2015年1月6日火曜日

【越境するサル】№134 「映画『悪童日記』に寄せて」(2015.1.3発行)

  昨年の末、1本の映画を観るために、八戸を訪れた。かつて夢中になって読んだアゴタ・クリストフ『悪童日記』(1986年、邦訳1991年)の映画化作 品。大雪のため奥羽線が遅延するというアクシデントはあったが、何とか午前11時の上映開始前に「フォーラム八戸」にたどり着いた。
 
      「映画『悪童日記』に寄せて」
   映画『悪童日記』(2013 ドイツ・ハンガリー合作)のストーリーは、ほぼ原作に忠実に進行する。
   第二次世界大戦中、疎開のため双子の「僕ら」は母に連れられ「大きな町」から「小さな町」へ移り住む。そこは母の親である祖母が住む町だ(「大きな町」はハンガリーの首都ブダペスト、「小さな町」はオーストリアとの国境近くの町クーセグがモデルとされる)。
   祖母と疎遠であった母が「大きな町」に帰った後、「僕ら」は人々から「魔女」と呼ばれる粗野で意地悪な祖母にこき使われ、ありとあらゆる労働に従事する。そして「僕ら」は、日々の出来事を父からもらったノート(日記)にそのまま記録し続ける。
   生きのびるために、文字通り一心同体で「僕ら」は外界に立ち向かう。強くなるための訓練を自らに課し、勉強も続け、戦時下の大人たちの邪悪さに耐え抜き、時には大人たちを罰する。
   やがて戦争は終わり、新しい支配者(ソ連軍)が町に出現する。新たな抑圧が進行する中、「僕ら」はある決意をする。それは、「僕ら」のひとりが「国境」を越えるという決意だった…
   小説『悪童日記』の原作者アゴタ・クリストフは、1935年ハンガリーで生まれ、貧困の中、高卒後すぐに結婚し工場労働者となった。ナチス・ドイツの支配 からソ連の支配下となった母国で起こった1956年のハンガリー動乱、彼女は乳呑み児を抱えて西側に逃れ、スイス(フランス語圏)に移住する。難民の彼女 は工場労働で生計を立てながら、大学の外国人向け講座でフランス語の読み書きを学び、やがて数多くの戯曲作品をフランス語で書き始める。1986年、初め ての長編小説『悪童日記』がパリの大手出版社スイユ社から出版される。彼女は50歳になっていた…
   とてつもなく困難であると思われた映画化に成功したのは、ハンガリーのヤーノシュ・サース監督。1958年、ブダペスト生まれ。映画だけでなく舞台演出で も国内外で活躍していた彼は、長い間待った末にようやく映画化権を獲得し、スイス在住のアゴタ・クリストフに会いに行く。彼女の承諾を得た彼は、定期的に 彼女に会い物語を再構成し、原作では明確にされていなかった物語の舞台を具体的にハンガリーに設定した。それは、彼女の希望でもあった(彼女はクランク・ インの1年前、2011年7月に亡くなった)。
   映画に戻る。
   主役の双子を演じたジェーマント兄弟の演技、というよりその存在感は特筆されるべきだろう。ハンガリーのすべての学校に連絡し、双子の子役探しを半年続け た末に「発見」されたという彼らのナチュラルな美しさと野性味は、この映画を成功させた最大の要因といってもいい。そして、脇を固める俳優たちの演技と撮 影監督クリスティアン・ベルガーのカメラワーク。映画を観ている者は、この物語はどこまでも続いていくのだと思う…
   いつか、『悪童日記』の続篇『ふたりの証拠』(1988、邦訳1991年)が、同じスタッフとジェーマント兄弟によって映画化される日を待ちたい。

▼「悪童日記」予告編


※なお、「フォーラム八戸」では2014.12.27~2015.1.9公開。これから公開される東北・北海道の主な映画館は、「フォーラム仙台」(2015.1.10~)・「フォーラム盛岡」(2015.1.17~)・函館「シネマアイリス」(2015.2.14~)他。
<後記>
   この映画について、原作について、アゴタ・クリストフについて、ハンガリーの現代史について、書くべきことはまだまだたくさんあるが、今回は速報として映 画の紹介だけを発信する。クリストフ関連の情報については、かつて『越境するサル』に書いたことがあるので、<付録>として下に掲載する。
   次号は、台湾をめぐる映画と小説の記憶。明日から準備に入る予定だが、これがなかなか難航しそうだ…


<付録>
   かつてアゴタ・クリストフとハンガリー動乱について書いた『越境するサル』バックナンバー。 
    『越境するサル』 №42 (2006.5.28発行) 

