2015年1月6日火曜日

【越境するサル】№133 「2014年、その後の『サル』」(2014.12.29発行)

2014年は、№123「藤岡利充、酒井充子、そしてヤン ヨンヒ~上映会への誘い~」から№132「今年出会ったドキュメンタリー 2014年10-12月期」まで10 本、ほぼ例年並みの発信となった。だが、このうち4本は「今年出会ったドキュメンタリー」。ほかは低調だったと言わざるを得ない…今年も「その後の『サル』」と題して、2014年に扱ったテーマのその後の展開を記す。

 
    「2014年、その後の『サル』」

№123「藤岡利充、酒井充子、そしてヤン ヨンヒ~上映会への誘い~」
    「harappa映画館」第17回(2/22)は、「ドキュメンタリー最前線2014」(『映画「立候補」』(2013 藤岡利充)・『台湾アイデンティティ』(2013 酒井充子・『ディア・ピョンヤン』(2005 ヤン ヨンヒ))、「harappa映画館」第18回(3/15)は、「ヤン ヨンヒ監督特集」(『愛しきソナ』(2009 ヤン ヨンヒ)・『かぞくのくに』(2012 ヤン ヨンヒ)とヤン ヨンヒ監督のトーク)。監督トークの進行を受け持ったこともあり、ヤン ヨンヒ監督の世界に「はまってしまった」自分がいた。彼女の作品をすべて上映することができた満足感もあり、このマイブームは5月にWOWOWで彼女のテレビ・ドキュメンタリー「綾戸智恵 その歌声が変わった日~父と母の痛みを抱いて~」(ノンフィクションW)が放送されるまで続いた。さて次は、彼女の新しい長編が観たい。   その後、 「harappa映画館」の企画はずっとなかったが、11月、harappa映画館special「イタリア・オペラにようこそ~映画とライブ、至福の一夜~」(http://harappa-h.org/contents/20141107harappamovie.php)を実施、好評を博した。   そして、2015年3月、再びドキュメンタリーの上映を企画している。『フタバから遠く離れて 第二部』(2014 舩橋淳)・『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013 リティ・パニュ)・『ある精肉店のはなし』(2013 纐纈あや)・『ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~』(2014 酒井充子)の4本の予定だが、詳細はもう少し待ってほしい。

№124「珈琲放浪記~函館 湯の川から宮前町、そしていつもの十字街へ~」
№129「珈琲放浪記~アイスコーヒー 2014年夏~」
   古川界隈の「カフェ・ジ・ターヌ」でマンデリン・ブルーバタックを飲んでから、いくつかの街でいくつかの出会いがあった。たとえば札幌、たとえば小樽、たとえば八戸、たとえば弘前の初めて入る珈琲豆屋。その中で印 象に残っているのは、やはりマンデリンである。と言うより、私はどこの喫茶店に行っても、まずマンデリンを探し、初めて訪れる街の喫茶店をガイドブックや インターネットで調べる際も、メニューにマンデリンがあるかどうかを確かめる。要するに、私の珈琲放浪の目的はマンデリンと出会うことなのだ。それも深煎 りの。
   次の「珈琲放浪記」のテーマ、と言うか副題は「マンデリンへの道」…少し時間がかかるかもしれないが、マンデリンについてじっくりと取り組んでみたい。
   次の「珈琲放浪記」のテーマ、と言うか副題は「マンデリンへの道」…少し時間がかかるかもしれないが、マンデリンについてじっくりと取り組んでみたい。


№125「映画『ハンナ・アーレント』をめぐって」
 映画『ハンナ・アーレント』が大きなセンセーションを巻き起こしたことにより、アイヒマン裁判を描いたドキュメンタリー『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』(1999 エイアル・シヴァン監督)が再び脚光を浴びることになった。2014年1月、東京渋谷・ユーロスペースで緊急限定リバイバル上映、8月にはDVDのレンタ ルも開始された。私もひさびさに良い画質で鑑賞することができたが、アイヒマン裁判を議論するための条件は整いつつある。   アーレントの哲学そのものも、すでに哲学史の重要な1ページとなりつつある。私の仕事(とりわけ受験指導の分野)の中でも重要な位置を占めることになる。ますます彼女の著書の精読が必要であるが、私の関心は「アイヒマン裁判とアーレント」から動きそうもない…

