3月の末から4月にかけて、妻と台湾に出かけた。台北に3泊しただけの小旅行だったが、貴重な体験だったと言うべきだろう。
その後弘前に帰ってきてから、情け容赦のない強行スケジュールが続き、台北の日々をゆっくりと振り返ることもままならなかった。旅行から1ヵ月が経過した今、ようやく言葉にすることができる気がしてきた。少し遅い報告となったが、「旅のスケッチ」という形で発信する。題して「台北の想い出」。
「旅のスケッチ~台北の想い出」
1.台北まで
「台湾に行こう」と妻に言われた時、正直それが実現するとは思わなかった。年内にちょっとした国内旅行、博多か長崎あたりでおでんと焼酎でも楽しむような旅行をしようと調べてはいたが、台湾までは考えが及ばなかった。
しかし考えてみると、かつてホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の『恋恋風塵』(1987)や『悲情城市』(1989)や『戯夢人生』(1993)、エドワード・ヤン(楊德昌)監督の『クーリンチェ少年殺人事件』(1991)などの台湾ニューシネマに魅せられ、司馬遼太郎の「台湾紀行」(『街道をゆく』)や台湾関連書を読みあさっていたのは私だ。最近では、酒井充子監督のドキュメンタリー映画『台湾人生』(2008)や『台湾アイデンティティ』(2013)の自主上映に関わって、いつか台湾に行かなければとひそかに思い続けていたのも私だ。「台湾へ」、「台北へ」、私の潜在意識の中にそれは刷り込まれていたのだ、たぶん。
それからまもなく、具体的な計画は進み出した。それは年度末の人事異動がないという前提で進められ、そして、ついに、実現した。青森空港から羽田へ、羽田から台北松山空港へ。荒れ模様の台北上空に1時間ほど待機するというハプニングはあったが(おかげで台北の夜景を断続的に鑑賞することができたのだが)、何とかたどり着いた。予定よりかなり遅れて到着したホテルのルームサービスのサンドウィッチとサラダ、それに冷蔵庫の中の台湾ビールがありがたかった…
2.故宮博物院
オプショナルツアーその1、運転手・現地ガイドつきで「故宮博物院(午前発)」。
台湾に行ったら、台北に行ったら、まず故宮博物院。そう思って日程の最初、朝一番に持ってきたが、正解だった。大陸(中国)からの観光客の数に圧倒されながらも、それなりにスムーズに館内をまわることができた。これは、現地ガイドの見事なコース取り・案内によるもの。私たちだけだったら、目的のものにたどり着いたかどうか…
国立故宮博物院は、フランスのルーブル・アメリカのメトロポリタン・ロシアのエルミタージュと並んで世界四大博物館の1つに数えられているが、中国の美術工芸品に関してはもちろん世界一である。8000年前の玉器から清王朝の宮廷コレクションまで、2007年と2011年の2度のリニューアルを経てカテゴリー別・時代順に配置された、文字通り「開かれた故宮」。
辛亥革命から14年目の1925年、中華民国政府は北京紫禁城を故宮博物院としたが、1948年国共内戦の形勢逆転とともに、蒋介石率いる国民党中央政府は故宮博物院および南京に運ばれていた貴重な文物を台湾へ移すことを決定。同年秋から文物は台湾に運ばれる。そして1949年、大陸には毛沢東率いる中華人民共和国が成立…
行列で待たされはしたが、「翠玉白菜」・「肉形石」・「彫象牙透花人物套球」さらに「翡翠の屏風」の4つを、ガイドの見事な案内によってピンポイントで押さえ、その後白磁・青磁・唐三彩をざっと鑑賞することができた。もちろん展示全体の数パーセントにふれただけだが、その水準の高さは実感した。特に、「翠玉白菜」の印象は強烈だった。「期待ほどではない」という評判ばかり聴いていたせいか、思いのほか素晴らしいと感じた。日本にもやってくるそうだが、もう一度会いたいものだ。
「故宮博物院」コースの帰り、忠烈嗣での衛兵の交代式を見学し、観光物産店で台湾茶の「茶藝セミナー」を体験し、解散した。ランチは、旧アメリカ大使館を改装したミニシアター併設の文化スポット「台北之家」のカフェ「珈琲時光」で。
ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督がプロデュースに関わった「台北之家」だが、併設されている雑貨店には台湾映画のDVDが揃い、ミニシアターでは『利休にたずねよ』が上映されていた。ゆっくりしたかったが、次のオプショナルツアーの集合地点へ向かうためにタクシーを拾う…
3.太陽花学連、立法院占拠
滞在中、台北では歴史的事件が進行していた。台湾と中国の間で結ばれた「サービス貿易協定」(通称「服貿」)に反対する学生・市民が立法院(国会)の占拠を続けていたのである。
2014年3月18日、その前日立法院での審議を打ち切り強行採決へ突き進もうとした与党国民党の姿勢に激しく抗議する学生・市民300人は、立法院の占拠に踏み切る。私たちの滞在中には、総統府に向けた「50万人」のデモンストレーションも敢行され、メディアは連日全力で報道した。新聞ではつねに第一面一杯、テレビでは数局が立法院内部や集会の様子をライブ中継を続けていた。日本では断片的にしか報道されなかったようだが、台北にいてメディアに接しているとまるで「革命前夜」のような雰囲気なのであった。
私たち観光客が乗っている車も、デモに向かう黒いTシャツにヒマワリの花をつけた人々を間近に見ながら、進行していた。特に混乱があるわけではない。何しろ今回の学生・市民の行動を過半数以上の人々が支持し、馬英九総統の支持率は10パーセント未満。私たちの現地ガイドも、政府の対応を冷静に批判する…
普通の市民生活のすぐ隣を、デモに向かう人たちが通り過ぎていく。その光景を私たち観光客は、確かに記憶の底に刻みつけた。彼らのシンボルであったヒマワリ(本来「向日葵」だが「太陽花」とも書く)にちなんで、立ち上がった学生たちを「太陽花学連」と呼ぶ。巨大な龍に呑み込まれまいともがく人々の姿は、私たちの過去・現在・未来とも重なり合う…
4.ジォウフェン(九ふん)にて
オプショナルツアーその2、運転手・現地ガイドつきで「九ふん(午後発)」(なお「ふん」は人偏に「分」)。 ジォウフェン(九ふん)は、私の中で必ず訪れなければならない地だった。台北から車で1時間ほど、台湾北部の港町基隆市の近郊新北市の山あいの町ジォウフェンは、近郊の金の採掘により発展した町である。1971年に金鉱が閉山した後衰退したが、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の『悲情城市』(1989)のロケ地として脚光を浴びたことにより1990年代再び町は活気づく。さらに2001年日本で公開された宮崎駿監督映画『千と千尋の神隠し』のモデルとなった町という噂が紹介され、観光地としてますます賑わうようになった。
故宮博物院は2家族4人のツアーだったが、このジォウフェンコースは10数人のやや賑やかなツアーとなった。日本各地から訪れた人々とともにマイクロバスで山の中腹まで登り、途中から専用バスに乗り換える。途中車窓から見える景色は何やら『悲情城市』を思い起こさせ、映画の挿入曲を思わずハミングしている自分に気がつく。やがて、かつて賑わっていた町が復元されたようなレトロでノスタルジックな街並みが現れ、みやげもの屋や食いもの屋が建ち並ぶ坂また坂の狭い街路を、私たちはひたすら歩く。
いったん解散し、茶藝館で台湾茶とお菓子のセットで一休み。集合時刻まで随分時間があった。あちこち歩き、『悲情城市』や『千と千尋の神隠し』に関係すると銘打たれた場所を写真に撮り、景色のいい場所で休憩し、時間を持て余しているなと感じ始めた頃、「昇平戯院」(「昇平座」)に遭遇した。
「昇平戯院」は、金鉱隆盛の戦前に建てられた劇場で、かつては映画・新劇から台湾オペラ・台湾伝統人形劇までさまざまな演目が上演され、一・二階の600席が埋まるほどの盛況だったという。閉館後荒れ果てていたこの建物は記念的建築物として修復され、2010年、多目的上演空間「昇平新楽園」の名で復活した。
