2017年10月17日火曜日

【越境するサル】№.163 「4年ぶり、映画の都へ~『山形国際ドキュメンタリー映画祭2017』~」(2017.10.15発行)

  今月、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2017」(10/5~10/12 ※注1)のために妻と山形市に滞在した。隔年で開催されているこの映画祭に私は2005年から参加してきたが、一昨年は仕事の都合で山形を訪れることができなかった。4年ぶりの映画祭、鑑賞する作品について何度も何度も検討を重ね、万全な状態で映画に臨むために体調を整え、高速バスを乗り継いで山形に到着した。ホテルのチェックインを済ませたのは午後10時、ついに私の映画祭が始まった…
  映画祭4日間の体験を、今回も報告する(※注2)。

 
  「4年ぶり、映画の都へ~『山形国際ドキュメンタリー映画祭2017』~」

   今年の映画祭では次の3つの鑑賞を主要な目標とした。まず、原一男監督の新作『ニッポン国VS泉南石綿村』、続いてフレデリック・ワイズマン監督の新作『エクス・リブリス―ニューヨーク公共図書館』、そして佐藤真監督の特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」。この3つを優先させて、それ以外の注目すべき作品を無理なく配置して鑑賞計画を立てる。とはいえ10スクリーンで約160本が上映される今年の映画祭、どの作品を選ぶか直前まで迷っていたというのが本当のところだ。用意した前売り券は10枚、滞在最終日以外は1日3本。こうして「私だけのプログラム」が出来上がった…


10月6日(金)
  
   前夜の酒が少し残っていたが、思いのほか爽快な朝。簡単な朝食を部屋で済ませ、とにかく会場を目指す。

   10時30分、山形市民会館大ホール。
   『私はあなたのニグロではない』(ラウル・ペック  2016  アメリカ、フランス、ベルギー、スイス  93分)。大賞(ロバート&フランシス・フラハティ賞)の対象となるインターナショナル・コンペティション部門15作品の中の1本。

   1963年6月に死んだメドガー・エヴァーズ、1965年2月に死んだマルコムX、1968年4月に死んだマーティン・ルーサー・キング・ジュニア。暗殺された3人のアフリカ系アメリカ人活動家の複雑なつながりを突きとめようと、やはりアフリカ系アメリカ人の作家であるジェームズ・ボールドウィンは『リメンバー・ディズ・ハウス』を執筆する計画を立てる。この未完の原稿をもとに、ハイチ出身のラウル・ペック監督は3人の活動家とボールドウィンの映像を軸にした激動の現代史を描き出す。4人の映像の圧倒的な存在感、骨太の構成、ドキュメンタリーの王道ともいえる作品と出会った。
   なお、この作品は優秀賞を受賞した。

   12時20分、かつて映画館が並んでいたシネマ通りに急ぎ足でたどり着く。訪れる計画を立てていた喫茶で深煎りの珈琲を身体に流し込む。もっと頭を覚醒しなければ。飲み終わり、また急ぎ足で市民会館へ。

   13時00分、山形市民会館小ホール。
   『盗まれたロダン』(クリストバル・バレンスエラ  2017  チリ  80分)。サンティアゴ国際ドキュメンタリー映画祭友好 特別上映作品。

   サンティアゴ国立美術館で開催されたロダン展会期中に、ロダンの「アデルのトルソ」が盗まれた。犯人の美大生は「芸術行為としての盗難」であると主張した…事件の数年後から脚本を準備したバレンスエラ監督は、現代と過去を往来する、サスペンスのような、コメディのような、「藪の中」のような(つまり複数の視点による)作品を作り上げた。
   日本語字幕がないため、スペイン語から日本語への同時通訳機を装着しての鑑賞。もっとも、英語字幕の簡潔さも役に立った。

   市民会館からほど近い場所にある映画館「山形フォーラム」に向かう。ようやく、頭と身体が映画祭にフィットし始めてきた…

   15時20分、山形フォーラム4。
   『映画のない映画祭』(王我ワン・ウォ  2015  中国  80分)。アジア千波万波特別招待作品。

   2014年8月、第11回北京インディペンデント映画祭が、当局によって強制的に中止させられた。私服警官の妨害、映画祭事務局への家宅捜索、スタッフへの事情聴取…居合わせた多くの人々によって撮影された映像を王我(ワン・ウォ)監督が編集したこの作品は、事の顛末の記録であり、かつ闘争宣言である。
   上映後のトークの中で、中国からの留学生と監督のやりとりが印象に残った。まさに現在進行形の映画だ。

   この日は早めに映画を切り上げて、夕刻から七日町の山形県産ワインを味わえるバルでゆっくり過ごした。明日からは、長尺の作品への挑戦も含め、ハードな日程が待っている…


10月7日(土)

   雨を予感しつつ、山形美術館を目指す。この界隈の落ち着きは、私のお気に入りのひとつだ。

   10地30分、山形美術館2。
   佐藤真監督特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」。
   『我が家の出産日記』(佐藤真  1994  日本  45分)。 
   『おてんとうさまがほしい』(佐藤真構成・編集  1994  日本  47分)。 
  
   佐藤真監督が世を去ってから10年の歳月が流れた。今回の特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」は、全作上映トークという企画である。未見の作品鑑賞のために、足を運ばなければと思っていた。
   『我が家の出産日記』は、佐藤監督が企画し、自らが家族とともに出演し、演出も担当したテレビドキュメンタリー(テレビ東京)。次女出産のため妻が入院し、家に残された佐藤監督と2歳の長女。この家族の怒涛の一週間を描く「家族日記」は、今まで見たどんなテレビドキュメンタリーよりも面白かった。軽快なリズムと際立つ個性、そしてペーソスもあり…被写体である佐藤監督が今はもうこの世にいないのだという事実が、心に染みる。
   『おてんとうさまがほしい』は、照明技師渡辺生さんが16ミリキャメラでアルツハイマーの妻を撮影した映像を、佐藤監督が構成・編集した作品。限られた素材から、このように優しさにあふれる作品を作り上げることができる監督に脱帽した。

