2016年6月3日金曜日

【越境するサル】№.146「珈琲放浪記~仙台 野球とサッカーと映画と珈琲と~」(2016.6.1発行)

5月の末、プロ野球・楽天イーグルスとサッカーJリーグ・ベガルタ仙台の試合を観戦するために、娘一家のいる仙台を訪れた。もちろん、観戦以外の時間は映画と「珈琲放浪」だ

 
    「珈琲放浪記~仙台 野球とサッカーと映画と珈琲と~」

金曜日

   12時50分、高速バス「キャッスル号」で仙台着。広瀬通を20分ほど歩き国分町通へ左折、肴町公園付近を探し「コーヒービーンズストア ろじーな」(1973年創業)にたどり着いた。朝の時間以外は豆売り専門ということなので、「マンデリン」100gと「スノートップブレンド」100gを購入する。実は、この店の期間限定「5月の山岳コーヒー」として「トラジャ」があったのだが、私が仙台に向かう前に完売していた(そのことはホームページですでに知っていた)。職場で皆に「仙台で仕入れたトラジャを御馳走する」と宣言していた私にとって誤算だったが、とにかくこの店に来てみようと思っていた。かつて通信販売で何度か取り寄せたことがあり、その味については信頼していたのだ

   さて、どうしても美味しい珈琲を1杯飲みたかった。時間に余裕があったので、さらに広瀬通を西公園に向かって20分ほど歩き、立町の「珈琲専門 まつりか」(1978年創業)を目指す。ここの「トラジャ」は6月からだが、飲んでみたい銘柄はたくさんあった。その中から選んだのは、初めての「ゴールドトップマンデリン」美味い。重厚なコクは、まさしく「マンデリンの最高峰」と呼ぶにふさわしい。誠実さを感じさせる2代目ご主人との会話も、今回の旅で求めていたものだ。帰りに、この「ゴールドトップマンデリン」100gと、最近少し気になっている「モカ(イエメン)・深煎り」100gを購入、初日の「珈琲放浪」を終えた。

   娘一家と観戦した楽天イーグルスvs日本ハムファイターズは、コボスタ宮城に球団史上最多の観客2万6786人を動員して行われ、銀次のタイムリーヒット、塩見の力投とミコライオと松井裕の好リリーフで楽天が勝利、10連敗を阻止した。空前の盛り上がりを見せる球場で、私もヒーローインタビューまでを見届けた

土曜日

   午前10時50分、定禅寺通、「珈巣多夢(かすたむ)定禅寺通り店」(1976年創業)。
   定禅寺通は、私が仙台で最も好きな場所だ。ケヤキ並木、3体の彫刻、せんだいメディアテーク、いくつかのギャラリー、ダージリンの新茶とカレーが魅力的な「ガネッシュ・ティールーム」しかし今回は、「仙台でトラジャと出会うこと」が第一目標。
   そしてやっと、「トラジャ」にありついた。この店のホームページで何度も確認した「トラジャ・セレベス・アラビカ」。まず、そのまま一口、続いて少量の砂糖で、最後にサービスのビター・チョコと一緒に味わう。トラジャそのものに慣れていないためか、まだ味がよくわからない。切れ味がいいことだけはわかる。もう1杯注文するマンデリンとも違う、と言うよりマンデリン以上に苦みが前面に出た、深煎り派には嬉しい味わいだ。というような会話を店の人と交わし、「トラジャ」100gと「マンデリン(スマトラ・タイガー)」100gを購入する。「トラジャ」は職場用、「マンデリン」は自宅用。使命をひとつ果たしたような安堵感

   店を出た後、定禅寺通のベンチで、朝に買っておいたサンドウィッチを食べる。心地よい風、騒音の中の静寂、やはり定禅寺通は私の最高の場所。

   午後1時、クリスロード商店街、「桜井薬局セントラルホール」。
   その存在だけは知っていたミニシアター系映画上映館を初めて訪れる。ちょうど、中国の鬼才ジャ・ジャンクー監督の新作『山河ノスタルジア』(2015)が上映されていた。幸運としか言いようがない。