今月、待ち望んでいた2冊の本との出会いを果たした。アゴタ・クリストフ自伝『文盲』(2004年、邦訳2006 年白水社)と小島亮『ハンガリー事件と日本~一九五六年・思想史的考察』(1987年、中公新書)である。『文盲』は、以前その一部が紹介されていたもの の全訳。『ハンガリー事件と日本』は、絶版となっていたためここ数年古書店などを探していたものだが、新しい勤務先の図書館の棚で「発見」した。 

     「アゴタ・クリストフの衝撃、ハンガリーの衝撃」


   1991年、アゴタ・クリストフの長編小説『悪童日記』(1986年、フランス)の邦訳が刊行された。それはひとつの「事件」であった。簡潔な文体と衝撃 的な内容のその作品は、フランス語で発表されてから数年で世界文学史上に残る傑作と評価され現在まで33の言語に翻訳されているが、著者のクリストフは発 表当時全く無名のハンガリーからの亡命女性だったのである。そして日本においても、他の国々と同じようにある衝撃をもって『悪童日記』は迎えられた。

   かなり遅れてこの本と出会った私も、他の多くの読者と同じように「一晩で」読了し、クリストフ作品の虜となった。物語は第二次大戦末期、ハンガリーのオー ストリア国境付近と思われる田舎町に疎開させられた双生児の少年(たち)が主人公である。二人は近隣から「魔女」と呼ばれる怪物的な祖母のもとで苛酷な生 活を強いられているが、その厳しい生活の中で彼らはたくましく、したたかに、労働し、学習し、「恐るべき子供たち」に成長していく。
   この双生児の物語の、戦後スターリン体制下における続篇とも「変奏曲」とも言える作品が『ふたりの証拠』(1988年、邦訳1991年)と『第三の嘘』 (1991年、邦訳1992年)であり、『悪童日記』と合わせて「三部作」を構成している。1956年の「ハンガリー動乱」(以後、便宜的にこの呼称を用 いる)の暗い記憶が刻印された人々の生活を背景に、徹底して主観を排した文体で「ベルリンの壁崩壊」後に至る魂の物語が展開された「三部作」、とでも言っ ておこうか。
   さて『文盲』(※注1)である。私たちは、著者の体験(というより人生そのもの)と真正面から向き合わされる。家族の(とりわけ兄との)一体感、スターリ ン体制下の生活、亡命体験(それは難民体験であるが)、故国への想い、本を読むことと書くことへの想い・・・それまでに書かれた物語とは違う自伝という形 ではあるが、時に重なり合い、時に註釈ともなりうるもうひとつの物語と私たちは出会う。そして「文盲」と題された理由、つまり彼女が異国の地でハンガリー 人としてのアイデンティティを浸食されながら、生きるためにフランス語を学習し(彼女は9歳でドイツ語、11歳でロシア語を押しつけられた経験を持つ が)、この決して母語のようには書けない言語で作品を作ろうと挑戦したその過程(いわば「文盲」状態からスタートした)を知る。それは何という苛酷な、孤 独な挑戦だったことだろう・・・
   こうして私たちは、彼女の人生の結節点となったハンガリー動乱そのものに向かう。
   1953年のスターリン死去、その後のフルシチョフの雪解け路線への移行をうけて、1956年10月23日、ブダペストで起こった学生・労働者と秘密警察 との衝突は、ソ連軍の介入を経て劇的な展開を見せる。ソ連に従わないため失脚していたナジ・イムレが首相に任命されたのである。そのナジ政府のもとで、駐 留するソ連軍の撤退が開始された10月30日、民衆と秘密警察との再度の衝突が始まり、11月、ソ連軍の戦車2500両、歩兵15万人がブダペストに到着 する。「動乱」は鎮圧され、ナジ首相は逮捕され2年後に処刑、5000人以上の死者と10万人以上の難民(国外逃亡者・亡命者)が生み出された(※注 2)。
   その亡命者たちの中に彼女がいた。反体制運動をしていた夫と幼い娘とともに難民としてオーストリアへ逃げ、それからスイスへ亡命、その地で彼女は工場労働者として生きていく・・・
   ハンガリーで起こった出来事は遠く離れた日本にも大きな影響を与えたが、その見取図となるような書物を私たちはそれほど持っているわけではない。
   『ハンガリー事件と日本』は、ハンガリー動乱の衝撃が日本の思想界に与えた影響を丹念に拾い出し、新書という体裁にまとめ上げた貴重な研究である。「ス ターリン批判」そのものから筆を起こし、「ハンガリー事件」と「ハンガリー論争」の経過の記述を序章とし、その後五章にわたって日本(論壇・知識人・政治 党派)の動向が詳述されているが、その目配りと構成は本格的なものだ。
