2024年3月12日火曜日

『越境するサル』№.213「ヤン ヨンヒ、母の物語『スープとイデオロギー』へ、~上映会への誘い~」(2024.03.12発行)

 2024年3月16日、harappa映画館は、ヤン ヨンヒ監督の長編ドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』(2021年、全国公開は2022年)と『ディア・ピョンヤン』(2005年)の上映を行う。弘前で(harappa映画館で)ヤン ヨンヒ作品が上映されるのは、2014年以来である。


「ヤン ヨンヒ、母の物語『スープとイデオロギー』へ、~上映会への誘い~」



 2021年、山形国際ドキュメンタリー映画祭「インターナショナル・コンペティション部門」にノミネートされた『スープとイデオロギー』を、私は山形の地で観るはずだった。しかし、コロナ禍の中、映画祭はオンライン上映のみで行われることとなり、しかも、『スープとイデオロギー』はオンラインでは上映されない作品だった。

 2022年全国公開され、ようやく多くの人々の前に登場した本作は、ドキュメンタリー映画というジャンルを超えた高い評価を獲得した。そして、ヤン ヨンヒ監督の過去の長編3本(うちドキュメンタリー2本)の観客であった私(たち)にとっても、特別な作品となった。


 それは、私(たち)が長年感じてきた疑問―朝鮮総連の熱心な活動家だった両親は、「帰国事業」で3人の兄たちを北朝鮮に送るが、なぜ父と母は「北」を信じ続けてきたのか?―に監督が真正面から向き合う作品だったからだ。

 映画は、ある夏の日から始まる。2009年にアボジ(父)が亡くなってから大阪でずっと一人暮らしだった在日コリアンのオモニ(母)は、高麗人参とたっぷりのニンニクを詰め込んだ丸鶏をじっくり煮込む。それは、娘ヨンヒとの結婚の挨拶にやって来るカオルさんにふるまうためのスープだった。新しい家族にレシピを伝えた母は娘のヨンヒに、はじめて自らの壮絶な体験を打ち明けた。1948年、当時18歳の母は韓国現代史最大のタブーといわれる「済州4・3事件」の渦中にいた……

 父が他界したあとも、“地上の楽園”にいるはずの息子たちに借金をしてまで仕送りを続ける母を、ヨンヒは心の中で責めてきた。心の奥底にしまっていた記憶を語った母は、アルツハイマー病を患う。消えゆく記憶を掬いとろうと、ヨンヒは母を済州島に連れていくことを決意する。それは、本当の母を知る旅のはじまりだった。



 ヤン ヨンヒ監督は、1964年大阪生まれの在日コリアン2世、米国NY・ニュースクール大学大学院メディア研究学科修士号取得。 高校教師、劇団女優、ラジオパーソナリティを経て、ドキュメンタリーの世界へ。
 2005年、自身の父を主人公に家族を描いた初の長編ドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』(2014年2月、harappa映画館「ドキュメンタリー最前線2014」で上映)を発表。




 2009年、自身の姪の成長を描いたドキュメンタリー映画『愛しきソナ』(2014年3月、harappa映画館「故郷とは、家族とはーヤン・ヨンヒ特集」で上映)を発表。

 2012年、初の劇映画となる『かぞくのくに』(2014年3月、harappa映画館「故郷とは、家族とはーヤン・ヨンヒ特集」で上映)を発表、同年夏より日本公開となり、 アカデミー賞外国語映画賞日本代表選出を皮切りに、多くの国際映画祭に正式出品、複数受賞するなど高い評価を得た。

 なお、2014年3月のharappa映画館「故郷とは、家族とはーヤン・ヨンヒ特集」にヤン ヨンヒ監督はゲストとして訪れた。上映後のトークおよびサイン会を記憶している方も多いだろう。




 今回、これまでの監督作品の「家族の物語」とりわけ「母の物語」の続篇であり「謎解きの物語」である『スープとイデオロギー』を、「家族の物語」のスタート地点である作品『ディア・ピョンヤン』とともに、お届けする。


「ヤン ヨンヒ、母の物語『スープとイデオロギー』へ」
2024年3月16日(土)
弘前市民文化交流会館(ヒロロ4階)

13:30~『スープとイデオロギー』(118分)
15:50~『ディア・ピョンヤン』(107分)

