2013年12月2日月曜日

【映画時評】#43「足立正生・伝説が歩く〜『山形国際ドキュメンタリー映画祭2013』にて〜」


10月10日から17日まで「山形国際ドキュメンタリー映画祭2013」(以下「ヤマガタ」)が開催された。1989年に始まったこの映画祭は、西暦の奇数年に隔年開催され、四半世紀がたった。今年は209本の映画が上映されたが、12分の広報映画から5時間を越す長編まで、8日間で新旧取り交ぜて31本の映画を見てきた。

開会式とオープニング上映の後のパーティー会場で、白髪の足立正生が身近に立っているのを見て、「伝説が歩いている」という思いにとらわれた。

インターナショナル・コンペティションの審査員長を実質的に務めた足立は、パレスティナ解放闘争に身を投じ、レバノンで3年の禁固刑を受け、日本に強制送還されて収監された過去を持つ。だから、1153本の応募作品から選ばれた15本のコンペ作品から、パレスティナ難民キャンプを素材にした『我々のものではない世界』(マハディ・フレフェル監督)に、ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)を与えたのには、審査員間の配慮を少し感じてしまったが、丹念に作られた優れた映画であることは間違いない。

山形市長賞(最優秀賞)は、インドネシアの大量殺人部隊の元リーダーにその行為を再現させた『殺人という行為』(ジョシュア・オッペンハイマー監督)が獲得したが、この映画はまるで劇映画を見ているようだった。実際、現在は裕福な生活をしている殺人集団の元リーダーが、孫を抱いて堂々と画面に顔を出せるものだろうかという疑問は残る。

ぼくの周辺では評価の低かった、韓国・京畿地方北部の米軍基地周辺の元売春婦に取材した『蜘蛛の地』(キム・ドンリョン、パク・ギョンテ共同監督)が、特別賞を受賞したのは意外だった。黒人兵と韓国人との間にできた混血の娘が、かつて母親が働いていた場所(ほとんど廃墟になっている)を訪ね、母親が着ていたであろうワンピースを見つけ、それを着用するシーンが、いかにもあざとく、作り物めいていたからだ。
ヤマガタでは、上映後の監督等とのトークも興味深い。特別招待作品として上映された『現認報告書 羽田闘争の記録』(小川紳介監督)では、スピーカーの足立が、「ドキュメンタリーって、なんだ?」と疑問を呈した。また審査員作品の『北―歴史の終わり』(ラヴ・ディアス監督)でも、「ドキュメンタリー映画の定義」という発言があった。

一般的なドキュメンタリー映画のイメージは、作為のない「文化映画」「記録映画」というものだろう。だが現実には、監督たちは撮影機が回っていなかったときの発言や表情を何とか撮ろうとして、仕込みや誘導をしたり、ドラマとして再現することを行っている。

劇映画を見て、例えば手持ちキャメラの揺れる画面や粒子が粗い画面を、「まるでドキュメンタリー映画のような」と形容することがあるが、ヤマガタではその形容は意味を持たない。なぜなら、ドキュメンタリー映画として上映された『殺人という行為』や『蜘蛛の地』は、まるで劇映画のようだったり、その一部がフィクションそのものだからだ。ヤマガタでは、フィクションとドキュメンタリーが互いに深く侵食し合っているのである。

足立監督の『略称・連続射殺魔』も審査員作品として上映された。逮捕時は未成年だったので、映画の中では「彼」と呼ばれる永山則夫の足跡を辿り、永山が見たであろう風景や景色を撮った映画だが、板柳町を家出した少年が眺めた大阪万博前夜の弘前駅前広場の風景は、懐かしい記憶を呼び覚ますと同時に、弘前の記録としても貴重なものだった。

▼足立正生『略称・連続射殺魔 』
 

(harappa映画館支配人=品川信道)[2013年11月19日 陸奥新報掲載]

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