが、2014年早々から鑑賞予定の作品が目白押し。現在準備しているのは、『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』(2012 クリス・ケニーリー)、『ヒロシマ ナガサキ ダウンロード』(2010 竹田信平)、『夜明けの国』(1967 時枝俊江)、『ベトナムから遠く離れて』(1967 クリス・マルケル製作)…当分は家での鑑賞となる。2月以降は、「harappa映画館」を含めて自主上映での鑑賞機会があるはずだ。

テレビ・ドキュメンタリーも、大量に録画しているものの中からいくつかピックアップして観なければと思っている。「BS世界のドキュメンタリー」・「ETV特集」・「NNNドキュメント」・「ザ・ノンフィクション」・「テレメンタリー」・「ノンフィクションW」、これらの枠で放送された作品を、まめに紹介し批評することができればと思う。

特別号「1979年へ ~同時代史叙述の試み~ (上)(中)(下)」
2007年から2010年まで3年間で8本発信したシリーズ「1979年へ」を、研究会での発表のため体裁を整え冊子の形にし、さらに特別号(上・中・下)として再発信したものがこれである。いま読み返してみると、ずいぶん熱く、入れ込んでいたシリーズだったと、改めて感じる。費やしたエネルギー(労力や時間)も結構なものだったし、緊張感もみなぎっている。最近の「珈琲放浪記」などとは大きな違いだ…

シリーズの続きを、というわけにはいかないが、ひとつひとつのテーマの続編は書かなければならないだろう。というより、もうそれは始まっているのだ。

№120「『越境するサル』的生活 2013~<ブラザー軒>と<ドキュメンタリー映画祭>と~」
日常生活の中で<非日常>ともいうべき思考にふけったり、あるいはそのような体験をする機会にめぐりあったりする、というよりあえて<非日常>を創り出そうとするすごし方を「『越境するサル』的生活」と呼んできた。だからそれは、どこにいても可能なはずなのだが、旅をすることによって一気に<非日常>の世界に越境することができるのもまた確かだ。

今回、菅原克己の詩の世界にしばらく浸った後、仙台で「ブラザー軒」の舞台そのものの場所へ時空を超えてたどり着いた。そして、2年に1度<非日常>の空間となる街<ヤマガタ>。何日間も朝から晩までドキュメンタリーを観る人々が集う<ヤマガタ>、それは普段の山形市とは明らかに違う<非日常>の場所だ…

「珈琲放浪記」でも「旅のスケッチ」でもない、<日常>と<非日常>の境目のような「1日」についての記述。2014年はどんな「1日」を記述することになるだろうか。

 (※注1)
「弘前りんご映画祭2013」は次をクリックせよ。
http://harappa-h.org/contents/20131108rff13.php

(※注2)
「ドキュメンタリー最前線2014」は次をクリックせよ。
http://harappa-h.org/contents/20140222harappamovie.php

「ヤン・ヨンヒ特集」は次をクリックせよ。
http://harappa-h.org/contents/20140315harappamovie.php


<後記>
「まだまだ『越境するサル』は続く」と、去年の今頃記した。気力は衰えていない。ただ、時間がもう少しほしい。近頃、人生の残り時間を考えることがある。あと何本映画を観て、あと何冊本を読めるか。あと何本『越境するサル』を発信できるか…とりあえず、来年の予定を書いてみる。次号は2月・3月の「harappa映画館」の「上映会への誘い」になりそう。「ドキュメンタリー最前線2014」と「ヤン・ヨンヒ特集」。その次は、映画『ハンナ・アーレント』について。さらにその次は、<大江と村上>。4月までに、これらすべてを発信することができたら、と思う。

(harappaメンバーズ=成田清文)
※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。

2013年12月28日土曜日

【映画時評】番外篇「蒙を啓く時代劇映画論〜小松宰著『剣光一閃 戦後時代劇映画の輝き』書評」


12月は「忠臣蔵」の季節である。物語の発端となった松の廊下の刃傷沙汰がそれだけで季節の話題になることはないが、四十七士の討ち入りの季節には、毎年のようにテレビで映画などが放送される。日本人はなぜ「忠臣蔵」、とりわけ討ち入りに共感するのだろうか。

その「なぜ」を解き明かしたのが、2010年6月から11年8月まで60回にわたって本紙に連載された、「剣光一閃――戦後時代劇映画の精神史」に大幅な加筆・補正と再構成を施した、小松宰著「剣光一閃――戦後時代劇映画の輝き」(森話社)である。

無類の時代劇映画ファンを自認する小松さんは、「自分はなぜ時代劇が好きなのか」「時代劇の中には一体、なにがあるのか」と自問する。

小松さんは、幕末という激動の時代を舞台にした時代劇を現代史の観点から論じる。東映の新選組映画と、太平洋戦争末期を舞台にした特攻隊映画が同根だとする。宮本武蔵と佐々木小次郎の宿敵対決を活写する。柳生十兵衛が片目を失った事情を探る。チャンバラのない文芸時代劇を原作と比較する。『影武者』と『笛吹川』を並べて、黒澤明と木下惠介の史観の違いを明らかにする。

そして小松さんは、鎖国から開国までの泰平の二百余年間を舞台にした、仇討ち物語(忠臣蔵も含まれる)、お家騒動、捕り物帳という、いわゆる定番時代劇に着目する。小松さんは定番時代劇が、安定していた秩序の破壊と回復の物語であるとし、「日本人の心の中には、一切の外圧から解放されて、さながら母親の胎内のような安息に浸っていた時代に帰りたいという無意識的な願望があるのではないか」と分析する。

また、『宮本武蔵』や『新吾十番勝負』といった剣士修養物語映画には、「正しく強く」「一心不乱の精進」という日本的価値観と日本人の精神主義を見出す。 

時代劇映画が最も輝いていたのは1950~60年代である。当時の時代劇映画(その中心は「時代劇の東映」作品だ)を検証することによって、小松さんは「時代劇とは、時代劇による日本人論であり、判官贔屓とか、義侠心とか、忍ぶ恋とか、放浪の魂といった日本人の精神傾向の全的な反映だった」という結論に達するのである。

時代劇ではさまざまな死が描かれる。主人公の死、敵役の死、ならず者の死、妖婦の死、薄幸の乙女の死、等々。中でも、滑稽だったり、崇高だったり、壮烈だったりする主人公の死こそ、時代劇の不変のテーマだと、小松さんは考える。そして、「時代劇とは、〈死の美学〉によって成り立つ物語である」と断じ、『薄桜記』での丹下典膳(市川雷蔵)の悲壮極まる死をその極北とする。本書のカヴァー写真に、『眠狂四郎 炎情剣』(本文では『眠狂四郎』シリーズについて、数行触れられているに過ぎない)の雷蔵が使われた理由もそこにあるだろう。

本書は時代劇映画の魅力や面白さを伝えるだけでなく、日本人論として、ぼくたちの蒙を啓く示唆に溢れている。映画ファン以外の方にも広く読まれるべき一冊である。

(harappa映画館支配人=品川信道)[2013年12月4日 陸奥新報掲載]

2013年12月24日火曜日

【越境するサル】No.121「今年出会ったドキュメンタリー 2013下半期」(2013.12.23発行)

2013年下半期に出会ったドキュメンタリーについて報告する。

「今年出会ったドキュメンタリー 2013下半期」

2013年7月から12月までに観たドキュメンタリーを列挙する。ほとんどがDVDやテレビ録画での鑑賞であるが、映画館や自主上映での鑑賞も何度かあった。また、今年は「山形国際ドキュメンタリー映画祭2013」に出かけたので、かなりの数をスクリーンで観ることができた。それに、テレビ・ドキュメンタリーのうち特筆すべきものも月数本程度載せてみた。( )内は製作年と監督名と鑑賞場所等、「山形」は「山形国際ドキュメンタリー映画祭2013」。※はテレビ・ドキュメンタリー。

7月・・・
(『世界が食べられなくなる日』(2012 ジャン=ポール・ジョー 弘前市土手町コミュニケーションプラザ))
『ミツバチの羽音と地球の回転』(2010 鎌仲ひとみ 弘前文化センターホール)
『コーマン帝国』(2011 アレックス・ステイプルトン)
『解禁!ジョージ・ブッシュ伝 噂の真相』(2002 スキ・ホーリー、マイケル・ガリンスキー )
『PEACE BED アメリカvsジョン・レノン』(2006 デヴィッド・リーフ、ジョン・シャインフェルド)
『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第1回~第4回』(2013 NHKEテレ)※
『難民に揺れる島~ギリシャ・レスボス~』(2013 ドキュメンタリーWAVE)※
『ユッケ~「生食肉」に潜む闇~』(2012 FNSドキュメンタリー大賞)※
『最後の避難所から』(3013 ドキュメント72時間)※
『検証 イラン核開発の軌跡』(2012 BS世界のドキュメンタリー)※
『魂が眠っている 遺された赤紙』(2012 NNNドキュメント)※

8月・・・
『戦後在日五〇年史 在日(歴史篇)』(1997 呉徳洙)
『戦後在日五〇年史 在日(人物篇)』(1997 呉徳洙)
『パパラッツィ』(1963 ジャック・ロジエ)
『バルドー/ゴダール』(1963 ジャック・ロジエ)
『二重被爆』(2006 青木亮)      
『わすれない ~原発と牛飼い それから~』(2013 ザ・ノンフィクション)※
『僕はまだまだ死にません~はだしのゲンが伝えるもの~』(2013 テレメンタリー)※
『復興~長崎原爆 市民の記録~』(2013 NHK長崎)※
『帰郷~アマゾン開拓の夢、その果てに…~』(2012 BSフジ)※

9月・・・
『二つの祖国で 日系陸軍情報部』(2012 すずきじゅんいち)
『GONZO~ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて~』(2008 アレックス・ギブニー)
『摩文仁  沖縄戦 それぞれの慰霊』(2013 ETV特集)※
『人間は何を食べてきたか~アジア・豊かなる食の世界1~』(1990 NHKスペシャル)※
『W杯予選の最も熱い日~セルビア VS クロアチア サポーターたちの闘い~』(2013 ドキュメンタリーWAVE)※
『フクシマ・プラン~国際協力チームの廃炉戦略~』(2013 BS1スペシャル)※
『まりあのニューヨーク~死ぬまでに逢いたい人~』(2011 ザ・ノンフィクション特別版)※

10月・・・
『A2-B-C』(2013 イアン・トーマス・アッシュ 「山形」)
『標的の村』(2012 三上智恵 「山形」)
『また、近いうちに』(1967 クリス・マルケル 「山形」)
『ペンタゴン第六の面』(1968 クリス・マルケル 「山形」)
『大使館』(1973 クリス・マルケル 「山形」)
『気乗りのしない革命家』(2012 ショーン・マカリスター 「山形」)
『祖国か死か』(2011 ヴィタリー・マンスキー 「山形」)
『サンティアゴの扉』(2012 イグナシオ・アグエロ 「山形」)
『庭園に入れば』(2012 アヴィ・モグラビ 「山形」)
『チョール  国境の沈む島』(2012 ソーラヴ・サーランギ 「山形」)
『キャットフィッシュ』(2010 アリエル・シュルマン、ヘンリー・ジュースト 「山形」)
『カネミの主張~油症45年』(2013 JNNドキュメント)※
『チェルノブイリから福島へ 未来への答案』(2013 NNNドキュメント)※
『隠された事故~焼身自殺の真相を追う~』(2013 JNNドキュメント)※