入場料(各回入替制)
一般:1200円  学生:500円  2枚セット券:2000円


<後記>
  前号№212「木村文洋監督『息衝く』、再び」に続いて、「上映会への誘い」である。活動の幅が少しずつ狭くなってしまっている現在、せめて自らが関わる上映会についてだけでも発信しなければ、と思う。


harappaメンバーズ=成田清文
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。




2024年1月17日水曜日

『越境するサル』№.212「木村文洋監督『息衝く』、再び~上映会への誘い~」(2024.01.18発行)

  2024年1月25日、木村文洋監督の長編映画『息衝く(いきづく)』(2017年、全国公開は2018年)の再上映を、彼の出身地・弘前で行う。青森県での上映は、2017年(弘前・harappa映画館、国内初上映)・2018年(青森県立美術館)に続いて3回目である。



「木村文洋監督『息衝く』、再び~上映会への誘い~」





 2022年、「政治と宗教」・「宗教2世」についての関心が高まる中、『息衝く』は「2世信者の苦悩と葛藤を描いた群像劇」として再評価され、東京・ポレポレ東中野、大阪・シアターセブンにて緊急上映された。 

 先陣を切ったポレポレ東中野では、「宗教団体による反社会的活動が取り沙汰されている昨今、宗教と政治の関わり、信仰とは何か?を問う問題作が緊急上映決定!」と銘打ち、上映後に<「宗教・政治・家族」を巡って>と題したトークイベントも連日開催、この再上映自体がひとつの社会現象となった。トークイベントの登壇者は次の通り。


9/3(土)登壇:木村文洋監督

9/4(日)登壇:藤田直哉(SF・文芸評論家)、木村文洋監督

9/5(月)登壇:宮台真司(社会学者)、木村文洋監督

9/6(火)登壇:島田裕巳(宗教学者)、木村文洋監督

9/7(水)登壇:寺尾紗穂(シンガーソングライター、エッセイスト)、木村文洋監督

9/8(木)登壇:木村文洋監督

9/9(金)登壇:木村文洋監督


 この2022年9月のトークで何が話されたのか、そして何故「再評価」「再上映」されたのか。これを確認するために、今回の「弘前再上映」は企画された。


 2008年、木村文洋監督は青森県六ケ所村核燃料再処理工場のそばに生きる男と女の別れ、そして再会の物語を世に問うた。この物語『へばの』はまた、六ケ所村に生きることを選択した父と娘の「家族」の物語でもあった。その二人には、東京に移住して生き別れになっている妻と息子(母と兄)がいた…

 2012年の長編第二作『愛のゆくえ(仮)』を間に挟んで、2017年、木村監督はついに、東京で暮らす母と息子-「もうひとつの家族」を描き出す『息衝く』を完成させた。

 舞台は東日本大震災から数年後の東京、夏。かつて青森から移住してきた主人公を含む三人の男女と、彼らを取り巻く人々ひとりひとりの肖像が私たちの前に投げ出される。宗教活動と政治活動の挫折、裂け目の入ったままの家族、交錯する風景と時間と記憶…


 2017年の弘前上映の際、私は「まだ誰も見たことのない映画」と紹介したが、観る時期によって『息衝く』は違った貌を私に見せてきたように思う。

 2017年2月、東京の試写会で私は「家族の物語」としてこの映画を受容した。2017年12月、弘前の上映会で私(そして私に近い世代の人々)は「組織と個をめぐるドラマ」としてこの映画を受容した。

 そして今回、「2世信者の苦悩と葛藤を描いた群像劇」として、「政治と宗教をめぐるドラマ」として、私たちは再び『息衝く』と向き合う。



2024年1月25日(木)

弘前市民文化交流会館(ヒロロ4階)


14:00~16:20『息衝く』1回目上映

16:30~17:15木村文洋監督トーク

17:30~19:50『息衝く』2回目上映



 以下は、『息衝く』公式サイトに基づく作品紹介と、ゲスト(木村文洋)の紹介である。


息衝く

脚本:木村文洋、杉田俊介、兼沢晋、中植きさら、桑原広考 

撮影:高橋和博、俵謙太

出演:柳沢茂樹、長尾奈奈、古屋隆太

2017年 /日本/ 130分


 東日本大震災から数年が経過した夏の東京。新興宗教団体「種子の会」の青年信者・則夫と大和は、「種子の会」を母体とする政党「種子の党」の選挙戦に駆り出される。則夫と大和はともに、自衛隊派兵を機に失踪したかつてのカリスマ的リーダー・森山を師としていた。 選挙活動のさなか、則夫は幼少期を共に過ごし思い焦がれていた慈(よし)と再会し心が揺れ動くが、同居する母・悦子の最期が近づいていた。則夫と悦子は、青森県六ケ所村から東京に移住し、父と妹と20年以上会っていなかった…