   ジャ・ジャンクー監督の過去の作品は5本観ていた。『プラットホーム』(2000)・『青の稲妻』(2002)・『世界』(2004)・『長江哀歌』(2006)・『四川のうた』(2008そのすべての主演女優であるチャオ・タオが、今回の『山河ノスタルジア』でも主演をつとめる(役名もタオ)。

   本作は3部構成で主人公タオとその周囲の人間の人生を淡々と描く。
   1999年、山西省フェンヤン、タオと男友達リャンズーとジンシェンの間のひりひりするような三角関係。タオと実業家ジンシェンの結婚。友情の終わり。炭鉱労働者リャンズーは故郷を離れる
   2014年、河北省ハンダン、長年の炭鉱で仕事で肺を患ったリャンズーは、家族とともに故郷に戻る。一方、タオはジンシェンと離婚し、一人息子のダオラーはジンシェンに引き取られている。タオの父の死。その葬儀のため7歳の息子ダオラーは故郷に帰り、母と再会する
   2025年、オーストラリア、19歳になったダオラーは大学生活に疑問を抱え、中国語教師ミアとの恋愛関係を続けるが、あることをきっかけに海の向こうの母の記憶がよみがえる。母タオは、山西省フェンヤンに暮らしている

   映画館を出た後しばらく、その余韻に浸った。市井の人びとの、ささやかな幸福を求めた、過去・現在・未来しかしそれは何という壮大な物語だろう。再び、中国映画の世界に私を誘う出会いとなりそうだ

   夕刻から、娘一家とタイ料理。明日はJリーグ。
  
日曜日

   仙台最終日。
   モーニングサービス、できれば深煎りの珈琲にトースト、それにゆで卵で朝を迎えたかった。必ず、この希望をかなえてくれる店があるはずだと、仙台駅東口付近を歩きまわる。しかし、チェーン店を除けばそれらしい店は発見できず、方向転換を決断。朝食は買ってきたサンドウィッチで済ませ、金曜日に訪れた立町の「まつりか」を再訪することにした。
   あわただしくホテルのチェックアウトを終え、駅西口からタクシーを飛ばして、10時の開店直後にたどり着く。

   注文したのは「モカ(イエメン)・深煎り」。金曜日に豆だけは購入したが、その後気になってしょうがなかった深煎りのモカ。初代のご主人がていねいに抽出する姿を見ながら、生豆をハンドピックする作業中の2代目と言葉を交わすこうして出会ったモカの味わいの何と優しいこと。酸味を全く感じさせない深煎りのモカの可能性について、考えさせられた1杯であった

   娘一家と観戦したベガルタ仙台とアルビレックス新潟の試合は、金久保・野沢・渡部・ウィルソンのゴールでベガルタが4-2で圧勝。力強い応援を続けた新潟サポーターの勢いに圧倒されながらも、仙台サポーターが溜飲を下げた、というより幸せをかみしめた一戦であった。私のJリーグ初観戦は、ハッピーエンドで終了。


   野球と出会い、サッカーと出会い、映画と出会い人と出会った旅。「旅先で飲むコーヒー」の味は格別だった。今回の店はすべて1970年代創業、もちろん自家焙煎、そして私が選んだ珈琲はすべて深煎り。仙台は私にとって、「自家焙煎・深煎りの街」。


<後記>

   今回の報告は、速報のようなものにしたかった。この3日間の体験はまだ熟成されていないが、まずこのような形で「珈琲放浪記」の再スタートを切ることにする。
   なお、「ジャ・ジャンクー」についても、「仙台の珈琲」についても、過去にこの『越境するサル』で言及している。

以下、<バックナンバー>として、ジャ・ジャンクーに関する文章と、仙台についての「珈琲放浪記」を掲載する。




<バックナンバー 

    『越境するサル』 №68(2008.5.10発行)

   4月に発売されたDVD『水没の前に』を偶然書店で見つけ、あわてて購入した。2005年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞(ロバート&フランシス・フラハティ賞)を獲得した中国作品である。かつてこの通信で、中国映画(とりわけ文化大革命を題材とした作品)への思い入れを綴ったことがある(注1)が、最近、私の中で中国映画に対する興味が再燃しつつある。
 