11月・・・
『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』(2013 佐々木芽生 11/8「弘前りんご映画祭」)
『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(2009 片岡英子 11/9「弘前りんご映画祭」再)
『シュガーマン 奇跡に愛された男』(2012 マリク・ベンジェルール)
『書くことの重さ 小説家 佐藤泰志』(2013 稲塚秀孝 シネマディクト)
『台湾アイデンティティ』(2013 酒井充子 シネマディクト)                   
『たそがれの詩 エリートも揺れる時代で』(2013 ザ・ノンフィクション)※
『原発のまちに生まれて~誘致50年 福井の苦悩~』(2012 FNSドキュメンタリー大賞)※
『人間は何を食べてきたか~アジア・豊かなる食の世界2~』(1990 NHKスペシャル)※   
『ダラスより速報 午後1時JFK死す』(2013 BS世界のドキュメンタリー)※
『コールド・ケース “JFK”~暗殺の真相に迫る~』(2013 BS世界のドキュメンタリー)※

12月・・・
『略称・連続射殺魔』(1969 足立正生・佐々木守・松田政男)
『愛しきソナ』(2009 ヤン・ヨンヒ)      
『フェイシング・アリ』(2009 ピート・マコーマック)
『あなたのTシャツはここから来ている~低賃金に声を上げるバングラデシュ~』(2013 ドキュメンタリーWAVE)※
『三池を抱きしめる女たち~戦後最大の炭鉱事故から50年~』(2013 ETV特集)※
『ネルソン・マンデラ~自由の名のもとに~』(2009 BS世界のドキュメンタリー)※
『高畑勲、「かぐや姫の物語」をつくる。』(2013 ノンフィクションW)※
『忘れられた引き揚げ者~終戦直後・北朝鮮の日本人~』(2013 ETV特集)※

下半期、印象に残った作品について紹介する。まずは映画。

『世界が食べられなくなる日』(2012 ジャン=ポール・ジョー 弘前市土手町コミュニケーションプラザ)
6月30日、「土手町コミュニケーションプラザ」で青森県保険医協会の主催で上映された作品。『未来の食卓』をはじめ地球環境に関するドキュメンタリーの製作で知られるジャン=ポール・ジョー監督が、遺伝子組み換え食品と原発の危険性を科学的根拠を示しながら警告する。2009年、フランスで極秘に開始された、ラットのエサに遺伝子組み換えトウモロコシ・農薬を、いくつかの組み合わせで混ぜて与えた2年間にわたる長期実験。そのプロセスと東日本大震災後の福島の取材で構成された、未来のためのテキスト。(自分の中では次の『ミツバチの羽音と地球の回転』とセットで鑑賞したので、7月としてカウント。)


      
『ミツバチの羽音と地球の回転』(2010 鎌仲ひとみ 弘前文化センターホール)
『世界が食べられなくなる日』の1週間後、7月7日、「弘前文化センターホールで「AFTER 311 脱原発弘前映画祭」が開催された。この日上映されたドキュメンタリーがこの作品。山口県上関町田ノ浦に建設予定の中国電力の原発に反対し続ける対岸の祝島の人々。28年間反対を続けた彼らと、未来のエネルギーを模索するスウェーデンの人々。普通の人々が取り組む未来のエネルギー、未来の生活の可能性。私たちは彼らに励まされ、彼らからヒントをもらい、そしてこの祝島の行き着く先を見届けようと思う。



『戦後在日五〇年史 在日(歴史篇・人物篇)』 (1997 呉徳洙)
映画『戦後在日五〇年史』製作委員会によって製作され、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2005」でも特別招待作品として上映された大作。監督はかつて大島渚監督の助監督をつとめていた呉徳洙(オ・ドクス)。ナレーターは原田芳雄。
日本敗戦(朝鮮解放)から現在(1990年代)に至る在日の歴史を、膨大な映像資料と証言で丹念にたどる「歴史篇」の衝撃はすさまじいの一言。こんなすごい映画が作られたこと自体驚きだ。「朝蓮」結成、GHQとの確執、帰還運動と同胞対立、金嬉老事件、外国人登録法…50年の精密な通史であり、真摯な問題提起であり、かつ壮大な叙事詩である。
在日一世、二世、三世、6人の生き方をオムニバスで構成した「人物篇」では、それぞれの在日としての歴史と現在が語られている。このうち在日一世、済州島出身のハルモニは、別なドキュメンタリー『HARUKO ハルコ』(2004 野澤和之)の主役。二世の歌手新井英一は、コンサートへ2回行ったことがある、いわばファン。このふたりの部分は特に興味をもって観たが、全体として淡々と描かれているおとなしいフィルム…
「歴史篇」は、戦後史を語る上で必見の作品。

『二つの祖国で 日系陸軍情報部』(2012 すずきじゅんいち)
太平洋戦争時と戦後の占領期に日系アメリカ人たちが果たした役割を、アメリカ陸軍の秘密情報機関MIS(ミリタリーインテリジェンスサービス)の一員だった元兵士たちの証言を基に描いた「知られざる歴史」。日本とアメリカ両方で差別を受け戦争に振り回された日系二世たちの証言は、「戦争とは何か」を私たちに深く考えさせる。『東洋宮武が覗いた時代』(2008)・『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』(2011)に続く、すずきじゅんいち監督の「日系史映画3部作」最終作。



『標的の村』(2012 三上智恵 「山形」)
『越境するサル』№120で、この作品を紹介している。「沖縄・高江のヘリパッド基地反対闘争を描いた作品である。村を取り囲むその基地には、やがてオスプレイが配備される。ベトナム戦争当時、高江の住民たちがベトナムの村人役で訓練に駆り出されていた記憶と、現在の普天間基地封鎖の闘いが、つながり合うひとつの歴史として観客に示される。制作は琉球朝日放送。監督は、琉球朝日放送開局からアナウンサー・キャスターを務めてきた三上智恵。テレビ放映された本作は、座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル大賞を受賞。今回91分の映画として、山形に乗り込んできた。」

『気乗りのしない革命家』(2012 ショーン・マカリスター 「山形」)
『越境するサル』№120で、この作品を紹介している。「主人公は、観光業者(案内人)のカイス。アラブの春を撮影しようとイエメンに滞在するマカリスター監督のガイドである彼は、反政府デモのためビジネスに打撃を受けている。それもあって彼は反政府デモに批判的だったが、革命への弾圧が激しくなるにつれ次第に変わっていく。『ナオキ』(2009)の時と同じように、マカリスター監督は事態に巻き込まれ、監督自身の身辺も少しずつ危険になっていく…」

『キャットフィッシュ』(2010 アリエル・シュルマン、ヘンリー・ジュースト 「山形」)
ニューヨーク在住のカメラマン、ヤニフ・シュルマンは、ある日ミシガン州在住の8歳の女の子アビーからメールを受け取る。雑誌に掲載された彼の写真を絵に描いてもいいかというその申し出に、彼は快く許可を与え、やがて見事な絵が送られてくる。こうして始まった彼とアビーの家族との交流を、彼の兄弟が一部始終を記録しようと撮影する。Facebookなどを通じて交流は発展し、ついに彼らはアビーの家族を訪ねてミシガン州へ向かう…その後の予想外の展開と結末については、もちろん書かない。

『シュガーマン 奇跡に愛された男』(2012 マリク・ベンジェルール)
1960年代後期、アメリカ・ミシガン州デトロイトで活躍した天才ミュージシャンがいた。彼の名はロドリゲス。70年代に入り2枚のアルバムをリリースするが、まったく売れず彼は音楽シーンから姿を消してしまう。しかしロドリゲスの音楽は、アパルトヘイト下の南アフリカで70年代中期から大ヒットを記録していた。90年代、ロドリゲスの熱狂的なファンふたりが、死亡説さえ流れている彼の足跡を調査するために、情報提供を呼びかけるサイトをインターネットに開設する…アメリカで異例の大ヒットを記録した、圧倒的にエキサイティングなドキュメンタリー映画。



『台湾アイデンティティ』(2013 酒井充子 シネマディクト)
 2009年に公開された酒井充子監督『台湾人生』の続編である。台湾に日本語を話す老人たちがいる、という素直な驚きから始まった『台湾人生』をより深化させ、監督は彼らの<アイデンティティ>にまで迫る。登場人物は6人。阿里山郷から台北、そして横浜・ジャカルタ、彼らひとりひとりによって語られた戒厳令下の白色テロと家族の物語。時代に翻弄された「かつて日本人だった人たち」の人生の何という重さ。



『愛しきソナ』(2009 ヤン・ヨンヒ)
大阪生まれの在日コリアン2世ヤン・ヨンヒの監督第2作。第1作『ディア・ピョンヤン』(2005)に続く家族の記録(セルフドキュメンタリー)であり、帰還事業で北朝鮮に「帰国」してピョンヤンで暮らす3人の兄たちとその家族の姿、そして日本で暮らす自分たちの葛藤が描かれている。姪(次兄の娘)ソナを中心に編集されたこの作品は、『ディア・ピョンヤン』、そして実体験を基に作り上げた劇映画第1作『かぞくのくに』(2012)とともに、ヤン・ヨンヒの「家族の物語」の一環をなす。


                                                                                                 
テレビ・ドキュメンタリーからも数本。

『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第1回~第4回』(2013 NHKEテレ)
戦後70年を迎える2015年に向けて、NHKが「政財界から一般市民まで、新たな証言を記録し、廃墟から立ち上がった日本人の姿を描く大型プロジェクト」としてスタートさせたのが「戦後史証言プロジェクト」。7月は『日本人は何をめざしてきたのか』 第1回から第4回まで。

 第1回「沖縄~"焦土の島"から"基地の島"へ~」は、普天間基地と伊江島の人々の証言を軸に、土地強制収用によって農地を奪われた人々の反基地闘争の歴史を描く。

第2回「水俣~戦後復興から公害へ~」は、かつて植民地・朝鮮半島で一大コンツェルンを築いた日本窒素肥料株式会社が戦後水俣に引き揚げて稼働させたチッソと「水俣病」の運命を描く。

第3回「釧路湿原・鶴居村~入植地から国立公園へ~」は、村内に釧路湿原をかかえる鶴居村が舞台。開拓、酪農地化、そして湿原の復原。国策に翻弄されてきた村の戦後を証言でつづる。

第4回「猪飼野~在日コリアンの軌跡~」は、在日コリアンが集中する大阪市生野区の歴史。激動の中で進められてきた民族教育を軸に、かつて「猪飼野」と呼ばれたこの地の戦後史を見つめる。

『帰郷~アマゾン開拓の夢、その果てに…~』(2012 BSフジ)
太平洋戦争後、駐留軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血孤児たちを引き取った神奈川県大磯町の「エリザベスサンダースホーム」の創設者澤田美喜は、やがて子どもたちが直面した就職差別という壁を打開するために、ブラジルでの農園建設を計画する。1965年、横浜港から18歳の若者たちが移民船サントス丸に乗ってブラジルへ旅立った。だが、農園は10年経たないうちに閉鎖となり若者たちはちりぢりになった…40年以上の歳月を経て語られる彼らの物語と、彼らの父親代わりだった「先生」 の家族の物語。「US国際フィルム&ビデオ祭2013」佳作作品。

『人間は何を食べてきたか~アジア・豊かなる食の世界1~』(1990 NHKスペシャル)
食の起源と現在を取材した「伝説のNHKドキュメンタリー」、1985~94年に放送された『人間は何を食べてきたか』シリーズ(NHK特集・NHKスペシャル)が、「ジブリ学術ライブラリー」(全8巻)という形で発売されている。その第3巻「アジア・豊かなる食の世界1」をレンタルで鑑賞することができた。収録されているのは「第1集 黄土の民の知恵と技~麺~」・「第2集 スパイスは大地の香り~カレー~」・「第3集 太古からのメッセージ~タロイモ・ヤムイモ~」の3本。中国起源でアジア各地域に広まった麺、インドのさまざまなスパイス、パプアニューギニア・台湾のタロイモ・ヤムイモ…ジブリの高畑勲・宮崎駿両監督と番組制作者の座談会の映像も特典として付いていて、記録として非常に価値のあるDVDである。残りの7巻も続けて鑑賞予定(その後『人間は何を食べてきたか~アジア・豊かなる食の世界2~』も鑑賞。収録されているのは「第4集 南方に生命の嘉木あり~茶~」・「第5集 塩ふく大地の奇跡~醤油~」)。