ゲスト/木村文洋

木村文洋

1979年青森県弘前市生まれ、弘前高校卒業。京都大学在学中の1998年より自主映画の制作を始め、2000年より京都国際学生映画祭の運営に参加、2003年運営委員長となる。大学卒業後、映画監督の井土紀州らに師事、井土監督の『ラザロ』(2007年)のプロデューサーなどをつとめる。

長編初監督作品は青森県内、六ヶ所村で撮影した『へばの』(2008年)、弘前では2009年7月上映(harappa映画館)。第32回カイロ国際映画祭デジタルコンペでシルバー・アワード受賞、第38回ロッテルダム国際映画祭上映。 

第二作『愛のゆくえ(仮)』(2012年)は、第25回東京国際映画祭「ある視点」部門上映。弘前では2013年3月上映(harappa映画館)。

『息衝く』(2017年)は第三作。弘前では2017年12月上映(harappa映画館)、国内初上映であった。



<後記>

  2023年4月に№211を発信してから、ブログ『越境するサル』は事実上の休止状態に入っていた。「書く内容を絞って(限定して)大事にひとつずつ発信していきたい」と決意はしていたのだが、なかなか書くことが出来ずにいた。

今回のテーマは、私が個人的に企画した上映会への「誘い」である。これだけは、しっかりと書かなければ、発信しなければ、と思う。




harappaメンバーズ=成田清文)

※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、

個人通信として定期的に配信されております。


2023年5月1日月曜日

【越境するサル】№.211「珈琲放浪記プラス~湯島聖堂から無縁坂へ~」(2023.05.02発行)

 

20233、東京滞在3日目。湯島聖堂から神田神社、そして湯島天神を過ぎて東京大学鉄門へ。無縁坂を下り、森鴎外『雁』の舞台を追体験する……

 

 

「珈琲放浪記プラス~湯島聖堂から無縁坂へ~」

 

 2023316日。山の上ホテルの「和朝食」から一日が始まった。コロナ禍のため部屋食だが、これはこれで落ち着く。今回、ホテルの名店(バーも含めて)を満喫することは出来なかったので、この朝食が貴重な体験となる。

 

この日は、神田駿河台のホテルから上野駅まで歩こうと決めていた。

今までも、上野駅を起点として歩くことは多かった。例えば浅草や谷根千、さらには珈琲の有名店を求めて南千住方面まで、数キロくらいなら全く気にならなかった。

今回のルートに決めたのは、以前から湯島・本郷の珈琲店から御茶ノ水駅界隈まで歩いてみたいと思っていたこと(だから山の上ホテルにしたのだ)と、出発の10日程前に観たテレビ番組の影響だった。

NHKBSP「プレミアムカフェ選」で再放送された「名作をポケットに 森鴎外 雁」(2001年放送)。山本和之氏がナレーションを務めるこの番組の中で、作家・立松和平(1947-2010)が『雁』の舞台である無縁坂や鴎外ゆかりの地を歩く。

私も、無縁坂を歩きたいと思った……




 朝食後、御茶ノ水駅付近の聖橋を越え、湯島聖堂を訪れた。

 湯島聖堂は、5代将軍徳川綱吉によって現在の上野公園内から移された林羅山の私塾と聖堂(孔子廟)が始まり。以後、幕府直轄の昌平坂学問所となり、明治維新後はのちの東京大学へと発展していく。


 

初めて訪れた聖堂の敷地内。巨大な孔子像と、壮麗な門と、花と、遊ぶ子どもたち。






 

聖堂の向かい側の神田神社の参道にひっそりと佇む「乙コーヒー」で少し遅いモーニング、トーストと「乙ブレンド1番(深煎り)」を注文する。





ここから、ゆっくりと、上野駅を目指す。

まずは、まっすぐ湯島天神へ。

 


