2019年3月、妻とドイツを訪れた。添乗員付き8名のツアー。羽田からルフトハンザ航空でフランクフルトへ12時間のフライト。成田から出発するより、気分的にはだいぶ楽なはずだった…
「ドイツ紀行(上)~ベルリンからニュルンベルクまで~」
ドイツ1日目。羽田空港からフランクフルト空港、そして乗り換えてベルリン・テーゲル空港へ。これが、想定していた以上の長旅となった。
その前日、弘前駅からJRで秋田県鷹ノ巣駅に向かい、大館能代空港から羽田へ。国際線ターミナル内のホテルで一泊。快適な旅だった。お気に入りの羽田空港国際線ターミナル・江戸小路で焼き鳥とビール。出発の日の午前も、館内各所と展望デッキでゆったりと過ごし、余裕をもって出国した。少し出発が遅れたが、その分フランクフルトでの待ち時間が短くなる程度のものだと思われた。
ところが、12時間のフライトのあと、フランクフルトからベルリン・テーゲル空港に出発する便が悪天候のせいか大幅に遅れた。遅れただけで済んだのは幸運だったと思うべきか。別のツアーのポルトガルへの乗り継ぎは断念したとの情報が入る…ようやくベルリンのホテルに着いたのは深夜12時過ぎ…
とにもかくにも、ドイツにたどり着いた。ゲーテ、ヘッセ、トーマス・マン、ケストナー、ギュンター・グラスのドイツに。森鴎外『舞姫』の舞台、激動の現代史の舞台、憧れ続けたベルリンに。
簡素な、しかし実用的なホテルの部屋で、まず最初の眠りにつく…
ドイツ2日目。朝、ホテルの部屋の窓から外の景色を見る。ベルリンの日常が進行する。トラム(路面電車)が走る。
朝食はパン・ハム・ソーセージ・チーズ・ヨーグルト・オレンジジュース・コーヒー。すべて、お世辞抜きで美味しい。ヨーロッパの旅では、朝食はいつでも合格点だ。今までも外れたことがない。
午前中はベルリン市内観光。気さくな運転手ヨーゼフさんの運転技術は完璧、気配りも満点。たった8人(プラス添乗員)で大型バスの旅は快適というほかない。
まず訪れたのが、「ブランデンブルク門」。プロイセン王国の凱旋門としてアテネ神殿の門を手本に18世紀に建造されたこの門は、東西分裂時代は壁が築かれていたため通ることはできなかった。1989年11月、東ベルリン市民がこの門を通る姿を、私もたしかにテレビで目撃した。
続いて、「テロのトポグラフィー」という展示館を訪れる。ナチスの恐怖政治について解説する写真を中心に展示している建物で、ナチス親衛隊(SS)と国家秘密警察(ゲシュタポ)の跡地に建てられているが、このすぐ前に「ベルリンの壁」が、当時の姿を残したまま保存されている。
そのあとバスは「ユダヤ人犠牲者記念館」の横を通過する。記念碑として2711本のコンクリートブロックが並び、地下には記念館がある。NHK・Eテレの「旅するドイツ語」で紹介されていた場所で、ぜひ訪れたいと思っていたが、今回はバスの窓からシャッターを切るのみ…
行きたい場所はまだまだいくらでもあった(たとえば「森鴎外記念館」や「ベルリン大聖堂」や「映画博物館」など)。だがこのツアーの限られた時間では、街をバスで駆け抜けるだけだ。
昼食はカフェ(かつバーでありレストラン)で魚料理。それと、もちろんベルリンのビール(「ベルリナー・ピルスナー」)。今回の旅で狙っていた現地のピルスナーと早速遭遇。予想通り、ほどよい苦味とさわやかな切れ味。ビールに関しては、幸先の良いスタートと言うべきか。
午後はベルリンと隣接するポツダムへ。言うまでもなく、ポツダム会談が行われた街。そしてフリードリヒ大王の夏の居城・サンスーシ宮殿がある街。ひそかに楽しみにしていた場所だ。
ポツダム会談の舞台「ツェツィーリエンホフ宮殿」は、プロイセン・ホーエンツォレルン家最期の皇太子とその妃のための宮殿で、1917年に完成。第2次世界大戦末期の1945年7~8月、ここで米・英・ソ連の首脳会談が開かれ、戦後処理が話し合われた。
トルーマン、チャーチル、スターリンの思惑が交錯したこの宮殿内部の撮影は、特別料金が必要。会議が開かれた部屋は、当時のままに保存されている。
続いて、「サンスーシ宮殿」に向かう。サンスーシとはフランス語で「憂いのない」という意味で、日本語では「無憂宮」と呼ばれる。フリードリヒ大王(フリードリヒ2世)は、1747年に作られたこの宮殿で後半生のほとんどを過ごした。
夏の観光シーズンには入場2~3時間待ちになるという宮殿だが、いまはシーズンオフ。階段状のブドウ園にも、まだ緑はない。しかし、不思議な美しさをたたえたこの景観はやはり必見。寒冷地でも育つジャガイモの栽培を奨励した大王にちなんで、ジャガイモが供えられた大王の質素な墓とともに記憶にとどめたい。
さて、バスはここから3時間、ひたすらドレスデンを目指して走り続ける。
ドイツ3日目。ドレスデン。前の晩はホテルで夕食だった。当然飲み物はドレスデンのビール「ラーデベルガー・ピルスナー」。部屋の冷蔵庫(実はこの旅行中、冷蔵庫がない部屋も多かった。別に、なくても困らない気候だったが。)の中にもしっかりと、この世界的に有名な銘柄は完備されている。
そして朝食。もちろん、パンもハムもソーセージもチーズも…美味しい。
この日は、午後までドレスデン市内観光。ドレスデンの旧市街をめぐるこの日の日程が、今回のツアーのメインだった、と言っても過言ではないだろう。事前に見ることができた画像や映像を繰り返しチェックし、旅行した経験のある友人の話に耳を傾け、何ヵ月も前からひたすらイメージを作り上げてきた。