    「中国映画の輝き」

   『水没の前に』(2004年、リ・イーファン、イェン・ユィ監督)は、2009年完成予定の三峡ダム建設により住居を失い移転を余儀なくされる人々を描いたドキュメンタリーである。長江(揚子江)流域の古都奉節(フォンジェ)、カメラは李白の詩で名高いこの街の人々の1年間(2001年初頭から)の生活を写し取る。
   移転に伴う補償をめぐる庶民と行政の行き違い、キリスト教会の解体に伴う混乱、立ち退きを迫られる旅館の主人の苦悩、電気・水道が止められても廃墟にとどまり続ける人々。ひとつの時代が終わり、生活と歴史すべてが水の中に沈み込んでいく。その中でカメラが見たのは、人間性もまた廃墟の中に沈みゆくありさまであった。

   見事に時代と人間を写し取ったこのドキュメンタリーと同じ奉節(フォンジェ)の街を舞台にした劇映画が『長江哀歌(ちょうこうエレジー)』(2006年、ジャ・ジャンクー監督)である。
   『長江哀歌』(原題『三峡好人(三峡の善人)』)の主人公はふたり。ひとりは、16年前に別れた妻子を捜しに山西省から奉節にやって来た炭鉱夫ハン・サンミン(演ずるのはハン・サンミン)。もうひとりは、2年間音信不通の夫を捜しにやはり山西省からやって来たシェン・ホン(演ずるのはチャオ・タオ)。ひとりの男とひとりの女が、それぞれ妻と夫を求めてすでにダムの建設が進む三峡の地を歩く。
   美しい映像、過酷な現実、静かな哀しみ。私たちはすでにジャ・ジャンクーの世界に浸りきっている。登場人物たちが、自分の人生の記憶の人々となってゆく。

   1970年生まれの「若き名匠」ジャ・ジャンクーの作品に私が出会ったのは一昨年のことだ。高い評価を受けていた『世界』(2004年)をテレビ(WOWOW)で偶然観て、以前チャン・イーモウやチェン・カイコーの作品にふれた時と同じ種類の何かを感じた。
   『世界』の舞台は北京郊外のテーマパーク「世界公園」。エッフェル塔やピラミッドなど世界の名所がミニチェアで点在する。そこで働くダンサー「姐さん」ことタオ(演ずるのはチャオ・タオ)、とその恋人タイシェン(演ずるのはチェン・タイシェン)を軸に、人工的な空間の中でそれぞれの人生を模索する若者たちを描いた群像劇である。地方から都市に出てくる人々の描写は、ある種の普遍性を感じさせるもので、世界の観客の共感を得たはずだ。
   そして今年1月、前述の『長江哀歌』を映画館で観た(注2)。大きなスクリーンで観るジャ・ジャンクー映画の静かな、しかし圧倒的な存在感。他の作品もスクリーンで観たいと思うようになった。
   その月の末、盛岡で『プラットホーム』(2000年)が上映されることを知り駆けつけた(注3)。1979年から1991年の10年余、つまり改革開放のスローガンを掲げた80年代の中国を背景に、地方を旅する文化劇団員男女4人の10年間の変容を描いたこの映画の見事さは予想をはるかに超えていた。さらに、ここまで観た3本すべてに出演している3人、ジャ・ジャンクーの「ミューズ(女神)」とも言うべきチャオ・タオ、つねに実名で登場する無口なハン・サンミン、監督のデビュー以来の盟友ワン・ホンウェイ、彼らの存在も私の中で大きくなった。
  