そのまま通り抜け、切通坂を上る。




数分歩くと、春日通りに面した本郷三丁目(住所は湯島)の喫茶「TIES(タイズ)」にたどり着く。ここで極深煎りの珈琲を、濃厚なケーキとともに味わうのを楽しみにしていたが、店内は満席。これは覚悟していたことなので、迷わず珈琲豆を買って店を出る。店の数種類の豆をブレンドした、一番深煎りの「オリジナル」。この旅行で出会った珈琲の中で、おそらく最も苦い商品のはずだ……




 

店からほど近い、「春日局之像」から麟祥院横の小径に入り、まるで迷路のようなコースを歩き、東京大学鉄門の角に出る。もう、森鴎外『雁』の舞台だ。そして私は、「無縁坂」を下る。






 

道の右側の塀の向こうは「旧岩崎邸庭園」。ここまで来て、ようやく小説の舞台の地図が私の中で出来上がった。


 

小説のもうひとつの重要な舞台、不忍池はもうすぐそこだ。






(harappaメンバーズ=成田清文)

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2023年4月12日水曜日

【越境するサル】№.210「珈琲放浪記プラス~『ケイコ 目を澄ませて』から池袋へ~」(2023.04.13発行)

 

20233、東京滞在2日目。モーニングコーヒーと、ニコライ堂と、映画と、池袋駅近くの珈琲店。「エゴン・シーレ展」とともに今回の目玉としていた映画鑑賞を軸に、ひたすら歩く……

 

「珈琲放浪記プラス~『ケイコ 目を澄ませて』から池袋へ~」

 


 2023315日。山の上ホテルで迎える朝。

 実はこのホテル、昔、生徒の就職先として世話になっていた。宿泊したこともあるが、それは当時あった別館(アネックス)の方で、今回泊まった当時の本館は一度朝食のために入ったことがあるだけだった。


 

かつて、缶詰にされた作家たちの原稿完成を待つ編集者たちが詰めていたであろうロビーの雰囲気を味わい、朝食と珈琲を求めて散歩に出る。


 

まず、モーニング珈琲が飲みたかった。出発前に、ホテルから歩いてゆける店をいくつか調べていたが、第一希望の「高山珈琲」(神田須田町)が臨時休業中ということがわかったので、御茶ノ水駅付近の「穂高」に決めた。


 

モーニングに関しては、求めるのは厚焼きトーストと熱い珈琲と落ち着ける雰囲気。「穂高」の店内は、店名の通り山好きの人々が集まりそうな気楽な空気に満ちていた。そして、期待通りのトーストと珈琲。




 

 さて、ニコライ堂あたりまで散策してみる。


 

神田駿河台のニコライ堂(日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂)は、日本の正教会のいわば本山にあたる。残念ながら聖堂内部の見学(拝観)は出来なかったが、周囲を巡りながらその外観を頭に刻みつける。



この日のメインは、映画だった。東京で映画館に行かなくなってから久しい。今回は、どうしても行きたい作品があった。三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』2022)。昨年の映画賞レースでベストワンと主演女優賞を総なめした話題作だが、地方にいるとなかなか観ることが出来なかった。

新宿「テアトル新宿」、伊勢丹の隣の区画だがなかなか見つけられず、上映10分前にようやくたどり着いた。



 

三宅唱監督の作品は、佐藤泰志原作の『きみの鳥はうたえる』(2018)を弘前で自主上映したこともあり注目していた。

『ケイコ 目を澄ませて』は、聴覚障害と向き合いながら闘い続ける女子プロボクサー・ケイコ(岸井ゆきのが演じている)の物語だ。聴覚障害というボクサーとして致命的なハンディキャップを背負いながら、実直に「目を澄ませて」生きていく彼女の姿がまぶしい。彼女の人生が(喜びも悲しみも)まっすぐに観客に伝わってくる映画だ。

脇を固める、三浦友和・三浦誠己・松浦愼一郎らの抑えた演技もいい。そして何よりも、私が長年愛してきたボクシング映画(寺山修司の原作や監督作品も含めて)の中で唯一不満を感じる部分(例えば、ストップモーションで打たれ続けるような不自然なシーン)が全くないという奇跡……そのようなシーンなど必要ないことを証明してくれたこと、このことが嬉しい。

今までのボクシング映画が、全部飛んでしまった……

このノートのようなものが、公式パンフレット。



 

映画館を出て、池袋を目指す。娘一家が住む、西武池袋線沿線の町に行くためだが、どうしても訪れたい珈琲店が、東池袋にあった。

 