再現された切符売り場や売店・古い映写機・ポスターなどが郷愁を誘うが、壁には「今日放映『恋恋風塵』」・「近期放映『多桑』(1994 呉念眞監督)」のポスターがあり、現在もまた現役の劇場の役割を果たしていることがわかる。そして、あちこちに残る『悲情城市』の記憶と記録…ああ、そもそも私を台湾に誘ったのはこれだったのだ、と改めて思う。
夕暮れのジォウフェンを後にして、マイクロバスは台北を目指す。渋滞もなく市内に入ってから、ガイドの機転で台北最大のナイトマーケット「士林夜市」へ直行。通りにあふれる人の波をかき分け、地下の大食堂にたどり着き、ここでも人の波をかき分け何とか食事にありつく。まるで戦場のような、アジアの胃袋…そのパワーに圧倒されて身も心も疲れ果て、この日はダウン。そういえば、かなりの強行日程だった。故宮博物院から士林夜市まで、すべて1日の出来事だ…
5.龍山寺から中正紀念堂そして台北101
オプショナルツアーその3、運転手・現地ガイドつきで「台北市内半日観光(午前発)」。
「定番」を集めた市内半日観光、しかも有名店のランチつき。このいかにもベーシックなコースが、台湾初心者にはありがたい。ひとつひとつ見学するとなると時間(到着時刻)の設定が難しいし、ましてや有名店の予約など不可能だ。龍山寺見学・参拝-総統府(車窓見学)-中正紀念堂(衛兵交代式見学)-市内ショッピング(茶藝セミナー可能)-「鼎泰豊101店」で小籠包ランチ-台北101展望台。この完全にガイド任せの気楽なコース、修学旅行か「はとバス」の気分である。しかもガイドの機転と融通で、全く無駄のない、つまり行列などのロスタイムがほとんどない、快適な半日観光となった。行動しやすい2家族5人のツアーだったことも幸いであった。以下、それぞれについて報告する。
龍山寺。台湾には道教(民間信仰を含む)・仏教・キリスト教等の信仰が混在する。この龍山寺も台北最古の仏教寺院であるが、現在では道教・儒教などさまざまな宗教が習合し、祀られている神は100以上。人々はさまざまな神の香炉を順に廻り、それぞれの神を参拝する。私たちが訪れたのは、仏教徒たちの読経の時間であった。同じ空間にさまざまな信仰が同居する、そのことが不思議なことではなく、ひどく健全なことに見えてくる。
総統府。日本統治時代の台湾総督府。今回は、学生・市民のデモ・集会との関係で近づくことができず、遠くから一瞥しただけ…
中正紀念堂。1975年に死去した中華民国総統蒋介石顕彰の施設。1980年竣工、「中正」とは蒋介石の本名である。広大な敷地の中に建設された、いわば「蒋介石陵」…大陸(中国)から来た観光客が、大陸の方向を凝視する巨大な蒋介石像と衛兵たちを撮影し、蒋介石を中心とした展示資料を見学し、大陸に帰って行く…そのことについて現地ガイドと「不思議ですね」と話す私たち日本人観光客の立場もまた不思議であることに変わりはない。
台北101展望台。「台北101」は、信義新都心地区の、というより台北のランドマーク。2004年に完成し、その当時は世界一の高さを誇った(509.2m)。このビルの5階から展望台のある89階まで、時速60.6キロのエレベーターで37秒。展望台からは、もちろん台北全域が見渡せる。旅行前に酒井充子監督のドキュメンタリー映画『空を拓く~建築家・郭茂林という男』(2012)を観ていたので、信義新都心地区の高層ビルのいくつかは記憶していたし、遠くに見える有名なビルの知識も少しはあった…
そして私たちは、「鼎泰豊(ディンタイフォン)101店」小籠包ランチにたどり着いた。現地解散の後は、タクシーでホテルへ。仮眠が必要だった…
6.京劇(「台北戯棚 タイペイ・アイ」)
オプショナルツアーその4、運転手・現地ガイドつきで「京劇鑑賞(夕方発)」。
ホテルで体調を整え、夕刻からのツアーに出かける。2家族4人で、まず客家(はっか)料理店で夕食。普通の台湾の家庭料理といった雰囲気で、優しい味がありがたかった。士林夜市で疲労気味の胃も少し回復した。
