所用で出掛けた都内で、『鉄くず拾いの物語』『ドラッグ・ウォー 毒戦』『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』を見た。これらの映画は、座席数の少ない映画館で上映されることが多い、いわゆる単館アート系映画である。
実話に基づいている『鉄くず拾いの物語』の舞台は、ボスニア・ヘルツェゴビナの田舎だ。自動車を解体したスクラップを売って細々と暮らしているナジフの一家に、次々と難題が降りかかる。
貧乏なロマの一家は保険証を持たない。手術代が払えないので、流産した妻の手術は拒否される(医師倫理の原点である「ヒポクラテスの誓い」に反した暴力的な行為だ)。薬を買うお金もなく、電気まで止められてしまう。
ナジフは義理の妹の保険証を借りて妻に手術を受けさせ、動かなくなった自分の車を解体して少しのお金を手に入れる。電灯がついた瞬間、小さな娘たちが喜ぶ姿はつかの間の幸福感をもたらすが、それは問題の先送りでしかない。
ダニス・タノヴィッチ監督は、この過酷な体験の当事者に再現させたが、彼ら、特にナジフの演技には驚ろかされる。映画は、持てる者と持たざる者が厳然と存在する世界の現実と、格差社会に内在する暴力性を声高に訴えることはしないが、観客はこれらのことから目をそむけてはならない。
ジョニー・トー監督の『ドラッグ・ウォー 毒戦』は、香港と中国本土を舞台にした麻薬捜査の物語である。
麻薬組織の捜査を担当するジャン警部(スン・ホンレイ)は、テンミン(ルイス・クー)を逮捕し、「本土では死刑になる。死にたくなければ、捜査に協力しろ」と脅して、おとり捜査に引き込む。怪しげな人物が入り乱れて、捜査は進んでいく。もちろん、テンミンが寝返る危険性は常にあり、ジャン警部とテンミンの駆け引きが面白い。
また、密売人に扮したジャンが相手を信用させるために大量の覚醒剤を摂取した後の処置など、ジャン警部が率いる捜査チームの手際の良いチームワークにも目を見張る。この映画の最大の美点は、物語の展開とそれぞれの場面のスピード感である。
そして、激しい銃撃戦の先には別の死が用意されている。法がもたらす死もまた、一種の暴力であることを意識させられるのである。
ジム・ジャームッシュが監督した『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』は、21世紀の吸血鬼物語だ。
ミュージシャンとして世を忍ぶアダム(トム・ヒドルストン)は、ギターのコレクターでもある。恋人のイヴ(ティルダ・スウィントン)が、大西洋を横断して夜の飛行機でやって来るのは、彼らが太陽の光、ニンニク、木の杭、十字架が苦手だからだ。経由地にロンドンを避けるのは、ドラキュラ伯爵の仇敵だったヴァン・ヘルシング教授の末裔が住んでいるからだろうか。
21世紀の吸血鬼は無用のトラブルを避けるため、人間を襲わない。病院から輸血用の血液を不正に購入している(O型Rhマイナスが上物らしい)。だが、汚染された血液が彼らの生存を脅かす。アダムとイヴは生き延びるため、健康な恋人たちの血を吸い、旧来の作法通り、死体ではなく吸血鬼に転生させることを決意する。
このオフビートな吸血鬼映画では、人間が吸血鬼に襲われる暴力よりも、吸血鬼さえもが血液による感染という暴力にさらされているという寓意を読み取るべきだろう。
(harappa映画館支配人=品川信道)[2014年1月21日 陸奥新報掲載]
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