『原発のまちに生まれて~誘致50年 福井の苦悩~』(2012 FNSドキュメンタリー大賞)
全国最多14基の原発を抱え、40年以上原発と共存してきた福井県。しかし、福島の原発事故から1年後、県内すべての原発は稼働を停止した…なぜ日本は原発大国となったのか。なぜ福井県は原発を誘致したのか。番組は、CIAの機密文書に残る原発導入の歴史に迫り、過疎の町が原発を誘致した現実を見つめ、福井県の人々の苦しい心境を描き出す。そして、国は、関西電力・大飯原発の再稼働を地元に要請した…福井テレビ制作。

『三池を抱きしめる女たち~戦後最大の炭鉱事故から50年~』(2013 ETV特集)
1997年に閉山した三池炭鉱の炭鉱の歴史を記録した『三池~終わらない炭鉱の物語』(2006)の熊谷博子監督が、ディレクターとして手がけた番組。1963(昭和38)年11月9日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で起きた戦後最大の炭鉱事故。死者458人、CO(一酸化炭素)中毒患者839人を出す、炭じん爆発事故であった。その日から50年目を迎えた今年、CO中毒の後遺症に苦しむ夫を抱えた4人の妻たちの歴史と現在を描く。

テレビ・ドキュメンタリーでは、9月29・30日にNHKBSプレミアムで放送された「ザ・ベストテレビ 2013」も紹介すべきだろう。さまざまな賞を受賞した作品がまとめて放送され、新たな出会いの機会となった。9月29日は、日本民間放送連盟賞テレビ教養番組『仰げば尊し』(読売テレビ)、「地方の時代」映像祭『NHKスペシャル イナサがまた吹く日~風寄せる集落に生きる』(NHK)、ATP賞テレビグランプリ『ザ・ノンフィクション特別版 まりあのニューヨーク~死ぬまでに逢いたい人~』(フジテレビ)。9月30日は、民放連賞テレビ報道番組『死刑弁護人』(東海テレビ)、文化庁芸術祭賞『NHKスペシャル メルトダウン 連鎖の真相』、放送文化基金賞『NHKスペシャル メルトダウン File.03 原子炉“冷却”の死角』、ギャラクシー賞『NHKスペシャル 追跡 復興予算19兆円』。ゲストは森達也と吉永みち子。

ドキュメンタリー専門の雑誌も、ひとつ紹介したい。「日本で唯一のドキュメンタリー専門誌」を名乗る『neoneo』。VOL.03となる「neoneo」03は、2013年10月発売。私は「山形国際ドキュメンタリー映画祭2013」の会場前で入手した。特集は「ゼロ年代(プラスワン)とドキュメンタリー」、小特集は「UNKNOWN MARKER ~知られざるクリス・マルケルの世界~」。「ゼロ年代」と「ドキュメンタリー映画」の関係を、年表やコラム、そして99本の「ゼロ年代ドキュメンタリー映画」を網羅したカタログで紹介した便利な1冊。VOL.01(特集『さようなら、ドキュメンタリー』)・VOL.02(『原発とドキュメンタリー』&小特集『21年目の不在 小川紳介トライアングル』)もまだ入手可能。なお『neoneo』の公式サイト(http://webneo.org/)の情報も新鮮かつ貴重。            

<後記>
今年から年2回の報告となったが、まだまだ報告することはたくさんある。テレビドキュメンタリーも、もっと詳しく扱いたい…当分この形で報告を続けるが、最終的には「月刊」を目指す。
なお、『台湾アイデンティティ』と『愛しきソナ』は弘前で自主上映することができそう。詳細は近日。

(harappaメンバーズ=成田清文)
※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。

2013年12月13日金曜日

【つむじ風】11号「グローイング・アップー隣の席の男の子ー」

 中学時代のクラスメイトに、丸顔に林檎ほっぺたのちょっとオマセな男の子がいた。その子はいつも、透明な下敷きに映画のチラシや切り抜きを挟んでいた。頼みもしないのに見せてくれ解説をしてくれた。その中でも赤いほっぺを更に赤くさせ、力説してくれた映画がある。
 原題「Lemon Popsicle 」・「グローイング・アップ」。
 あんなにガンバって話してくれたのに、それがイスラエルの映画だと知ったのは、つい最近のこと。ネットで調べたら私のようにアメリカの映画だと思い込んでいた人もいて、ちょっと安心した。 
 実際、人気がありシリーズ化され、番外編はアメリカで製作したリメイク作品で、ハリウッドでもお馴染みのプロデューサーによるものだという。
 ジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」に触発されて作られた青春映画。1950年台のイスラエルが舞台で、主人公のベンジー、軟派でかっこいいボビー、太っちょのヒューイ、17才の高校生3人組と女の子たち(時には、子、じゃない場合も)の恋物語・・・だけではなく、お色気もたっぷり、オールディーズがふんだんに使われている。私の本命はベンジーだったけれど、時にはボビーにもときめいた。ヒューイはタイプではないけれど、欠けたら寂しい。散々お馬鹿劇を繰り広げていても、ラヴ・ミー・テンダーなんかが流れたら胸キュン映画に早変わり。よく覚えているのが、シリーズ3の「恋のチューイングガム」。恋して、傷ついて、間違って、悩んで大人になっていく・・・以外は秘密。しかし公開された年が1981年と出ていて、計算すると私はまだ小学生のはず。シリーズ3がこの年ってことは、シリーズの最初は何年?おかしい・・・。
 
 年のことは置いておいて、ここまで書いて、やはりイスラエルとはなんだか結びつかない。もちろん、私の勝手なイメージである。

 そういえば、映画雑誌『スクリーン』は表紙の女優さんが綺麗だった。『ロードショー』という映画雑誌もあって、二冊は『明星』と『平凡』の外国の映画スターバージョンみたいなものかな。日本のスター雑誌には『近代映画』というのもあって、それぞれ交代で買っていた。もちろん、切り抜いて下敷きに挟むためである。

 思い出話が尽きないので、今宵はこれで一杯やろうかな。因みに、このレコードにはラヴ・ミー・テンダーは入っていない。


(harappaメンバーズ=KIRIKO)

2013年12月11日水曜日

【harappa Tsu-shin】「gallery wagon」第3弾♪

みなさん、こんにちは!
3回にわたって開催してきた「gallery wagon」も
ついに今年度最終回になってしまいました。

今回の開催場所はこちら!
ヒロロさんの1階!
初室内です!

作家はイラストレーターの工藤陽之さんです♪
初日にはNHKさんの取材もありました!
ニュースで見てくださった方も多いのではないでしょうか。

グッズも盛りだくさんでしたよ!

特に、バッチはこどもから大人まで大人気でした!
ひとつひとつイラストが違うので、
みなさん一生懸命、お気に入りを探してくれました。

あと、今回大人気だったのがもう一つ!
いや、もう一人!!
「庭さん」です♪
特別にクリスマスバージョンなんだそうです。

携帯で写真を撮る方や、
一緒に記念写真を撮っていく人たちも、、、
庭さん大人気でした!

そして、工藤さんのドローイングも!

負けじとこどもたちもお絵描きです!
カラフルで楽しい絵を描いてくれました!

そして、今回の目玉企画でもある、
「つぶやきトーク“弘前でなんかやろう”」の模様です。
3日間Ustreamにて配信していました。
ゲストをお招きして、なにやら楽しいお話をたくさんしていたみたいです。

寒い時期での「gallery wagon」開催でしたが、
みなさんのおかげでとても楽しい企画になりました♪
来年はぜひ、もう少し暖かい時期に弘前のまちを練り回りたいです♪





(harappaスタッフ=太田)

2013年12月2日月曜日

【映画時評】#43「足立正生・伝説が歩く〜『山形国際ドキュメンタリー映画祭2013』にて〜」


10月10日から17日まで「山形国際ドキュメンタリー映画祭2013」(以下「ヤマガタ」)が開催された。1989年に始まったこの映画祭は、西暦の奇数年に隔年開催され、四半世紀がたった。今年は209本の映画が上映されたが、12分の広報映画から5時間を越す長編まで、8日間で新旧取り交ぜて31本の映画を見てきた。

開会式とオープニング上映の後のパーティー会場で、白髪の足立正生が身近に立っているのを見て、「伝説が歩いている」という思いにとらわれた。

インターナショナル・コンペティションの審査員長を実質的に務めた足立は、パレスティナ解放闘争に身を投じ、レバノンで3年の禁固刑を受け、日本に強制送還されて収監された過去を持つ。だから、1153本の応募作品から選ばれた15本のコンペ作品から、パレスティナ難民キャンプを素材にした『我々のものではない世界』(マハディ・フレフェル監督)に、ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)を与えたのには、審査員間の配慮を少し感じてしまったが、丹念に作られた優れた映画であることは間違いない。

山形市長賞(最優秀賞)は、インドネシアの大量殺人部隊の元リーダーにその行為を再現させた『殺人という行為』(ジョシュア・オッペンハイマー監督)が獲得したが、この映画はまるで劇映画を見ているようだった。実際、現在は裕福な生活をしている殺人集団の元リーダーが、孫を抱いて堂々と画面に顔を出せるものだろうかという疑問は残る。

ぼくの周辺では評価の低かった、韓国・京畿地方北部の米軍基地周辺の元売春婦に取材した『蜘蛛の地』(キム・ドンリョン、パク・ギョンテ共同監督)が、特別賞を受賞したのは意外だった。黒人兵と韓国人との間にできた混血の娘が、かつて母親が働いていた場所(ほとんど廃墟になっている)を訪ね、母親が着ていたであろうワンピースを見つけ、それを着用するシーンが、いかにもあざとく、作り物めいていたからだ。
ヤマガタでは、上映後の監督等とのトークも興味深い。特別招待作品として上映された『現認報告書 羽田闘争の記録』(小川紳介監督)では、スピーカーの足立が、「ドキュメンタリーって、なんだ?」と疑問を呈した。また審査員作品の『北―歴史の終わり』(ラヴ・ディアス監督)でも、「ドキュメンタリー映画の定義」という発言があった。

一般的なドキュメンタリー映画のイメージは、作為のない「文化映画」「記録映画」というものだろう。だが現実には、監督たちは撮影機が回っていなかったときの発言や表情を何とか撮ろうとして、仕込みや誘導をしたり、ドラマとして再現することを行っている。

劇映画を見て、例えば手持ちキャメラの揺れる画面や粒子が粗い画面を、「まるでドキュメンタリー映画のような」と形容することがあるが、ヤマガタではその形容は意味を持たない。なぜなら、ドキュメンタリー映画として上映された『殺人という行為』や『蜘蛛の地』は、まるで劇映画のようだったり、その一部がフィクションそのものだからだ。ヤマガタでは、フィクションとドキュメンタリーが互いに深く侵食し合っているのである。

足立監督の『略称・連続射殺魔』も審査員作品として上映された。逮捕時は未成年だったので、映画の中では「彼」と呼ばれる永山則夫の足跡を辿り、永山が見たであろう風景や景色を撮った映画だが、板柳町を家出した少年が眺めた大阪万博前夜の弘前駅前広場の風景は、懐かしい記憶を呼び覚ますと同時に、弘前の記録としても貴重なものだった。

▼足立正生『略称・連続射殺魔 』
 

(harappa映画館支配人=品川信道)[2013年11月19日 陸奥新報掲載]

【harappa Tsu-shin】こどもりんご博覧会♪

みなさん、こんにちは。
先週の土曜日はヒロロで「こどもりんご博覧会」が開催されました!
harappaでは、こどもたちと一緒に旗づくりをやりました!