しかし、バスから降りて「ゼンパーオーパー(ザクセン州立歌劇場)」前の広場に立ち、周囲の建物群を見渡した時、その想像以上の美しさ、重厚さ、風格に完全に圧倒された。鳥肌が立つ、とはこのようなときに使う言葉だろう。ため息しか出ない空白の時間のあと、ようやく私たちは歩き出した…
「三位一体大聖堂」、「レジデンツ宮殿」、エルベ川沿いの「ブリュールのテラス」、「君主の行列」…「エルベ川の真珠」と呼ばれるドレスデンの旧市街をゆっくりと歩く。すべてがこのエリアに密集しているのだ。何という贅沢な時間だったことか。
ドレスデンが生んだ、私の敬愛する文学者エーリッヒ・ケストナー(1899-1974)は、少年時代を描いた自伝『わたしが子どもだったころ』(1957)の中で故郷について次のように書いている。
ドレースデンは、芸術と歴史に満ちた、すばらしい都会だった。しかし、六十五万のドレースデン人がぐうぜん住んでいた博物館ではなかった。過去と現在とがたがいに一つのひびきをなして生きていた。
…何が美しいかを、わたしは書物によって初めて学ぶにおよばなかった。学校でも、大学でも、学ぶにおよばなかった。山林官の子が森の空気を呼吸するように、わたしは美を呼吸することができた。カトリックの宮中教会、ゲオルク・ベールの聖母教会、ツヴィンガー、ピルニッツ城…
(『わたしが子どもだったころ』)
しかし、この街は1945年2月の大空襲により多くの建物が崩壊し、廃墟と化した。ケストナーは、次のように続けている。
…みなさんはだれも、たとえおとうさんがまだたいそう金持ちであっても、わたしのいうことが正しいかどうか見るために、汽車に乗って行くことはできない。なぜならドレースデン市はもはや存在しないからだ。
(『わたしが子どもだったころ』)
戦後、そしてドイツ統一後、多くの建物が再建されていく。その象徴的な建物が「フラウエン教会(聖母教会)」だろう。
1743年に完成したドイツ最大のプロテスタント教会は大空襲で崩壊したが、1994年に再建が始まり2005年によみがえった。白い外壁のあちらこちらに黒い石が混じっているが、これは空爆で破壊された当時の石。位置を特定する「世界最大のパズル」の末、このような形で再建された。教会の前には、ルターの像が立つ。
ドレスデンには「ケストナー博物館」もあるが、これはエルベ川を挟んで対岸の新市街。訪問は諦めざるをえなかった…
さて、ドレスデン旧市街の旅はまだまだ続く。「ツヴィンガー宮殿内アルテ・マイスター絵画館」と「陶磁器コレクション」についてはふれておこう。
ラファエロの「システィーナのマドンナ」をはじめ、フェルメール、レンブラント、デューラーなど古典絵画の宝庫である「アルテ・マイスター絵画館」は、期待通りだったと言うべきだろう(しかも事前情報と違って写真撮影可だった)。フェルメールの「手紙を読む少女」が修復中だったのは残念だったが。
マイセン磁器の名品が展示された「陶磁器コレクション」は、今回のコースの豪華付録といったところか。マイセンを訪れることはできなかったが、数多くの名品のオリジナルを鑑賞することができた。
ドレスデンで、旅の目標の半分を終えてしまった…そのようにも感じたが、まだ旅は半ばどころか、始まったばかりだ。つぎの目的地ニュルンベルクまでは4時間。
ドイツ4日目。ニュルンベルク。前の晩は、ホテル到着前にビアホールで食事。「カイザーブルク城」駐車場から、夜のニュルンベルク市街を歩く。
ニュルンベルクの名物ソーセージと「赤いビール」の夕食。このビールも狙っていた…
そして、ホテルでサッカー観戦。ちょうど、ヨーロッパの最強クラブを決めるUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦が放映されていた。地元ドイツの雄バイエルン・ミュンヘンがイングランドのリヴァプールに粉砕される瞬間をリアルタイムで観る。ここはバイエルン州。次の日の新聞記事・テレビニュースのトーンは暗い…
午前中はニュルンベルク市内観光。まず、バスの窓からナチス党大会会場跡「ドグツェントルム」を確かめる。レニ・リーフェンシュタール監督によって作られたナチスのプロパガンダ映画(ドキュメンタリー)『意志の勝利』(1934)は、この会場で撮影された。その面影を残す「ツェッペリン広場」を何とか撮影する。
この日のドイツ(ここニュルンベルクだけではなかった)は寒かった。小雨と冷たい風の中、ゴシック様式の巨大な教会「聖ローレンツ教会」、中央広場「美しの泉」、そして広場の市場(白アスパラ・シュパーゲルがあったが、まだ地物の季節ではないようだ)の横を通ったが、寒さと疲労の為ボルテージは下がったままだ…
ドイツ・ルネッサンスの大画家デューラーが住んでいた家を横目で見ながら、神聖ローマ皇帝の城「カイザーブルク」に駆け込む。天気は相変わらず悪い…
次の目的地ローテンブルクまでは2時間。ここで、旅の前半は終了、といったところか。
<後記>
まず「ドイツ紀行(上)~ベルリンからニュルンベルクまで~」を発信する。このあと、「ドイツ紀行(下)~ローテンブルクからライン川まで~」を発信する予定だ。そこまでたどり着いたら、次のことを考える。
(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。
0 件のコメント:
コメントを投稿