   その作品のすべてを観たいと願うような感覚。この感覚はかつて経験したものだ、それも中国(中国語)映画で。
   中国のチャン・イーモウ、チェン・カイコー、台湾のホウ・シャオシェン、この3人の監督の作品を観るために、ひたすら情報を集め、映画館に足を運び、ビデオを探していた時期があった。1990年代のことだ。
   その中のお気に入りの映画、たとえばチャン・イーモウの『紅いコーリャン』(1987年)や『活きる』(1994年)、チェン・カイコーの『子供たちの王様』(1987年)や『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年)、ホウ・シャオシェンの『恋々風塵』(1987年)や『悲情城市』(1989年)などは、今でも私の中に確固とした場所を占めている。だが今、彼らの大作やヒット作を見ようという気力を私は失ってしまっている。ときおり映画館やDVDで観ることはあっても、そこにはもう以前のような思い入れはない。それどころか、中国(中国語)映画そのものに対する興味が失せてしまっている自分がそこにいた。
   そうした日々のあと、ジャ・ジャンクーと出会った。

   さて、私の中で再び輝きだした中国映画と、これからどのように出会っていくのだろうか。
   まず、ジャ・ジャンクーの未見の長編『一瞬の夢』(1998年)と『青の稲妻』(2002年)を観ることが当面の目標となる。映画館で観ることがかなわぬならば、DVDを購入することになるだろう。むろん鑑賞はできるだけ大きな画面(スクリーン)で、できるだけ暗くして。
   さらに冒頭でふれたドキュメンタリーも傑作・異色作が目白押しだ。山形国際ドキュメンタリー映画祭では、2003年・2005年(『水没の前に』)・2007年と3回連続で中国作品が大賞(ロバート&フランシス・フラハティ賞)を獲得している。2003年の『鉄西区』(2003年、ワン・ビン監督)は9時間を超える大長編(残念ながら私は冒頭の30分ほどを観ただけだが)、2007年の『鳳鳴(フォンミン)ー中国の記憶』(2007年、同じくワン・ビン監督)は老女性革命家が3時間にわたってひとりで語り続ける作品(注4)だ。
   「山形」で発表された中国ドキュメンタリーは数多い。アジアの新進作家を発掘する「アジア千波万波」部門はその宝庫だ。2007年の小川紳助賞を獲得して話題になった『稟愛(びんあい)』(2007年、フォン・イェン監督)もまた、三峡ダム建設を背景とした作品である。これもぜひ観たい。
   そして、これらの作品や作家たちは(劇映画も含めて)、氷山の一角にすぎない。まだまだたくさんの、未知の中国映画が、私たちとの出会いを待っているはずだ。

注1)
   2005年1月22日発行『越境するサル』№22「『文革映画』、交錯する記憶」参照。
注2)
   2008年1月5日。青森市「シネマディクト」。
注3)
   2008年1月26日。盛岡市「ルミエール」。併映は『世界』。
注4)
   20071015日発行『越境するサル』№61「再び山形、ドキュメンタリー映画の都へ」参照。


<バックナンバー

    『越境するサル』 №103(2012.5.21発行)

   たとえばこの通信の「旅のスケッチ」などで、旅先で立ち寄った喫茶店を紹介する時、そこで飲んだ珈琲について無性に語りたい自分がいる。実はどの店に行きどの珈琲を飲むか、地図も含めて事前に調べ着実にその珈琲にたどり着くように努力してきた。それらの店や珈琲との出会いを報告する、新シリーズを始めたいと思う。題して「珈琲放浪記」。
 
    「珈琲放浪記~自家焙煎・深煎りの街 仙台~」

  無類の珈琲好きである、と思う。いつでも美味い珈琲にありつくことを考えているし、30年以上ほぼ毎日自分で豆を挽いては、ペーパードリップで抽出し続けてきた。だが、好みが極端(強い焙煎の苦味を好み酸味を苦手とする)で、しかも朝昼の2回しか飲まないから、職場で皆と一緒に珈琲タイムということもあまりない。もっともこれは、コーヒーメーカーというやつが苦手なせいもあるのだが
   したがって私の「珈琲放浪」は、自分の好みを満足させてくれる一杯(または二杯)の苦い珈琲を提供してくれる店と出会う旅となる。フルシティロースト(深煎り)からフレンチロースト(極深煎り)までの、その店自慢のブレンドやストレートに、どれだけ私は出会えるだろうか。
  