こどもたちには、旗を考える偉い人になりきって、王冠をつけてもらい、
「りんご」をテーマに自由にお絵描きをしてもらいました♪

絵の具は、赤、黄色、緑の3色だけを準備しました。

でも、色をまぜてカラフルなりんごがたくさん!

中には、りんごの品種にこだわるツワモノもいましたよ。

りんごの種までかいてくれるお友だちもいました♪

こどもたちのアイディアが光る旗づくりです♪

みんな、思い思いのりんごを元気いっぱいに描いてくれました!

続いて、今度はもっと大きな旗づくりに挑戦です!

手のひらに赤い絵の具を塗ってもらい、

みんなでペタペタ大会です!

力強く、しっかりと押してくれています。

みんなとっても楽しそう♪

一人で何回も頑張ってくれるこどももいて、
大きなりんごの旗が完成しました!

みんがつくってくれた旗は、
この日、建国が宣言された「りんご王国」の国旗になるんです!

こどもたちのパワーが本当にすごくて、
来年から始まる「りんご王国」がとっても楽しみになりました。
「りんご王国」はこどもたちが主役なんです!
こどもたちにもっと楽しんでもらえるようなことを
たくさんできたらいいなぁ♪


(harappaスタッフ=太田)






















2013年11月27日水曜日

【harappa Tsu-shin】お好み焼き的版画ワークショップ

みなさん、こんにちは。

雪こそ降っていませんが、寒い日が続きますね。

さて、先週末はgallery wagon 第2弾である

版画家橋本さんの展示を行っていました。

まちなかに突如現れたgallery wagonに

道行く人も足を止めて見ていってくれました。

そして今回は、作品展示だけではなく、

「お好み焼き的版画ワークショップ」も開催してみました♪

wagonには作業用のテーブルまで付いているのです!


「お好み焼き的版画ワークショップ」とは石膏版画のことで、

絵を考えてもらったものに、インクを塗り、型をつくり、

そこに石膏を流し込み、

後は石膏が乾くまで待つだけというものです。

その工程がお好み焼き屋さんに似ているのです♪


小さいお子さんから、大人まで、

本当にたくさんの方々がワークショップを楽しんでくれました♪

家族みんなで参加してくれた方々も多かったです。

寒い中、ワークショップに参加してくれたみなさん、

見に来てくださったみなさん、

本当にありがとうございました。


次回のgallery wagonは、イラストレーターの工藤さんをむかえての開催です。

次回も楽しい内容を計画中ですので、

みなさん、ぜひ遊びに来てみてください。



第3弾:作家・工藤陽之
日時:12月6日(金)、7日(土)、8日(日)10:00-15:00
場所:JR弘前駅前周辺


(harappaスタッフ=太田)

2013年11月6日水曜日

【つむじ風】10号 「岩木には宵待草がよく似合う」


♪待てど暮らせど来ぬ人を

宵待草のやるせなさ♪


植物学的には、「マツヨイグサ(待宵草)」。夕刻に開花して夜の間咲き続け、よく朝には萎んでしまう。大正浪漫を代表する画家・詩人、恋多き竹久夢二のつかの間の恋の物語。その相手の女性は、他の人と結婚し、今は夫の出身地である和歌山県新宮市のお墓に共に眠っているという。


かつて、私の恋の相手であった和歌山出身の彼とは、いろんな映画を一緒に観た。映画監督志望だけに、いい映画ばかり教えてくれたのだと思う・・・偏っていたかもしれないが。そんな私の、日本映画のベスト3は、神代辰巳監督の「赫い髪の女」(中上健次の原作も大好きなことは言うまでもない)、田中登監督の「色情めす市場(まるひしきじょうめすいちば)」、黒木和雄監督の「祭りの準備」、のようだ。のようだ、というのは他にも沢山あるような気がするのだが、咄嗟に思いついたのは、この三本だったから。三本のうちの二本は、日活ロマンポルノ。裸さえあれば後は何をやってもいいと、若い監督たちが自由に映画を作れたのだという。


今まで、色んな要素が重なって「赫い髪の女」を一番だと思っていたが、もしかして「色情めす市場」が一番かもしれない。ロマンポルノとして観た場合は、「抜きどころがまるでない」、という理由から最低らしい。しかし、この映画、一度しか観ていないのに、この記憶力の悪い私の桃色の脳細胞に(名探偵ポワロ風に)、場面場面がこびりついたままである。特に、白痴の弟のあのシーン。春を売って釜ヶ崎で生きる姉。その姉を演じているのが芹明香で、「祭の準備」にも出ていた。


彼女は、『弘前りんご映画祭』で上映される、神代辰巳監督の「宵待草」にも出ている。この映画も、二人で借りたと思っていたのだが、私だけ観なかったのか、ただの記憶違いなのか、内容を覚えていない。これは、この機会にぜひとも観なければ。当時の弘前の様々な風景も映し出されているのだという。


出来れば、あの人と一緒に私の故郷で観たかったなぁ・・・なんてね。


♪今宵は月も出ぬさうな♪

(harappaメンバーズ=KIRIKO)

【harappa Tsu-shin】“ gallery wagon”


みなさんこんにちは。
暑い、暑いと思っていたのにあっという間に秋ですね!
冬が来る前にもっとお外でいろいろ楽しみたいですよね♪

今日はみなさんに、
harappaの新しいギャラリーを紹介したいと思います!
移動する屋台式ギャラリー“gallery wagon”です!!
寒さも吹き飛ばす元気いっぱいの黄色が目印です。

先週末はこの“gallery wagon”で、さっそくまちなかに繰り出してきました。

まず、11月2日(土)はまちなか情報センターへと!

道行く人も興味津々です!

11月3日、4日は吉野町緑地公園にて。
秋晴れの空の下、“gallery wagon”がとても映えています。

この日はcross.Sというイベントもあり、
たくさんの人に作品を見てもらうことができました。




2日目は少しの間だけ、雨が降ったりもしましたが、
テントをかぶせてなんとか無事に終わることができました。
移動はもちろん屋台式です。
この日は自転車専用通路でスムーズに帰ることができました。

そして今回、第1弾として作品展示を行ってくれたのは、
弘前大学教育学部美術専攻3年の吉谷拓海さんです。
「Curved Mirror」というテーマで、
弘前市内で撮ったカーブミラーを通して、
普段は気付きにくい弘前の風景を映し出してくれました。
いろいろな方からお褒めの言葉をいただき、照れていましたが、
とてもステキな展示だったと思います♪
準備していたポストカードもSOLDOUTになりました!

この3日間見に来てくださった方、本当にありがとうございました。
そして、今回見逃してしまったという方!
“gallery wagon”はまだまだ弘前市内を歩き回ります!
まちなかで見かけたらぜひ声をかけてくださいね♪


第2弾:版画家・橋本尚恣
日時:1122日(金)、23日(土)、24日(日)10:00-15:00
場所:弘前市土手町周辺

第3弾:作家・工藤陽之
日時:12月6日(金)、7日(土)、8日(日)10:00-15:00
場所:JR弘前駅前周辺



(harappaスタッフ=太田)


2013年10月31日木曜日

【越境するサル】No.120「『越境するサル』的生活 2013~<ブラザー軒>と<ドキュメンタリー映画祭>と~」(2013.10.27発行)


今年の「『越境するサル』的生活」は、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2013」を訪れた「ある1日」の報告である。

2年に1度開催されるこの映画祭についてはその都度『越境するサル』で報告してきた(※注1)が、今回は映画祭そのものについてより私の意識(それは「記憶」を含む)の流れを重視したいと思う。数ヶ月続いた仕事の重圧から少し解放されて自分を取り戻していく、その過程を記述することができればと思う。

「『越境するサル』的生活 2013~<ブラザー軒>と<ドキュメンタリー映画祭>と~」

10月12日、仙台7時40分発山形行き特急バス車中。ここしばらく読みふけっていた「半沢直樹シリーズ」の2冊目のページをめくる手を休め、私は前の晩訪れた仙台のレストラン「ブラザー軒」のことを思い出そうとしていた。   明治35年創業で、太宰治『惜別』(1945年)の会話にも登場するこの老舗は、現在中華料理レストランとして営業されている。その見事な味やレトロでしかもセンスの良さを感じさせる内装や蔦におおわれた外観についても語ってみたい気はするが、その時私が思い出そうとしていたのは、この店の名がそのまま題名となっているある現代詩の作品のことだ。

その詩は、宮城県亘理郡亘理町出身の詩人菅原克己(1911~88)の詩集『日の底』(1958年刊行)に収録されている。

東一番丁、/ブラザー軒。/硝子簾がキラキラ波うち、/あたりいちめん氷を噛む音。/死んだおやじが入って来る。/死んだ妹をつれて/氷水喰べに、/ぼくのわきへ。/色あせたメリンスの着物。/おできいっぱいつけた妹。/ミルクセーキの音に、/びっくりしながら/細い脛だして/椅子にずり上る。/外は濃藍色のたなばたの夜。/肥ったおやじは/小さい妹をながめ、/満足気に氷を噛み、/ひげを拭く。/妹は匙ですくう/白い氷のかけら。/ぼくも噛む/白い氷のかけら。/ふたりには声がない。/ふたりにはぼくが見えない。/おやじはひげを拭く。/妹は氷をこぼす。/簾はキラキラ、/風鈴の音、/あたりいちめん氷を噛む音。/死者ふたり、/つれだって帰る、/ぼくの前を。/小さい妹がさきに立ち、/おやじはゆったりと。/東一番丁、/ブラザー軒。/たなばたの夜。/キラキラ波うつ/硝子簾の向うの闇に。 (「ブラザー軒」・思潮社現代詩文庫49『菅原克己詩集』より)

フォークシンガー高田渡の代表作である「ブラザー軒」は、もちろんこの詩に曲をつけたものである。私は彼のアルバムやドキュメンタリー映画(※注2)でその曲に慣れ親しんできたが、しばらくの間高田渡のオリジナルであると思い込んでいた。菅原克己の詩だということを知ったときから、この詩人の存在が私の中で次第に大きくなっていった…

そして先月、ある作品と出会い、私の中の彼の存在はますます大きくなった。ちょうど仕事に押しつぶされそうになっていた時期である。詩の名は「マクシム」。詩集『遠くと近くで』(1969年刊行)に収録されている。

誰かの詩にあったようだが/誰だか思い出せない。/労働者かしら、/それとも芝居のせりふだったろうか。/だが、自分で自分の肩をたたくような/このことばが好きだ、/<マクシム、どうだ、/青空を見ようじゃねえか>//むかし、ぼくは持っていた、/汚れたレインコートと、夢を。/ぼくの好きな娘は死んだ。/ぼくは馘になった。/馘になって公園のベンチで弁当を食べた。/ぼくは留置場へ入った。/入ったら金網の前で/いやというほど殴られた。/ある日、ぼくは河っぷちで/自分で自分を元気づけた、/<マクシム、どうだ、/青空を見ようじゃねえか>//のろまな時のひと打ちに、/いまでは笑ってなんでも話せる。/だが、/馘も、ブタ箱も、死んだ娘も、/みんなほんとうだった。/汚れたレインコートでくるんだ/夢も、未来も……。//言ってごらん、/もしも、若い君が苦労したら、/何か落目で/自分がかわいそうになったら、/その時にはちょっと胸をはって、/むかしのぼくのように言ってごらん、/<マクシム、どうだ、/青空を見ようじゃねえか> (「マクシム」・思潮社現代詩文庫49『菅原克己詩集』より)