「台北戯棚 タイペイ・アイ」は、海外からの観光客向けの中国伝統舞台芸術ステージ。日本植民地下の1915年に作られた、台湾初の中華伝統芸術のパフォーマンスの場「台湾新舞台」がその前身である。戦火で廃墟と化した「台湾新舞台」は1997年再建され、2002年郭茂林氏の手による大理石建築「台湾セメントビル」に設けられた「台北戯棚 タイペイ・アイ」として現在に至っている。
この夜の演目は「台北新劇団」による『無底洞』。「孫悟空もの」である。ミュージカルと新体操と中国雑技と…さまざまな要素が入り交じった誰でも楽しめるステージである。ステージ両側に中国語、英語、日本語、韓国語の解説が入るのでストーリーの理解は容易だ。1時間ほどの公演時間もちょうどいい。ロビーでの京劇メーク鑑賞や記念撮影などもあり、サービス満点だ。正直に言うと、最初あまり気が進まなかったプランだったのだが、結果的に一番有意義な体験だった…
7.幻の「珈琲放浪記」
2日間で4つのオプショナルツアーをこなし、台北中心の旅行としてはそれなりに満足したのだが、少々心残りがある。それは、「珈琲放浪記」として報告するような体験ができなかったことだ。
出発前に、いくつかの喫茶で珈琲を飲む計画は立てていた。そのうち、「台北之家」のカフェ「珈琲時光」はとりあえず行くことができたが、ここは珈琲そのものが目的ではなかった。そのほかに、3つの喫茶を実は計画していたのだ。
まず、ベーグル専門カフェと雑貨店が融合した人気ショップ「好,丘(ハオ・チウ)」。大陸から蒋介石とともに渡ってきた国民党軍とその家族・関係者たちが暮らした軍人村「四四南村(スースーナンツン)」を修復・整備したエリアの中にある。「台北101」から歩いて5分ほどの距離なので、「鼎泰豊(ディンタイフォン)101店」の後に訪れるはずだった。ところがこの日は定休日であることが判明。ここで「台湾珈琲」と出会うという私の目論見は、はかなく消えた…
次に、繁華街・西門町にある日本統治時代の建築物「中山堂」にある、総合アートスペース「蔡明亮珈琲走廊」。映画監督蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)がプロデュースしたこのスペースのカフェでは、ツァイ・ミンリャン監督が自ら手がけるオリジナルブランドの珈琲が提供されている。建物の雰囲気も含めて、ぜひ味わいたいと思っていたがかなわなかった。
もうひとつは、同じく西門町の老舗「蜂大珈琲(フォンダーカーフェイ)」。1956年創業でサイフォン、ブラジルサントス・マンデリン・コロンビア・モカ・コスタリカのブレンド…朝が遅い台北にあっては珍しく朝から営業しているこの店で、台北滞在最後の日の朝食をとり珈琲を飲む。素晴らしい計画だと思ったが、これもかなわなかった。
帰りの日の午前は荷物の整理などで忙殺され、とても喫茶どころでなかった。ホテルが繁華街から離れていることも影響した。こうして私は「珈琲放浪記」の取材を断念し、昼過ぎ、台北松山空港に向かったが、最後にひとつだけ珈琲について希望が持てる情報があった。それは、松山空港国際線出国gate内5番前売店で「幻の台湾珈琲」、「阿里山珈琲」と「古坑珈琲」を購入できるという情報だ。出発前に何度もインターネットで確認したから間違いない。品切れさえなければ。
そして、最後の最後に「台湾珈琲」を手に入れることができた。国際線出国gate内5番前のお土産ショップ「亜熱帯」で、「阿里山珈琲40g、ビーンズ」と「古坑珈琲18袋、粉末」購入。この旅行、自分の為のお土産はこの珈琲と、前日購入した蝶の標本だけ…
<後記>
夕刻、羽田に到着。その夜は空港内のホテルに宿泊。翌日、青森空港へ向かった。
ほぼ1ヵ月が経過した今も、まだ台北に忘れ物をしたような気分の自分がいる。この間、太陽花学連の立法院占拠は収束に向かい、私は台湾映画と再び出会いたいという気持になり、台湾の珈琲については相変わらずインターネットで検索を続けている。いつか再び訪れる日が来る、という予感…確信とはほど遠いが、そのような予感はある。
次号は、佐藤泰志原作の映画『そこのみにて光輝く』(2014 呉美保監督)について。青森市のシネマディクト(5/31~6/13)に行く機会を何とか作らなければ…
(harappaメンバーズ=成田清文)