   まず「講座派」と「労農派」という「日本マルクス主義」の2つの流れと「日本的近代主義」を押さえ、ついでハンガリー動乱の影響をうけた知識人たちの「新 潮流」が一通り紹介される。佐々淳行・藤田省三・佐々木基一・松下圭一・梅棹忠夫という一見脈絡のない、しかし説得力のあるラインナップ。そして後半の百 数十ページ、社会党・自民党・日本共産党の「ハンガリー事件」への対応から「ニューレフトの創成」(本書にあるとおり「日本のニューレフトがハンガリー事 件を直接の契機に誕生した事実は、比較的広く知られている」)に至る政治史(あるいは政治思想史)へと記述は続く。それは、それぞれの政党や党派の歴史で は決して客観的に書かれることのない、徹底して吟味された資料によって構成された記述である。
   このようなよく整理された概説を読むと、たちまちそのひとつひとつの資料に踏み込みたいという欲求に駆られる。たとえば、埴谷雄高と中野重治のハンガリー 動乱への対照的な対応(当然のことだが)について比較・検討することは、私にとって避けて通るわけにはいかない重要なテーマである。さらに「新潮流」にし ても「ニューレフト」にしても、その思想や組織・運動は私(たち)にとって壁であり父(あるいは兄)であり続けたものだ。私(たち)にとってはすでに目の 前に存在していたものの出自を探る旅、という言い方は大げさすぎるだろうか・・・
   いま私は、『ハンガリー事件と日本』の中で紹介された著作や資料のいくつかへすでに向かっている。まず「ニューレフトの創成」の冒頭で詳しく解説されてい る真継伸彦の長編小説『光る声』(1966年)。ある私立大の日本共産党教員細胞のリーダー教授とその周辺の、ハンガリー動乱をめぐる動揺と混乱、そして 離党をめぐる劇を描いたこの小説は、戦中の弾圧の記憶を含む知識人の精神史として読むことができる。登場する者の多くが、ソ連共産党に失望し、さらに日本 の「党」の対応(以前の誤りも含めて)に対する複雑な思いを抱く様は、戦後思想史の一断面を見せられるようだ。
   このあと私は、中野重治と埴谷雄高に関する資料・書籍に向かうだろう。さらに、「プラハの春」と「ポーランド・連帯」をめぐる映画や書籍の記憶に向かうだろう。それはもう、自分史とも明確に重なる時代の記憶だ。 
(※注1)
   1989年から1年間スイスの雑誌に連載されていたものが、この自伝の原典である。彼女の長編小説第四作『昨日』(1995年、邦訳1995年)の巻末付 録『母語と敵語』(1995年のクリストフ来日講演原稿)に収録されていたものと内容が重なっているが、今回の出版が「決定版」の訳出と考えるべきであろ う。
(※注2)
   2005年、NHKBS1で放送された『戦後60年 歴史を変えた戦場』シリーズの中の「ハンガリー動乱~ブダペストの13日間~」は、この動乱の経過と歴史的意義を過不足なくまとめたドキュメンタリーである。私も随分参考にさせてもらったが、今年10月21日・22日開催予定の「ハンガリー1956シンポジウム」 ttp://www1.odn.ne.jp/~cal16920/2006-Hungary1956-Sympo.HTM でもビデオ上映が予定されている。 
<後記>(№42)
   転勤から二ヶ月が過ぎようとしている。高校総体終了まで休日返上のハードな日々が続く(始業式から今日まで休日は1日のみ)が、一方でバス通勤(電車通勤 を含む)生活に慣れてペースをつかんできたのも事実だ。今回の通信のために読んだ7冊の本(うちアゴタ・クリストフの再読4冊)はすべて、通勤のバスや電 車の車内・駅やバスターミナルの待合室・ソフトボール遠征先のホテルのロビー等で読まれたものである。
   アゴタ・クリストフ自伝をきっかけに、東欧からロシア関連の書籍・映画について少し集中して扱いたいと思う。順序は未定だが、『プラハの春 モスクワの春』など藤村信の著作、『存在の耐えられない軽さ』(映画およびミラン・クンデラの原作)、『イワン・デニーソヴィチの一日』などソルジニー ツィンの著作、アンジェイ・ワイダの映画『大理石の男』と『鉄の男』等々についてである。これらの作品との出会いは、私にとって「事件」であった。


(harappaメンバーズ=成田清文)

※『越境するサル』はharappaメンバーズ成田清文さんが発行しており、個人通信として定期的にメールにて配信されております。    

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