左翼活動と詩作と生活が交錯する菅原自身の人生を思い、少しだけ自分自身を重ね合わせ、私も呟いてみる。<マクシム、どうだ、青空を見ようじゃねえか>

いつのまにか、バスは山形市内に入っている。私は夢想を終了させ、読みかけの本をしまい、何度も何度も練り直したこれからの日程を反芻する…

8時51分、山交ビル前到着。すぐ裏のホテルに荷物を預け、いよいよ私の「山形国際ドキュメンタリー映画祭2013」が始まった。弘前のコンビニエンスストアで購入しておいた10枚つづりチケット引換券をジャケットの胸ポケットに入れ、最初の目的地である山形美術館へ向かう。歩いて20分ほどでたどり着くはずだ。

10時ちょうど、『A2-B-C』(2013年 イアン・トーマス・アッシュ監督)スタート。映画祭のいくつかの企画のうち、東日本大震災をめぐる15作品の上映とシンポジウムで構成された特集「ともにある」の1本である。

「ともにある」で上映される作品群は、私も関わっている弘前の自主上映会(それは震災と原発関連の上映会なのだが)の候補となる。そのこともあって、今回の映画祭のスタートはこの映画にしたかった。

『A2-B-C』は、原発事故後の子どもたちの甲状腺検査をめぐるドキュメンタリーである。題名にある『A2-B-C』の「A2」や「B」・「C」は検査の判定を示す。「A2」は急を要しないが経過観察を行うという判定だが、子どもたちの母親の不安や疑問は解消されない。答えが出ない、戦う相手が見つからない彼女たちの闘い…

12時10分、『標的の村』(2012 三上智恵監督)スタート。アジアの新人監督たちの登竜門「アジア千波万波」部門(19作品)の1本。会場は山形フォーラム。山形美術館から歩いて15分ほどだが、かなり慌ただしい移動だ。

『標的の村』は、沖縄・高江のヘリパッド基地反対闘争を描いた作品である。村を取り囲むその基地には、やがてオスプレイが配備される。ベトナム戦争当時、高江の住民たちがベトナムの村人役で訓練に駆り出されていた記憶と、現在の普天間基地封鎖の闘いが、つながり合うひとつの歴史として観客に示される。

制作は琉球朝日放送。監督は、琉球朝日放送開局からアナウンサー・キャスターを務めてきた三上智恵。テレビ放映された本作は、座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル大賞を受賞。今回91分の映画として、山形に乗り込んできた。

ラストにかけて、あちらこちらからすすり上げる音がもれてきた。皆、涙を流しながらこの映像に見入っている。何とストレートな、現在進行形の闘い…

15時、山形市民会館。山形フォーラムにほど近い市民会館小ホールで、昨年91才で逝去したクリス・マルケル監督の特集に参加。ベトナム反戦のオムニバス映画『ベトナムから遠く離れて』(1967)で知られる、クリス・マルケルの作品45本を上映する「未来の記憶のためにークリス・マルケルの旅と闘い」。

この回は短編3本を、同時通訳機を耳に装着しての鑑賞。

長期にわたる工場のストライキの様子を記録した『また、近いうちに』(1967) 。1967年10月21日、ベトナム戦争に反対する若者たちがペンタゴンに向けて行進する姿を記録した『ペンタゴン第六の面』(1968) 。
チリの軍事クーデターを連想させる『大使館』(1973) 。

2本目『ペンタゴン第六の面』の映像の緊張感と迫力は、予想以上のものだった。その弾圧の暴力性を記録し続ける闘い…

さて、ここまで長編2本と短編3本を鑑賞してきて、すべてが「闘いの記録」であることに改めて気付かされる。その「闘いの記録」とは、人々の日常生活まで丹念に追いかけ、被写体と信頼関係を築き、寄り添うように撮影を続ける、そのような「記録」だ。まるで、三里塚における小川紳介監督のように。あるいは、水俣における土本典昭監督のように。

思えば、このふたりの監督の存在が、山形国際ドキュメンタリー映画祭の原点である(ちなみに「アジア千波万波」部門最高賞の名は「小川紳介賞」)。そして、2年に1度山形を訪れ、弘前でのドキュメンタリー自主上映を模索する、私にとってもこのふたりの作品との出会いは原点であった…

1975年、土本典昭監督『不知火海』(1975)の自主上映に関わったのが、ドキュメンタリーとの最初の出会い。以後、大学祭での『パルチザン前史』(1969)自主上映や、組合分会での『海盗り』(1984)上映や、『水俣 患者さんとその世界』(1971)の学習会や、『偲ぶ・野重治ー葬儀・告別式の記録ー』(1979)についてのエッセー配信(『越境するサル』)(※注3)も含めて、土本典昭監督は常に大きな存在であり続けた。

1976年、小川紳介監督『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972)の自主上映に関わる。翌1977年、岩山大鉄塔が強制的に撤去され、それに抗議する行動が三里塚で行われる。その日(1977.5.8)、緊急に行われた集会・デモを機動隊は催涙弾等で攻撃、至近距離からガス弾を水平に打ち込まれた坂志岡団結小屋の東山薫さん死亡。彼の死は、ひとつの歌となり(「カオルの詩」、作詩は彼の両親、作曲高橋悠治)、私は加藤登紀子のアルバム「愛する人へ」でそれを聴いた…

すでに曖昧となった記憶を必死にたどりながら、私の意識はどこかに落ち着こうとする。

その後、小川紳介監督と小川プロは山形県上山市牧野に移住し、農業と大地を見つめる『牧野物語 養蚕編』(1977)や『ニッポン国古屋敷村』(1982)や『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1986)を作り上げていった。そこから「山形国際ドキュメンタリー映画祭」のスタートまで、私の中ではまっすぐにつながる。だから私は、この映画祭に、山形に、来たかったのだ…

19時、山形フォーラムでこの日最後の映画を観る。「アラブの春」関連映画7本を集めた企画「それぞれの『アラブの春』」の1本『気乗りのしない革命家』(2012 ショーン・マカリスター監督)。マカリスター監督は4年前(前々回の山形)、『ナオキ』(2009)で特別賞と市民賞を受賞した。

山形市内のパート労働者の生活を監督が伴走するように密着して記録した『ナオキ』は、いつか弘前で自主上映したいと考えている作品であり、そのマカリスター監督の新作ならば見逃すわけにはいかない。それに題名も気になった。

『気乗りのしない革命家』の主人公は、観光業者(案内人)のカイス。アラブの春を撮影しようとイエメンに滞在するマカリスター監督のガイドである彼は、反政府デモのためビジネスに打撃を受けている。それもあって彼は反政府デモに批判的だったが、革命への弾圧が激しくなるにつれ次第に変わっていく。『ナオキ』の時と同じように、マカリスター監督は事態に巻き込まれ、監督自身の身辺も少しずつ危険になっていく…途中からもう決意していた。この作品と『ナオキ』をセットで弘前で上映しよう…

夜、屋台村で弘前勢合流。牛串焼きと牛モツ鍋と芋煮を食べながら、その日の収穫について話す。自分が観ることができなかった映画の話に耳をすましながら、焼酎のお湯割りをすする。身も心も「旅モード」になりつつある自分に、つまり非日常の世界で「軽く」なりつつある自分がそこにいる。

少し酔った頭で、明日以降の計画について考える。

明日の日曜日は、グランプリの対象となる「インターナショナル・コンペティション」部門(15作品)に集中しようと決めていた。

まず、山形市中央公民館で『祖国か死か』(2011 ヴィタリー・マンスキー監督)。キューバのハバナが舞台というだけで、期待してしまう。たとえばフェルナンド・ペレス監督のドキュメンタリー『永遠のハバナ』(2003)や、オムニバス映画『セブン・デイズ・イン・ハバナ』(2012)。そこで描かれた、あるいは切り取られた、ハバナの街の記憶を私は思い出そうとする。

次は山形市民会館大ホールで『サンティアゴの扉』(2012 イグナシオ・アグエロ監督)。チリの現代史とアグエロ監督の家族史が交錯する、という。少し長いが、ついて行けそうだ。

続いて、同じ市民会館大ホールの『庭園に入れば』(2012 アヴィ・モグラビ監督)。パレスティナとイスラエルの現代史がテーマだ。

以上の3人の監督は、この映画祭では実績のある「巨匠」たちである。じっくりと腰を据えて鑑賞しなければ。

最後に『チョール  国境の沈む島』(2012 ソーラヴ・サーランギ監督)。ダム建設によりガンジス川に生じた中州の島チョール。そこはインドとバングラデシュの国境の島…かつてNHKでテレビ版が放送された作品だ。

そして月曜日は、フェースブックで知り合ったある家族の虚構をめぐる『キャットフィッシュ』(2010 アリエル・シュルマン監督、ヘンリー・ジュースト監督)。「6つの眼差しと<倫理マシーン>」という企画の中の1本。これを観たらすぐ、特急バスで仙台に向かう。

屋台村からホテルへ向かう足取りは、疲れがたまっているにもかかわらず、軽かった。いい1日だった、と思う。今日は雨を気にしながら市内を歩いたが、明日は青空が見えるかもしれない。やっとまた、空を見上げることができるような気持になっていた。明日、青空が見えたら、菅原克己を気取って、もう1回呟いてみよう。<マクシム、どうだ、青空を見ようじゃねえか>

こうして、1日が終わった。

(※注1)
「山形国際ドキュメンタリー映画祭」については、過去3回レポートしている。
No.33「山形国際ドキュメンタリー映画祭を体験する」(2005年)
No.61「再び山形、ドキュメンタリー映画の都へ」(2007年)
No.98「旅のスケッチ 山形・映画祭の日々」(2011年)

なお、No.98は次をクリックせよ。
http://harappa-h.org/modules/xeblog/index.php?action_xeblog_details=1&blog_id=468

また、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2013」については、次をクリックせよ。
http://www.yidff.jp/home.html
 
(※注2)
かつて高田渡について書いた『越境するサル』バックナンバーを、<付録>として載せる。

<付録>
『越境するサル』No.75(2009.1.26発行)

2005年4月、北海道ツァー中に倒れたフォークシンガー高田渡が死んだ日、ちょうど彼の歌を友人と聴いていた。酒を飲みながら。死を知った後、彼のドキュメンタリー映画の存在が気になった。いつか観たいものだとずっと思っていた。

2008年10月、その映画『タカダワタル的』(2003年、公開は2004年)のDVDをようやく手に入れた。ここから私は、断続的に高田渡の世界に浸るようになった。
 
「『タカダワタル的』世界に浸る」

…1970年8月、中津川フォークジャンボリーのステージで「ごあいさつ」(詩:谷川俊太郎)を読み上げる若き日の高田。この映像から映画は始まる。

33年後、2003年5月5日、「下北沢ザ・スズナリ」。ここでのライブが映画の主要な舞台となる。やがて高田が登場し、「仕事さがし」を歌い始める。

続いて京都「拾得」でのライブ風景、歌は「ねこのねごと」。さらに喫茶「六曜社」の映像…

1968(昭和43)年、「自衛隊に入ろう」で注目を浴びた高田渡は、翌1969年、第1回全国フォークジャンボリーに出演する。この年レコードデビュー、20歳だった。

以後、2005(平成17)年4月16日、56歳で亡くなるまで30数年間、全国各地を旅して歌い続けた。

…再び「ザ・スズナリ」。マリー・ローランサンの詩(堀口大學訳)に曲をつけた「鎮静剤」を歌う高田。

吉祥寺の街を歩く高田。伝説の焼鳥屋「いせや」…

監督はタナダユキ(1975年生まれ)。脚本家・女優としての顔も持つ、若手の注目株だ。監督作品としては『月とチェリー』(2004年)、『百万円と苦虫女』(2008年)、『俺たちに明日はないッス』(2008年)等。『さくらん』(2007年)の脚本も彼女が担当した。