   さて、「珈琲放浪記」のスタートは仙台だ。実は、仙台の喫茶店やカフェにそれほど詳しいわけではない。だが、かつて娘ふたりが住み(今もひとりが働いている)、山形の映画祭の往き帰りに立ち寄ることも多い、この街の珈琲はずっと気になっていた。ガイドブックなどを見ると、自家焙煎の専門店、それもかなりの歴史を持った老舗が何軒もある。この街なら、「深煎り」・「自家焙煎」の私好みの苦い珈琲にいくつも出会えそうだ
   というわけで、ここ1年ほどの間に訪れた体験の中から、とりあえず2つの店を紹介する。「AS TIME(アズタイム)」(青葉区一番町)と「ろじーな」(青葉区国分町)、どちらも30年以上の歴史を持つ、もちろん自家焙煎の店だ。

   AS TIME」を初めて訪れた時、奇妙な感覚に襲われた。それは既視感とでも言おうか、何ともノスタルジックな感覚だった。
   アーケード街「マーブルロードおおまち」の人混みから保原屋ビル(1・2階は「洋服の青山」)の地下へ降りていくと、そこにはタイムスリップでもして昭和の世界へ紛れ込んだような空間が広がり、陶器屋と雑貨屋(手ぬぐい屋?)の前を通り過ぎると、そこにたどり着く。
   シンプルなテーブルとチェア、壁に掛けられた妙に懐かしい絵画たち、そして、静かに流れていく時間
   珈琲は、薄口・中濃・濃口・特濃の4種類のブレンドのみ。それぞれが店主こだわりの自家焙煎と配合。妥協なき、というより客に迎合しない心意気を感じるが、客への接し方は実にソフトで気持ちいい。
   私の好みはもちろん濃口。昨年12月に初めて訪れた時は、続けて2杯飲んだ。濃くて苦くて切れ味よし。若干感じた胸の動悸は愛嬌か。
   今年4月、家族を連れて再訪し私は再び濃口。仙台駅からの距離もさほどないので、これからも立ち寄ることになるだろう。

   今年4月、「AS TIME」を出たあと家族といったん別れ、気になっていた店を確認しようと地図を頼りに街を駆け回った。このプロセスがなければ、ルートを記憶するのは難しい。
   一番町四丁目商店街まで急ぎ足で移動し、仙台自家焙煎発祥の店「カフェ・プロコプ」(青葉区一番町)でこの日2杯目のブレンドコーヒーを味わい、広瀬通に出る。晩翠通の手前で左に折れ肴町公園を目指し、公園向かいの角2階にある「コーヒービーンズストアろじーな」を何とか発見。この日は日曜のため休業だが、場所と店の雰囲気だけはチェックできた。
   そのあと、同じく日曜休業の「DE STIJL KOFFEE(デ・スティル コーフィー)一番町店」(青葉区一番町)の位置とその通りの雰囲気を記憶して、この日の放浪は終了した。
   これで仙台に別れをつげたわけだが、弘前に帰ってからどうも「ろじーな」の珈琲が気になってしょうがない。思い切ってインターネットで注文してみた。一番人気の「深煎りブレンド」、コロンビア主体のフルシティローストである。
   間もなく送られてきた豆を手動のミルで挽き、ペーパードリップで丁寧に抽出する。見事な膨らみ方に感心したあと、最初の一口。酸味が消え、苦味だけになった瞬間とでも表現すべきか。切れ味、香り、ともに満足。その後も抽出するたびに違った貌を見せてくれる、なるほど一番人気だと納得させられるブレンドであった。
   その後、二番人気の「スノートップブレンド」(タンザニア主体のフレンチロースト、つまり極深煎り)も取り寄せたが、こちらも深いコクがあってなかなかのものだった。
   というわけで、「ろじーな」を味わい続けている毎日である。

   このあたりで「自家焙煎・深煎りの街 仙台」は終えるが、紹介するべき店はまだたくさんある。
   去年の4月に訪れた、これもまた深い焙煎が印象的だった「まつりか」(青葉区立町、西公園近く)の再訪、さらには自家焙煎の店との新たな出会い仙台をめぐる{珈琲放浪記}は、はてしなく続く。



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。

0 件のコメント:

コメントを投稿