「炭火煎珈琲 皇琲亭」。池袋駅から徒歩3分ほどの距離だが、まるで隠れ家のような安心感を与えてくれる立地、そして外観だ。

客であふれる店内に、なんとかカウンター席を確保し、チーズケーキとマンデリン(深煎り)という私の基本コースを選択。



思ったより優しい味のマンデリンだったが、これが現在のスタンダードなのだろう。というか、今まであまりにも深い焙煎を追い求めすぎていたのだ……

 

池袋駅で、恵比寿「猿田彦珈琲」のショップを発見し、深煎りの豆「neo 猿田彦 フレンチ」を購入。恵比寿の本店にはまだ行ったことがなかったので、ちょうどいい土産になった。






(harappaメンバーズ=成田清文)

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2023年4月3日月曜日

【越境するサル】№.209「珈琲放浪記プラス~『エゴン・シーレ展』から御茶ノ水へ~」(2023.04.04発行)

 

20233、いくつか目的があって東京に滞在した。わずか3日ほどの旅だったが、結局珈琲放浪を中心に計画を立てている自分がいた。

そういえば、しばらく「珈琲放浪記」を発信していない。旅行が制限されていたというのが一番大きな理由だが、その間も私はさまざまな珈琲と出会い、前と同じように珈琲中心の日々を過ごしていたのだ。前号の「函館幻視行」も、何割かは「珈琲放浪記」と言えるような内容だった。

しばらく、「珈琲放浪記プラス」という形で、出会った珈琲について(もちろんそれ以外の出会いも含めて)語り始めたいと思う。まずは今回の東京滞在から、3本ほど。

 

 

「珈琲放浪記プラス~『エゴン・シーレ展』から御茶ノ水へ~」

 

 2023314日。122分、上野駅着。ずっと東京には来ていなかった。もちろん、コロナ禍のせいだ。美術館も、博物館も、映画館も、すべて断念していた。というか、計画を立てる気力がなかった。せいぜい、近隣の街(県内か、隣県)に行くぐらいしか思い浮かばなかった。

 ようやく東京に来る気になったのは、東京都美術館で「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」が開催(1/264/9)されているからだ。若いときから、私にとってエゴン・シーレは特別な存在だった。彼を描いた2本の映画(1980エゴン・シーレ 愛欲と陶酔の日々』、2016『エゴン・シーレ 死と乙女』)の影響もあるが、美術の門外漢である私が画集を購入したりしたのだから、相当入れ込んだと言っていい。

 2019年(4/248/5)、国立新美術館で開催された「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」でも直にシーレ作品のいくつかを鑑賞することは出来たが、いつか本格的なシーレ展と出会いたいものだと思い続けていた。そして、その日は来た……


この日、東京では桜が開花。春の到来を体全体で受けとめた人々で溢れる上野公園を歩く。東京都美術館まで、まっすぐに。




 30年ぶりの日本での回顧展、全14章でシーレの作品50点を含む同時代の画家の作品120点、そのうち風景画のコーナーは撮影可……なんという、濃密な時間だ。遠くから、この時間を過ごすために、はるばるやって来たのだ……







ミュージアムショップで長い行列の末公式図説と絵はがきを購入し、美術館をあとにした。




すぐ、ホテルのチェックインのため、上野駅から御茶ノ水駅に向かう。かなり密なスケジュールを組んでいたため、カフェに寄っている余裕もなかった。

御茶ノ水駅からほど近い、明治大学に隣接する「山の上ホテル」を1ヶ月前に連泊で予約していた。



チェックインを済ませ、ようやく珈琲にありつくことにした。行く店は決めていた。ホテルからすぐ、明大通りの「古瀬戸珈琲店」。深煎りの「古瀬戸ブレンド」が飲めるはずだ。



 

初めての店だが、隣の古書店「文庫川村」には文庫や新書を求めて訪れたことがあった。




 

大勢の客で賑わう店に入り、カウンターに座って一息つく。もちろん注文は、「ブレンド」。選択した白い磁器のカップで、ゆっくり口に運ぶ。しっかり苦いが、優しい深煎りだった。この滞在中、出会った深煎り珈琲はみな一様に優しい飲み口だったが、それを象徴するような最初の一杯……



その後、古い友人たちと会うために、飯田橋に向かった……

 

夜、もうすでにお気に入りになったホテルに「帰宅」する。この感覚を味わいたいから、滞在するのだ。






(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、

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