2003年、30数年来のファンを持つ高田の映画の監督に、あえて起用された。

…青山でのライブ(歌は「酒心」)から、吉祥寺音楽祭(歌は「値上げ」)の映像へ。父のステージでペダル・スチール・ギターを担当する息子・高田漣が登場し、父・高田渡について語る…

高田が自らの人生について語った『バーボン・ストリート・ブルース』(2001年、山と渓谷社・2008年、ちくま文庫)には、詩人で共産党員だった彼の父の生い立ち、父との貧乏生活、父の影響や現代詩との出会いなどが綴られている。

息子・高田漣に刻み込まれた「父・高田渡」を垣間見る時、私たちは親子三代の系譜のようなものを意識してしまう。

…「ザ・スズナリ」リハーサル風景から本番の「魚つりブルース」へ。高田宅での飲み会の映像をへて、2003年5月4日の春一番コンサート。

ここから私たちは、彼の歌とじっくり付き合うことになる。「69」から高田の代名詞のような野宿の歌「生活の柄」、タカダワタル的世界に私たちは引き込まれていく…

「69」は金子光晴の詩を、「生活の柄」は山之口貘の詩をもとにして曲を付けた歌である。

高田は多くの現代詩に曲を付けている。吉野弘、石原吉郎、金子光晴。永山則夫の詩もある(「みみず」)。とりわけ傾倒したのが山之口貘で、「生活の柄」をはじめ「結婚」・「鮪と鰯」・「告別式」など多くの山之口作品を歌にしている(多少改作して)。作られたのは1970年前後が多いが、1999年、ミュージシャンたちが貘の詩に曲を付けた作品を集めたアルバム『貘』を監修している。

この沖縄生まれの詩人の存在が、高田の中でいかに大きかったかがわかる(※注)。

…「ザ・スズナリ」。名曲「ブラザー軒」、私たちは父と妹の亡霊が仙台の食堂で氷水(かき氷)を食べる話(歌)に聴き入る。まるで高田自身の物語を聴くように。そして「私の青空」。ステージの向こうに青空が見えるかのようだ。

もう私たちは彼の世界に浸りきっている。いつまでも、このまま、歌を聴き続けていたいと思う。

アンコール曲は「ごあいさつ」。映画のエンディングには、再び「私の青空」。タカダワタル的世界は続く…

昨2008年、私にとって「高田渡再発見の年」とも言うべき動きがいくつかあった(前述の『バーボン・ストリート・ブルース』文庫化の他に)。

まず、彼の30数年に及ぶライブの記録を編集したCD『高田渡、旅の記録・上巻』が発売された。私は最近入手したのだが、これらの記録が残されてあることは感動的ですらあった。私たちは何度も何度も彼と出会えるのだ。

次に『週刊金曜日』2008年9月5日(717号)の特集「高田渡を語る」。森達也、山口泉(山之口泉、山之口貘の長女)、井上陽水、小室等、佐高信、なぎら健壱の文章や語りが収録されているが、私がこの年に入れ込むきっかけとなった特集である。

そして、『タカダワタル的』の続篇として制作されたドキュメンタリー映画『タカダワタル的ゼロ』(白石晃士監督)の全国公開。2001年大晦日ライブ(下北沢ザ・スズナリ )の映像を中心に編集されたこの映画は、前作『タカダワタル的』を凌ぐ傑作であると評価されている。いま、無性に、この映画を観たいと思っている。

実は、『タカダワタル的ゼロ』と出会う(それが自分の手による自主上映であればと夢想することもあるのだが)ための準備、というより決意表明のようなつもりでこの通信を書いている。

いつか、一緒に映画を観る仲間を募る。

(※注…「『タカダワタル的』世界に浸る」の注)
高田が自らの人生を重ね合わせた詩人山之口貘(1903~1963)の作品は、詩78篇・自伝的小説2篇・詩論随筆12篇が収録された『山之口貘詩文集』(1999年、講談社文芸文庫)で読むことができる。

(※注3)
No.89「土本、中野重治の葬儀を撮る」 (2010年)は次をクリックせよ。
http://harappa-h.org/modules/xeblog/?action_xeblog_details=1&blog_id=315

 <後記>
菅原克己の詩と山形国際ドキュメンタリー映画祭。この秋、私にとって大切だったものだ。このふたつについて書くことが重要だった。
次号を11月に出せればいいのだが…

2013年10月19日土曜日

【つむじ風】 9号 「あたまを空っぽにして、五七五」

先日、中野もみじ山のライトアップを見に行った。紅葉がまだまだだったので、まさにその通りだった。そう、ライトアップで赤く染まったもみじを見てきた。これはこれで、なんか楽しかった。句碑もたくさんあるし、見頃になった頃、次回は昼に出掛けたいと思う。

そんな昨日は、岩木山と八甲田山で初冠雪。



そして、今日から始まった「弘前城 菊と紅葉まつり」は、11月10日まで。

あさっての日曜日は、「弘前市民俳句大会」がある。これは、大会の前に公園を自分で歩いて、俳句を作って発表するというもの。俳句は、楽しいよ。

最近、『知識ゼロからの俳句入門』を読み直しているが、この中の「アルファベットや記号が斬新な句にする」から、面白い句を紹介させていただく。

Qの字の混み合つてゐる蝌蚪の池   佐々木ふみ
(きゅうのじのこみあっているかとのいけ)

「 」夏のかけらを切り取って    武田典子
(かぎかっこなつのかけらをきりとって)

・・と・・・と雪がふる      金城敬太
(てんてんとてんてんてんとゆきがふる)

シナリオ本も買ったくらいに大好きだった、森田芳光監督・薬師丸ひろ子主演の角川映画「メインテーマ」。この中で忘れられない場面が、「セクシーになるってどういうことですか?」と聞く薬師丸のあたまを小突き、「あたまを空っぽにすることよ」と桃井かおりが答えるとこ。これって、いろんなことの答えのような気がする。

さて、弘前市民俳句大会のご案内

日時:1020()1230分受付開始
会場:弘前市民参画センター3(桜大通り)出句:弘前公園吟行3句
締切:1時厳守
会費:1000円
選句:特別選と一般参加者の互選。


皆さんも、あたまを空っぽにして、五・七・五、いかが?

 (harappaメンバーズ=KIRIKO)

2013年10月2日水曜日

【映画時評】#42「生きるに値する世界 ~宮崎駿監督の引退表明に思ったこと~」



個人的なことを書くのをお許し願いたい。
庭に「トトロの木」と名づけて大事にしている桑の木がある。
虫が付きやすく、周りからは面倒だから切ってしまったらとも言われるのだが、
大切にしているのは次の理由からだ。
宮崎駿監督の『となりのトトロ』をご覧になった方は、
一晩のうちに種子が芽を出し、
あっという間に大木に成長する場面を覚えていらっしゃるだろう。
庭に桑の木を植えた記憶はない。
鳥が運んできたのだろうか、あるいは風が種子を運んできたのだろうか。
少しずつ大きくなった記憶もなく、気が付いたときにはそこに育っていたというのが、映画のシーンを思い出させたのだった。
 
7月に『風立ちぬ』を公開したばかりの宮崎監督が引退を表明した。
引退記者会見をテレビで見ていて思ったのは、ある年齢を超すと、
自分の人生の残り時間を考えざるを得ないということだ。
そして、その時間をどう過ごすかは本人の問題だ。
宮崎監督は、『風立ちぬ』は5年ぶりの新作ではなく、
5年もかかったと語っているが、もし次の映画に取り掛かれば、
公開するまでには、これから5年とか6年の時間が必要だろう。
宮崎はスタジオジブリで、『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』まで、
29年間で10本の長編アニメを撮った。
直近の4作の間隔を見ると、『千と千尋の神隠し』から『ハウルの動く城』までは3年、『崖の上のポニョ』までは4年、そして『風立ちぬ』までは既に書いた通り、5年を要している。
その時間を主として「三鷹の森ジブリ美術館」のために使いたいというのが、
自身を映画監督ではなく、アニメーターだとする宮崎の引退の理由だった。
宮崎の映画には浮遊感が漂う。
空中戦や飛行船、空に浮かぶ城、空飛ぶ箒、天駆ける竜はもちろん、
『となりのトトロ』では夜空の猫バスに加えて、トトロのお腹の上で少女は心地よい浮遊感を味わったはずだ。
『崖の上のポニョ』でさえ、少女が魚の背中を飛び移る魅力的なシーンには、
まるで波乗りのような浮遊感を覚えたものだった。
空を飛ぶこととそれがもたらす浮遊感は、宮崎にとっては常に描くべきテーマであった。

宮崎が別の人生を選んだなら、それは飛行機や飛行船の設計者ではなかっただろうか。
だから『風立ちぬ』でゼロ戦の設計者である堀越二郎の人生を描いたとき、
宮崎は一定の達成感を得たとぼくは考えるのである。

引退記者会見で印象深い発言があった。
それは、宮崎の出発点が児童文学であり、「この世は生きるに値するんだ」ということを、子供たちに伝えたいというものだった。
それはこれまでの、そしてこれからの彼の仕事の方向を示しているだろう。
とは言え、宮崎の映画は子どもたちだけのものではない。
むしろ少年や少女の心を持ち続ける大人に向けて作られてきた。
彼の映画に現れる破壊や殺戮の場面、あるいは『風立ちぬ』で批判された喫煙シーンは、表面的なことに過ぎない。
映画の裏に潜むものを見逃してはならない。
今ぼくは、宮崎駿の映画をまとめて見たいと思っている。
 
(harappa映画館支配人=品川信道)[2013年9月17日 陸奥新報掲載]


2013年9月27日金曜日

【つむじ風】8号 「秋の朝」


 幼い頃より、うちで商売をしていた両親は忙しく、誰かの誕生日やらで外食する以外は、家族そろっての食事は滅多になかった。そんな私の食事相手は、テレビが多かった。これは悲しいことではなく、嬉しいことだった。

 今ではテレビは全く見なければ見なくてもいいのだが、面白いドラマを見てしまうと、見なくちゃいけない、続きが見たい、という気持ちにさせられる。知らなければ知らないで過ごせる。しかし、嘘から本当から情報の多いこの世の中、話題になっていることは、嫌でも目に耳に心に入ってくる。
 

そう、朝ドラこと連続テレビ小説「あまちゃん」

 実は、私はしばらく見ていなかった。脚本家の宮藤官九郎も言っていたが、話題になっているものは見たくないという天邪鬼な気持ちもあった。一回目を見逃してしまったのも原因である。でも、母は毎日見ていたようで、「キョンキョンの洋服いいわよ」なんて言っていたし、知人には一日三回見ているという人がいて、気になっていた。
 

そして、だいぶ後になってから見始めて、時には一日三回見るようになった。いやぁ、想像以上に面白かった。アキちゃんファンには悪いし豪華な役者陣だが、なによりも、小泉今日子と薬師丸ひろ子のツーショットのインパクトが強すぎ。私は、途中から見たにわかファンなのでお許しを。 キョンキョンはもちろん、ひろ子ちゃんはまさに角川映画全盛期の私たちのアイドルだったのでしょうがない。天野春子と鈴鹿ひろ美は、私より少しお姉さんである。しかし、ほとんど同世代。キョンキョンはアイドルの反逆者でありながら、アイドルを貫き通す希有な存在だと思う。あの、刈上げカットは今でも忘れられない。ひろ子ちゃんの唄は、いまだに時々歌わせてもらっている。

 私も、若い頃に母が演劇をやっていたこともあって、女優に憧れた時期もあった。しかし、人前で話すとすごく緊張するので、無理だなと思った。今も、やりたいことは沢山ある。私のだいたいの年はご想像いただけると思うが、雌の白文鳥と一緒に住んでいる、まだ暗中模索中の夢を見続けている、にがちゃんである。