№126「今年出会ったドキュメンタリー 2014年1-3月期」
№128「今年出会ったドキュメンタリー 2014年4-6月期」
№131「今年出会ったドキュメンタリー 2014年7-9月期」
№132「今年出会ったドキュメンタリー 2014年10-12月期」
   初めて年4回の発信を試みた。おかげで、多くのテレビドキュメンタリーを紹介することが出来たし、私自身もほぼ毎日ドキュメンタリーに向き合う緊張感を保ち続けている。録画して鑑賞した番組はこの2~3倍に上る。   さて、この中で「年間ベスト」を選ぶとなると、映画では次の3本の印象が圧倒的だ。『アクト・オブ・キリング』(2012 ジョシュア・オッペンハイマー)、『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013 リティ・パニュ)、 そして『ある精肉店のはなし』(2013 纐纈あや)。3本とも「青森シネマディクト」の大きなスクリーンで観た。つまり、かなり期待して映画館まで行っ たということだが、どれも期待通りだった。『アクト・オブ・キリング』と『ある精肉店のはなし』は昨年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で見逃した作 品。映画館で普通に観ることができたこと自体にも意味がある。   この3本以外では、『メキシカン・スーツケース <ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』(2011 トリーシャ・ジフ)、『キューティー&ボクサー』(2013 ザッカリー・ハインザーリング)、『三姉妹~雲南の子』(2012 ワン・ビン)、それと「脱原発弘前映画祭」でシリーズ1と2を観ることができた『福島 生きものの記録』(2013・2014 岩崎雅典)が特筆もの。   テレビ・ドキュメンタリーでは、『綾戸智恵 その歌声が変わった日~父と母の痛みを抱いて~』(2014 ノンフィクションW ヤン ヨンヒ)と『38歳 自立とは?』(2014 極私的ドキュメント にっぽんリアル)、それと『再起の一滴~陸前高田・老舗醤油店1000日の記録~』(2014 テレメンタリー)の3本。どれも個人的に思い入れのあるものばかりだが、その思い入れを除いても質の高い作品だと言える。   あと、『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』(2014 NNNドキュメント)と『放射線を浴びたX年後3 棄てられた被ばく者』(2014 NNNドキュメント)の2本は、長い年月をかけた取材そのものに敬意を表する。今年は特に、民放の地方局制作のテレビ・ドキュメンタリーを積極的に紹介しようと努めたが、来年もこの姿勢は維持したい。   来年2015年は「山形国際ドキュメンタリー映画祭」が開催される年だが、私は仕事の都合で行けそうもない。その欠落を埋めるために、他の映画祭や劇場で 上映される作品をまめにチェックし、積極的に出かけていきたい。また、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の過去の受賞作や話題作を入手し、鑑賞すること ができれば、と思う。


№127「旅のスケッチ~台北の想い出」
   旅から帰った後、しばらく余韻に浸ったままの日々を過ごした。それでも何かにせかされるように必死に記録をまとめ、この「旅のスケッチ」を発信、さらに、かなりの分量の写真をharappa事務局に送り、体裁を整えブログのコーナーに掲載してもらった(http://npoharappa.blogspot.jp/2014/05/no12720140501.html)。こうして多くの人たちにこの文章を読んでもらい、自分も写真入りの方をプリントアウトして台湾について語る際の資料に利用したりした。いろいろな意味で思い出深い号となったのである。   ブログにアップした8日後の5月10日、NHKBS「ドキュメンタリーWAVE」で『議会占拠24日間の記録~中台急接近に揺れる台湾~』が放送された。 台北滞在中に進行していた、学生たちによる立法院(国会)占拠行動の詳細なレポートである(№128「今年出会ったドキュメンタリー 2014年4-6月期」でも紹介)。その後、このドキュメンタリーは高橋源一郎によって朝日新聞で紹介され、多くの人に事件の詳細が知られるようになっ た。現場のすぐ近くにいて、現地のメディアの報道を連日必死に追いかけていた私にとって、その後を見守るべきテーマとなった。  その後もずっと台湾のことを考えていたが、10月、長い間心のどこかで気になっていた小説『裏声で歌へ君が代』(丸谷才一 1982)の再読に入った。「幻の台湾民主共和国」をめぐる物語であるこの小説の記憶が、私の台湾行きのひとつの要因だったことは間違いない。けれど、ずっとそのことを忘れていた…   そして11月、台湾統一地方選。国民党の「歴史的敗北」。もう一度、台湾について考えるべき時が来たようだ。    

№130「『越境するサル』的生活 2014 ~青森市古川界隈を彷徨う~」
   12月、仕事で青森市に滞在した際、再び古川界隈を訪れた。「ニコニコ通り」の初めて入る蕎麦屋、夜遅くまでやっている青森市民図書館、そしてふらり立ち 寄った居酒屋「侍」の「帆立みそ焼き」と「馬刺し」。帰りに珈琲豆を買いに訪れた「カフェ・ジ・ターヌ」(改装された店内は、かなりいい雰囲気!)で飲ん だマンデリン…限られた時間の中で、必要最小限の美味しいところだけをいただいた、という感じか。たぶん、青森市に来るたびに、私はこの界隈を彷徨うの だ。   なお、№130に「『文學界』を4冊ほど手に取って長椅子に腰掛けた。たしか、台湾の映画人呉念眞について四方田犬彦が書いている評論があったはずだった が、その4冊の中にはなかった。」というくだりがあるが、これは私の勘違いだったことが判明した。四方田犬彦の評論は、『新潮』2014年3月号の「台湾 人の三人の『父親』」。非常に興味深い内容で、いずれ「台湾」について何か書くときに参照されることになるだろう。

<後記>
   №132「今年出会ったドキュメンタリー 2014年10-12月期」の記録とほぼ同時進行で、「その後の『サル』」に書く内容について考え続けた。そして、自分が発信したテーマについてその後も 考え続けていること、来年もそれにつながる内容を書きたいと思っていること、に気付いた。「まだまだ『越境するサル』は続く」だ。   来年の予定を書いてみる。次号は、映画『悪童日記』について。実は先日、八戸まで観に行ってきた。続いて、台湾について。丸谷才一の小説『裏声で歌へ君が 代』の再読をきっかけに、自分の記憶を確認したいと思ったのだ。その次は、3月の「harappa映画館」の「上映会への誘い」…「珈琲放浪記」はしばら く無理か。




harappaメンバーズ=成田清文)

※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。

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