マドリードをあとにして、南の地アンダルシアに向かう。コルドバ・セビリア・グラナダ…イスラーム王朝の面影が残る街々。その出会いの予感に、胸はときめく。
「スペイン紀行(中)~アンダルシア~」
スペイン3日目。朝7時半、ホテルを出発し、マドリード・アトーチャ駅へ。アトーチャ駅の熱帯植物園のような「待合室」で時間をつぶし、9時発セビリア行き高速鉄道AVEに乗り込む。いわば「新幹線」の旅である。
ラマンチャの地から、アンダルシアへ。快適なシートと広がる車窓。どこまでも続くオリーブ畑…
アンダルシアという地名から、想起される映画作品が2つある。1つは、ルイス・ブニュエル監督(スペイン)の『アンダルシアの犬』(1929)。シュールレアリスムの記念碑的作品である。学生時代、大学祭の企画で自主上映したことがあり、私にとっても現在につながる記念碑的な映画だ。2016年、東京・国立新美術館で開催された「ダリ展」の上映コーナー(ダリはこの映画の共同製作者)で再会したが、いつまでも新しさを失わない前衛的な映像だと、改めて感じた。
もう1つは、ユーセフ・シャヒーン監督(エジプト)の『炎のアンダルシア』(1997、原題『運命』)。イスラーム王朝(ムワッヒド朝)支配のアンダルシア。当代一の知識人として尊敬を集める哲学者アヴェロエス(イブン・ルシュド)は、哲学や娯楽を禁ずるイスラム原理主義者の陰謀に巻き込まれて、焚書を命じられるが…原理主義への批判を軸にした社会派ドラマだが、一方で冒険活劇であり、ミュージカルの要素も持ったエンターテインメント作品である本作は、北方のキリスト教社会の野蛮さも描いており、進行しつつあるレコンキスタ(キリスト教徒による国土回復運動)への不安を感じさせる映画でもあった。そして、この映画の舞台となったのが、首都コルドバである…
10時50分、コルドバで下車。コルドバ生まれの現地ガイド・イザベルの流暢な日本語に導かれ、白い小径に花々が彩りを添えるユダヤ人街を通り、コルドバのシンボル・メスキータを目指す。
メスキータは元々イスラームのモスクとして建てられ(8世紀、後ウマイヤ朝)、その後キリスト教のカテドラル(大聖堂)とされた。したがって、メスキータには2つの文化、2つの世界が融合している。ミナレット(尖塔)、イスラームの「円柱の森」、キリスト教のカテドラル、2つの世界が入り混じった不思議な空間に、ただただ圧倒される。
メスキータを抜け、ローマ橋を歩き、その橋の要塞だったカラオーラの塔を間近に見て、コルドバの街をあとにする…
パラドール(景勝地の国営ホテル)のレストランにて昼食(オックステール煮込み)。その後、2時間ほどバスに揺られ、アンダルシアの州都セビリアへ。
セビリアのホテル到着後、夜はタブラオ(フラメンコショーを楽しむ劇場・店)にツアー客全員で出かけ、フラメンコショー。タパス(小皿料理)とサングリア、シェリー酒を楽しみながら、踊りとギターと歌すべてに酔いしれる…
スペイン4日目。午前中は、セビリア市内観光。アルカサル(宮殿)・カテドラルとヒラルダの塔・スペイン広場…盛沢山のスケジュールに身が引き締まる。ホテルを出発してまもなく、貿易都市として栄えたセビリアを支えたグアダルキビル川に沿って立つ、黄金塔を左に見る。
観光の中心となる旧市街地を歩く。雨が激しくなってきた。
まず、壮麗なイスラーム風宮殿アルカサルを訪れる。イスラーム時代の城を、レコンキスタ後にキリスト教徒の王が改築したこの宮殿に、色濃く残るイスラーム文化。
続いて、スペイン最大の規模を誇るカテドラル。モスクの跡地に建設された、とてつもなく巨大なこの大聖堂は、1519年に完成。さまざまな様式が混在する、豪華そのものの内部にため息をもらし、当時スペインを構成した4人の王に担がれたコロンブスの墓にあわててシャッターを切り、モスクのミナレットとキリスト教の鐘楼が融合した97mのヒラルダの塔の展望台から街を一望する。そろそろ疲労がたまってきた。
1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場、スペイン広場で一息つく。そういえば、セビリアでは万国博覧会も開催された。1992年のことだ。この年、バルセロナではオリンピックが開かれた。1975年以降、つまりフランコ没後のスペインの劇的な変化の歴史を反芻する。
昼食の後、グラナダへ向かう。3時間余のバスの旅だ。
午後6時、グラナダ着…
スペイン5日目。この朝も、ホテルの朝食を楽しむ。生ハム・チーズ・エッグ・パン・ヨーグルト・エスプレッソのコーヒー…どのホテルも美味しかった。ランチやディナーより、朝食の方がずっといい。特に、グラナダのホテルのコーヒーが美味かった…
テレビでは日本のニュース。東日本大震災七周年追悼式。この日は、3月11日だった…
1236年、コルドバがキリスト教徒に奪回され、1248年にはセビリア陥落、その後1492年のグラナダ陥落まで、イスラーム勢力最後の砦としてグラナダは繁栄を続けた。その「終末の宴」ともいうべきアルハンブラ宮殿を、歩く。
まずは、ヘネラリフェ庭園・夏の離宮を訪れる。
そして、宮殿の心臓部・ナスル朝宮殿へと足を踏み入れた…
イスラーム芸術の最高傑作を堪能した後は、2時間かけて「白い村」ミハスへ。そこで、ソパ・デ・アホ(ニンニクスープ)とシーフードフライの昼食。しばし、このリゾート地でくつろぐ…
アンダルシアを駆け抜けた、濃密な3日間。この後、マラガから飛行機でバルセロナへ…
<後記>
「スペイン紀行(上)」に続いて、「スペイン紀行(中)」を発信する。次号は「今年出会ったドキュメンタリー」。その後、「スペイン紀行(下)」を発信する予定。
(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。
いいなあ、行きたい‼️
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