 さて、明日はあまちゃんの最終話。どうなることやら。私は、冬子が登場すると睨んでいる。春子、夏、アキ(秋)、・・・だもの。そして、私は続篇反対派。にわかファンだし、今までの分を最初から見るという楽しみ方も出来る。とにかく、元気をくれるドラマである。じぇじぇじぇは、今年の流行語大賞だろうね。

(harappaメンバーズ=KIRIKO) 

2013年9月19日木曜日

【越境するサル】特別号「1979年へ ~同時代史叙述の試み~ (下)」(2013.9.19発行)

「1979年へ ~同時代史叙述の試み~ 」、3回目の配信は6と7と「まとめ」。大江健三郎・中野重治・土本典昭への言及は、『越境するサル』のスタートから続いているテーマだ。彼らの「1979年」を語った後、「1979年へ」シリーズは中断している…

「1979年へ ~同時代史叙述の試み~ (下)」 

6 大江健三郎の70年代 (2008.11.3発行『越境するサル』№72) 

2008年4月以降、1979年の『同時代ゲーム』に至る70年代の大江作品を集中して読んでみた。『沖縄ノート』を含めたこの<大江体験>によって、1970年から現在に至る大江の軌跡が、自分の中でひとつにつながったように感じた。

1979年、大江健三郎は書き下ろし長編小説『同時代ゲーム』(新潮社)を発表する。神話学や文化人類学などに対する著者の関心が作品化された本作は、現在に至るまで大江の作品世界の骨格をなす「村=国家=小宇宙」(以下「村」とする)が本格的に創造された画期的作品である。

『同時代ゲーム』の主人公「僕」は、四国のある村の神主の息子である。彼は生まれる前から「村」の神話と歴史を書くことが決められており、彼の双子の妹もまた生まれる前から創建者「壊す人」の巫女となることが決められていた。紆余曲折の末、「僕」は「村」の歴史と創建の神話を妹に宛てた手紙という形式で書くことを決意する。こうして、6つの手紙で構成された壮大なスケールの「偽史」が叙述されていく。

幕藩体制下、四国の小藩から追放された人々が「壊す人」に率いられ海から川を遡って切り拓いた新天地。そこで彼らは農耕を始め、「壊す人」は巨大化して百年生きるが、やがて人々に暗殺される。しかし彼は再生と死を繰り返し、やがて大日本帝国との五十日間戦争を指揮する…この時空を超えた物語と兄妹の物語が錯綜しながら、『同時代ゲーム』はひとまず結末へ向かっていく。

ところで、私が『同時代ゲーム』を読むきっかけとなったのは、蓮實重彦の著書『小説から遠く離れて』(1989年)との出会いである。

蓮實はこの評論の中で、『同時代ゲーム』の他に村上春樹『羊をめぐる冒険』(1982年)・井上ひさし『吉里吉里人』(1981年)・村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(1980年)・石川淳『狂風記』(1980年)・丸谷才一『裏声で歌へ君が代』(1982年)・中上健次『枯木灘』(1977年)を取り上げて分析し、これらの長編小説たちの次のような類似を指摘する。「双子」(もちろん「双子的」という意味だ)が黒幕的人物から「依頼」され「宝探し」を「代行」する。これがこの一群の「物語」の基本パターンである。

この評論に導かれるように、私はこれらの長編小説群を読み始めた。中でも『同時代ゲーム』の読後の昂揚感は圧倒的であり、以後長編小説に対する抵抗感が薄らいだという意味でも忘れられない作品である。また、私の大江への関心の原点ともなっている。

ここで、『同時代ゲーム』に至る1970年代の大江の小説作品をひとつひとつ見ていきたい。

1971年、「みずから我が涙をぬぐいたまう日」(『群像』10月号)と「死滅する鯨の代理人」(『新潮』11月号、のち「月の男」)の2本の中篇をに発表。この2篇は翌1972年、単行本『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(講談社)して出版される。

その冒頭の序文「二つの中篇をむすぶ作家のノート」には『セブンティーン』第二部「政治少年死す」(1961年)末尾の詩の一節<純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する>が引用され、この2篇が「純粋天皇」のテーゼをめぐる作品であることが示されている。それは、1970年11月25日の三島由紀夫割腹自殺を明らかに意識していると、読者に思わせるものだ。

「みずから我が涙をぬぐいたまう日」の主人公は、自分を肝臓癌だと信じ死を予感する男。彼は自分の生涯を妻(文中では「遺言代執行人」や「看護婦」と呼ばれる)に口述筆記させている。その内容は、彼の父が敗戦直後に徹底抗戦を企てる軍人らの指導者として決起し、市街戦で殺されてしまった記憶が中心となっている。作中、涙をぬぐってくれる「あの人」すなわち天皇と父が一体化し、「誤読」されやすい難解な作品とされる。

「月の男(ムーン・マン)」は、NASA有人宇宙基地から脱走した「ムーン・マン」とその同棲相手の「女流詩人」さらには「活動家」や「鯨学者」たちと主人公の「僕」とのドタバタ劇のような交流を描いた作品。アポロ11号打ち上げ、反捕鯨やエコロジカルな運動などが描かれているが、そこに「あの人」(つまり天皇=父)をめぐるテーマを絡ませている。

2篇の刊行は、天皇制と三島由紀夫事件を主題としていくことの宣言であり、三島の『憂国』(1961年)や『英霊の声』(1966年)と対になるべきものであると私には思われた(※注1)。

1973年、書き下ろし長編小説『洪水はわが魂に及び』(新潮社)発表。

主人公は、鉄筋コンクリート3階建の核シェルターに住む大木勇魚と5歳の息子ジン。勇魚は樹木や鯨の魂に呼びかける彼らの「代理人」を自任し、ジンは障害を持つ子供だが50種類の鳥の声を識別する耳の持ち主である。

このふたりの生活に、近所の映画撮影所跡に住む「自由航海団」の若者たち(当初は不良少年たちのように描かれる)が入り込む。彼らと接するうちに、勇魚も「自由航海団」(大災害に備え海に逃げるための船を準備している)に「言葉の専門家」として加わり、やがて内部の殺人事件から国家権力に追及され核シェルターに立てこもった彼らと運命を共にし、包囲する機動隊の放水と鉄球の攻撃を受ける。

リーダーの喬木、少年たち、「ドクター」、裏切り者として殺されるカメラマン「縮む男」、ジンの養育係をつとめる野性的で母性的な少女伊奈子・・・彼らの個性の描写と物語のテンポは、大江作品の中では例外的といえるほど生き生きとしたものだ。自分を滅ぼし、息子のジンを含めた何人かの者を生きのびさせる勇魚の姿に、「終末」に向けた大江の祈りのようなものが伝わってくる。

なお、この小説の執筆の過程で「連合赤軍内部リンチ事件」が起こったため、「連合赤軍」を先取りした内容(手を入れざるをえなくなった)が注目された(※注2)。

1976年、長編小説『ピンチランナー調書』を雑誌(『新潮』8~10月号)に連載。

主人公は、放射能被曝者で元原子力発電所技師「森・父」と頭蓋骨の欠損をプラスチックで覆っている息子「森」。この「森・父」に依頼された作家の「僕」は、彼らの新しい冒険を「ゴースト・ライター」として記録し続ける。

「森・父」は、10年前に再処理工場から核物質をトラック移送している途中「ブリキマン」たちに襲撃され、その際こぼれた液体によって被曝した。その後生まれた息子「森」と「森・父」は新しい冒険の中で年齢が「転換」する。さらに革命集団「ヤマメ軍団」の登場、反原発の集会、敵対党派のなぐりこみ、原爆私有をねらう「大物A氏」と 「森・父」の確執等々、荒唐無稽な展開の中に、障害を持つ子と父の一体化や革命党派同士の憎悪など奇妙なリアリティを感じさせる小説である。

さて、こうして大江は1979年の 『同時代ゲーム』にたどり着く。

見てきたように、70年代における大江の格闘の対象は「三島」であり「天皇」であり、さらに本人の意図かどうかはともかく「連合赤軍」であり革命党派同士の「内ゲバ」であった。それに、障害を持つ子との「共生」というテーマが絡み合い、現在に至る大江の文学の骨格が出来上がっていく。その過程を私(たち)は大江の70年代に見る。そしてその物語(『同時代ゲーム』の物語も含めて)は、何度も何度もくり返される。
 
このあと私(たち)は、「村=国家=小宇宙」作品群の頂点(かつ大江文学の到達点)ともいうべき『懐かしい年への手紙』(1987年)に向かって、彼の足跡を追うべきだろう。

(※注1)
『新潮』2008年8月号に掲載された小林敏明「想像される<父>とその想像的殺害ー大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』を再読する」は、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(以下『みずから…』と略記)を丹念に分析した秀逸な評論である。
小林敏明はこの中で、『みずから…』が三島由紀夫と大江健三郎の「天皇」をめぐる真摯な格闘の末の作品であり、大江の最新三部作にいたるまですえられている、回帰していかざるをえない原点的モティーフであるとしている。そして『みずから…』が単なる三島批判の作品ではなく、二人が政治的立場を異にしながらもきわめて接近した部分を持っていたことを明らかにしている。

(※注2)。
2008年7月、若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)を観た(「盛岡フォーラム」)。『洪水はわが魂に及び』(以下、『洪水は…』と略記)を読んだのが4月から5月だったので、映画を観ながらどうしてもこの小説のストーリー・構成との相似が気になった。もちろん、「事件」そのものが閉鎖的な集団が行き着く結末を典型的に示している、ことがこれらの類似の原因である。「事件」を「実録」として丹念に映像化した若松作品は、『洪水は…』とともに「連赤」をめぐる重要な「批評」であるといえるだろう。


7 土本、中野重治の葬儀を撮る (2010.7.24発行『越境するサル』№89) 

2008年に亡くなったドキュメンタリー映画監督土本典昭は、1979年、『偲ぶ・中野重治ー葬儀・告別式の記録ー1979年9月8日』(以下、『偲ぶ・中野重治』)という作品を製作している。長い間、上映会等で出会いたいものだと考えていたが、なかなかその機会は訪れなかった。

2010年に入って思い切ってDVDを購入し、早速鑑賞した。土本典昭と中野重治、それぞれの作品に影響を受けている私にとって、大きな意味を持つ体験であった。しかも「1979年」である。

『偲ぶ・中野重治』は、1974年、神山茂夫の告別式における中野の弔辞のシーンから始まる。その中で中野は、「史実偽造、事実の抹殺に対して、いろいろな事を記録に残してほしい」と訴える。そして音楽(ゲオルグ・ザンフィル「パン・パイプ」)をバックに、中野の経歴と作品歴が示される…

1979年9月8日、東京青山葬儀場。壇上に置かれた遺骨、遺影、「中野重治全集」。小田切秀雄が司会をつとめ、8人の弔辞が続く。 山本健吉、国分一太郎、尾崎一雄、石堂清倫、臼井吉見、桑原武夫、宇野重吉、本多秋五。

「中野は羞恥心を持ち合わせていた」と語る山本、「本来来てよいはずの人が告別式に来ない」と語る国分、「立場の違いから批判されたが、近年病床の自分を見舞ってくれた」と語る尾崎、こみ上げる悲しみに弔辞を中断し中野の19歳のときの句を詠む石堂、「中野は、上質の人間的なものに対する心からの感動と、下等で非人間的なものに対する本能的な憎しみを持ち合わせた人だった」と語る臼井、「中野は、誠実と心のあたたかさ、戦う意志が渾然一体となった人物」と語る桑原、選挙の手伝いをした頃の想い出を語る宇野、「晩年は親鸞のようだった」と語る本多。

友人総代・佐多稲子による病状経過報告、喪主原泉の挨拶。ふたりはずっと手を握り合っている。

献げられたほおずきの実、朗読「雨の降る品川駅」、会葬者の群れ、さらに中野自身の朗読「わたしは嘆かずにはいられない」、故郷・丸岡町の墓所・・・映画はここで終了する。55分。
 
戦後日本共産党の文化部門の「顔」であり、「新日本文学会」のリーダーであった中野重治の晩年は、自らがその人生の大部分を献げた日本共産党からの除名という事件に大きく規定された。

除名処分に対する異議申し立てと党に対する批判的論説・行動、それが除名された1964年以降の中野の日々のほとんどすべてである。もちろん「全集」という形での文学的達成も、晩年の日々になされたのではあるが…

『中野重治全集』(筑摩書房、全28巻)別巻「年譜」を頼りに、中野の略歴を追いかけてみる。

1902(明治35)年福井県に生まれた中野は、金沢の旧制四高を経て22歳で東京帝国大学に入学(文学部独逸文学科)、同人誌を中心に詩作を続ける。その一方「新人会」でマルクス主義を学び、日本プロレタリア芸術聯盟・全日本無産者芸術聯盟に参加、『戦旗』の創刊・編集にも関わる。

1928(昭和3)年以降何度か逮捕される(この間、原泉と結婚、1931年には日本共産党入党)が、1934(昭和9)年「転向」して出獄、以後敗戦まで当局の監視を受ける。

1945(昭和20)年、日本共産党に再入党。以後、「アカハタ」文化部長、参議院議員、「新日本文学会」書記長と表舞台で活躍するが、所感派と国際派に党内が分裂した1950(昭和25)年のいわゆる「五〇年問題」(中野は国際派に属した)以降離党に至るまで、党内問題ではつねに非主流派的な立場に追いやられた。

1964(昭和39)年、日本共産党は部分的核実験停止条約に反対する党の決定に従わないことを理由に神山茂夫・中野重治の除名を決議。両名はこの決定を不当として共同声明を発表。その後両名は「日本共産党(日本のこえ)」の結成に関わる。

その間の党との軋轢を描いたのが、1964年から1969(昭和44)年にかけて書かれた長編小説『甲乙丙丁』である(※注)。

その他の代表作として、『中野重治詩集』(1931年)、『歌のわかれ』(1940年)、『むらぎも』(1954年)、『梨の花』(1959年)がある。

さて、ここまで記してきた中野重治の人生と、ドキュメンタリー映画作家土本典昭の人生がどこで交錯するのか。中野が、土本の水俣についての映画を高く評価していたことはたしかだ。だが、土本が中野を記録しようとしたのは何故か。このことを私なりに解明(というより納得)しようというのが、今回の通信の目論見である。

土本典昭・石黒健治共著『ドキュメンタリーの海へー記録映画作家・土本典昭との対話ー』(2008年、現代書館)巻末の「年譜」を頼りに土本の略歴を追いかけてみる。

1928(昭和3)年岐阜県に生まれた土本は、1946(昭和21)年早稲田大学専門部法科に入学(3年後、第一文学部史学科に再入学)、1947(昭和22)年「二・一スト」後に日本共産党に入党、全日本学生自治会総連合(全学連・武井昭夫委員長)の活動家として活躍する(全学連副委員長、財政・機関紙担当)。

1950(昭和25)年、コミンフォルム批判を受けて日本共産党が所感派と国際派に分裂した際は国際派に属した。そのため、翌年の国際派追放の流れの中で、武井委員長とともに副委員長の地位を追われる。

1952(昭和27)年、早稲田大学除籍。「山村工作隊隊員」として東京・小河内村へ行くが、小河内事件で逮捕、以後3年間裁判闘争を続ける(日本共産党党籍離脱は1957年)。

1956(昭和31)年、岩波映画製作所に臨時雇員として入社。翌年退社するが、以後フリーランスの立場で同社で記録映画(TVとPR映画)の演出を続けるとともに、羽仁進監督のスタッフとして働く。

1963(昭和38)年、長編ドキュメンタリー第1作『ある機関助士』、翌年第2作『ドキュメント路上』発表。60年代はその後、『留学生チュアスイリン』(1965年)、『シベリヤ人の世界』(1968年)、『パルチザン前史』(1969年)と続く。

70年代は、土本の代名詞となった「水俣」と関わり合った10年間と言うべきだろう。1970年撮影に入り、1971(昭和46)年、『水俣ー患者さんとその世界ー』発表。この作品を携えて3ヶ月、ヨーロッパを上映行脚。

以後、『水俣レポート1 実録 公調委』(1973年)・『水俣一揆ー一生を問う人びとー』(1973年)・『医学としての水俣病ー三部作ー』(1974年)・『不知火海』(1975年)と大作・秀作を作り続け、『わが街わが青春ー石川さゆり水俣熱唱ー』(1978年)に至る。

そして1979年、天草をロケハンしている途上、土本は中野の訃報をテレビで知る。葬儀の日に間に合うことがわかった土本は「有志の会」を急遽結成し、仲間の映画人と連絡をとる。こうして中野の葬儀は撮影された…
 
ここまでふたりの略歴を追いかけてきたが、こうして表に出ている人生を比較しただけでもいくつかの接点があることがわかる。

戦前の弾圧で「転向」を選択したが、時代の制約の中その後も書き続け、戦後は日本共産党に再入党しオピニオンリーダーとなる中野。戦後日本共産党に入党し、全学連の活動家として活躍した土本。

「五〇年問題」ではともに反主流派(国際派)に所属したふたり。中野はその後も非主流派として党内に残るが、1964年除名。土本は「不満分子」として(懲罰的意味合いもあったというが)「山村工作隊」に編入され逮捕、1957年党籍離脱。

文学者である中野、映画監督である土本、それぞれにとって「党」は愛と憎しみの対象であり「政治」(「革命」)は本来第一義的なものであった。しかし彼らふたりは表現者として生きた。「今の生き方は違う」という意識はあったにせよ、だ。

『偲ぶ・中野重治』の冒頭、「これは記録のために作った映画である」と字幕が出る。そして「史実偽造、事実の抹殺に対して、いろいろな事を記録に残してほしい」と訴える中野自身の映像が続く。

「党史」から消えた人々や事実を記録しなければならない。むろん「党史」だけに限るわけではないが、土本は使命感をもって「記録」に向かう。土本典昭・石黒健治共著『ドキュメンタリーの海へー記録映画作家・土本典昭との対話ー』の中で、土本はこの映画の製作動機について次のように語っている。

「あれだけの芸術家として人生を全うした人だったら、僕らの常識では、全国の人民とは言わないまでも、共産党をはじめ革命家の手によって厚く葬られるのが当然だと思うけど、共産党の指導部や幹部は<反党分子>として彼の葬儀には参加しない。まあそうなるかなとは思ったけど、党のそのときの考え方によって、革命家としての履歴を持った人が無視され、記録されないのはおかしい。それなら一矢報いよう、という思いはありました。」

中野の葬儀自体は、大手出版社の葬儀担当者が取り仕切った「ブルジョア化した葬儀」(と土本は言う)に過ぎない。だが、8人の弔辞の見事な切り取り方をはじめ、この映画の印象は(つまり表現は)、土本の作品の中でもひときわ鮮烈さを放っているように見える。
それが何故なのか、そして80年代の土本作品にどうつながっていくのか。いまの私には、まだそこまで展開することはできない。

(※注)
   『越境するサル』№1「記憶へ歩き続ける男」参照。

 8 とりあえずの「まとめ」として 

私の個人通信『越境するサル』で不定期的に発信された「1979年へ」シリーズは、どこへ向かうのかわからないまま中断された状態になっている。

今回ここで発表するにあたり、これまで通信として発信してきたものをひとつにまとめて体裁を整えてみたが、補足を加え、今後の見通しなどについて若干ふれてみたい。

1979年7月。私自身の教員生活は順調に進んでいた。本州最北端の町の定時制高校。全校生徒20数名の生徒たちとともに、文字通り「生活」していた。それはまるでドラマや映画の中の「小さな分校」の物語のようで、私は日々小さな興奮を覚えながらこの新生活にのめり込んでいたのだ…

まず、書かれるはずだった1979年の後半の簡単な記述(「クロニクル 1979年7月~12月」)を試みる。1月から6月に比べ私の記憶は曖昧となり、他の年との区別がだんだんとなくなっていく。

7月17日、中央アメリカ・ニカラグアのソモサ大統領、辞任してアメリカへ亡命。サンディニスタ民族解放戦線による左翼政権誕生。

8月15日、カンボジア人民共和国政府(ヘン・サムリン政権)がポル・ポト政権の犯罪を追及する人民革命法廷を開く。19日、ポル・ポトとイエン・サリに死刑判決(欠席裁判)。

9月7日、衆議院本会議で内閣不信任案が提出されたが、大平首相は解散権を行使し衆議院解散。10月7日、総選挙。自民党過半数を割るが、保守系無所属の入党によりかろうじて過半数を確保。自民党内派閥抗争が激化し「四○日間抗争」始まる。
  9月12日、人形峠で日本初の国産濃縮ウラン生産開始。
  10月26日、韓国の朴正煕大統領、夕食会の席上でKCIA部長に射殺される。
  11月4日、イランの首都テヘランでホメイニ派の学生がアメリカ大使館を占拠。
  11月9日、「四○日間抗争」が終了し、第二次大平内閣発足。
  12月10日、マザー・テレサにノーベル平和賞。
  12月27日、アフガニスタンでクーデター、親ソ派全権掌握。ソ連の軍事介入にアメリカ反発。

ひとつひとつの「事件」に、それぞれ1章を割くことが可能だ。

たとえばニカラグアについて、アメリカの軍事介入の歴史をまとめたあと、イギリス映画界の巨匠ケン・ローチ監督のニカラグア内戦をテーマにした映画『カルラの歌』(1996年)について語る…

たとえばカンボジアのポル・ポト政権について、その全貌と日本における報道のあり方を検証し、さらに私(たち)の受容の仕方を振り返る…

たとえば自民党の「四○日間抗争」について、現在の政治状況の出発点として検証し直す…

たとえば、濃縮ウラン生産と原子力政策の検証。たとえば、韓国の民主化の歴史の確認。たとえば、ノーベル平和賞の持つ政治性への言及。

そして、アフガニスタンへのソ連の軍事介入により引き起こされたその後の事態、つまり日本のモスクワオリンピックボイコット(もちろんアメリカ主導によって)等々… 

ここにあげた「事件」はもちろん氷山の一角であり、取り上げるべき事件は無数にある。

さて、「1979年へ ~同時代史叙述の試み~ 」と題して「1979年へ」シリーズをまとめてみたが、このあと続きは書かれるのだろうか?

「1979年へ」シリーズは私の個人通信『越境するサル』の中で不定期的に発表・発信されたものだが、『越境するサル』自体が同じような問題意識で構想された通信であり、つねに「自分史」と「現代史」を重ね合わせて書くことを意図してきた。その中で特に「1979年」という年を意識して、そこを起点として1970年代と1980年代を振り返ろうとしたのが「1979年へ」シリーズなのである。

だから、このシリーズとして扱ってもいい内容のものはほかにもたくさんあった。そうしなかったのは、現在の出来事(たとえば映画化)を起点として記述する方法をとったからである。

そして今後も、現在を起点として過去を振り返るという形のものが多くなるはずだ。「1979年」という年に縛られずに自由に過去と現在を往来できるからだ。

だが、今回「1979年へ」シリーズを通読してみて、この方法の面白さを実感しているのも確かだ。

「同時代史叙述の試み」のひとつとして、提出する。


<後記>
 次の発信は、10月の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の後になる。 「『越境するサル』的生活 2013」という形で、映画祭の報告以外の内容も充実させてみたいと考えているのだが、どうなることやら…

(harappaメンバーズ=成田清文)
※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。