   美術館界隈にも気になる喫茶があったので、深煎りの珈琲で一休み。すぐさま市民会館へと急ぐ。次は3時間35分の長尺。途中休憩はあるが、体力勝負。

   13時15分、山形市民会館大ホール。
   『ニッポン国VS泉南石綿村』(原一男  2017  日本  215分)。インターナショナル・コンペティション部門。

   石綿(アスベスト)産業で栄えた大阪・泉南地域。この地のアスベスト被害の責任を求めて、工場の元労働者と家族、周辺住民らが起こした国家賠償請求訴訟の8年以上にわたる闘いの記録がこの作品である。裁判終結に至るまでの原告と弁護団の闘いのドラマを、原一男監督は見事に描き切った。
   原監督の代表作『ゆきゆきて神軍』(1987)や『全身小説家』(1994)は、ひとりの強烈なキャラクターの存在によって成立していたが、この作品の登場人物たちの個性もまた原監督によって引き出され、魅力的な群像劇となっている。上映後、ロビーで行われた質疑応答に登場した原監督と原告団の面々に対して熱い拍手が送られたが、それは間違いなく映画祭の中で最もエキサイティングなシーンのひとつだったのではないか。
   なお、この作品は、観客の投票で決定される市民賞を受賞した。順当な結果である。

   次も市民会館大ホール。入り口前で駐車している「屋台」の珈琲で、体力の回復に努める。

   18時15分、山形市民会館大ホール。
   『激情の時』(ジョアン・モレイラ・サレス  2017  ブラジル  127分)。インターナショナル・コンペティション部門。

   1966年、文化大革命初期の中国、1968年、五月革命のパリ、ソ連侵攻時のプラハ―無名の人々によって撮影された映像と、サレス監督の母によって撮影された中国訪問の記録。ブラジルを代表するドキュメンタリー作家であるサレス監督は、これらの記録の意味について、歴史と個人の生について、問い続ける。
   監督の問いかけを私がそのまま理解できたかどうかは不明である。しかし、たしかに私は、パリとプラハのアーカイブ映像から何かを読み取ろうとしていた…
   なお、この作品は特別賞を受賞した。

   20時40分、弘前勢のひとりと合流し、前夜と同じバルで情報交換。次の映画祭も、この店を利用することになりそうだ。


10月8日(日)

   前日に引き続き、山形美術館へ。特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」の2本のうち1本目の『SELF AND OTHERS』(2000)は以前観ていたので、2本目の『阿賀の記憶』の開始時刻まで美術館と旅篭町界隈を散策する。そういえば、街をゆっくり歩くことはほとんどなかった…  

   11時25分、山形美術館2。
   佐藤真監督特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」。
   『阿賀の記憶』(佐藤真  2004  日本  55分) 

   新潟水俣病の舞台である阿賀野川のほとりに住む人々の生活を描いた『阿賀に生きる』(1992)から10年、佐藤監督はかつて映画に登場した人々に、そして土地に再びキャメラを向ける…私たちは『阿賀に生きる』の続篇としての展開を期待するが、このドキュメンタリーはその期待を少しずつはぐらかしながら進行する。ここにあるのは、もっと普遍的な映像詩とも言うべきものだ。

   13時10分、美術館から旅篭町に向かい、「香味庵まるはち」にたどり着く。映画祭期間中、蔵を改装したこの和風レストランは深夜の交流の場「香味庵クラブ」として開放されている。
   山形入りしてから、まともな昼食をとっていなかった。別会場からたどり着いた妻と合流し、6年ぶりの定食「芋煮御膳」にありつく。今回初めての芋煮だ。
   その後、シネマ通りの喫茶を再訪。アイスコーヒーで喉を潤し、次の作品に備える。午後4時半から10時半まで、ほぼ休みなしで2本。カフェインで神経が昂るくらいがちょうどいい。
  
   16時30分、山形市民会館大ホール。
   『エクス・リブリス―ニューヨーク公共図書館』(フレデリック・ワイズマン  2016  アメリカ  205分)。インターナショナル・コンペティション部門。

   ニューヨーク各地の公共図書館を撮影し、図書館が取り組むさまざまな試みを紹介する3時間25分。各図書館の運営会議、討論会、講演会などの様子が見事な編集でまとめられているのだが、そこで描かれているのはアメリカの現在そのものだ…ドキュメンタリーの世界では「神様」的な存在であるワイズマン監督の新作を、他の監督の作品と同じようにコンペ作品として当たり前に鑑賞し、しかも市民賞の投票の対象にする。これが、ヤマガタなのだ。

   20時、山形フォーラムへ急ぐ。次の作品は、上映作品が発表された日から鑑賞予定リストに入れていたもの。体力的にはほぼ限界だったが、始まってみると最初から最後までスクリーンに釘付けにされた。素晴らしい出会いだった…

   20時20分、フォーラム5。
   『乱世備忘―僕らの雨傘運動』(チャン・ジーウン  2016  香港  128分)。アジアの若手・新人監督の登竜門であるアジア千波万波部門21作品の中の1本。
  
   2014年9月から2ヶ月半にわたって続いた香港の雨傘運動(雨傘革命)。香港の民主的選挙を求める若者たちの運動をその内部から記録した作品。警官との対峙・衝突の生々しい映像と、テントの中の若者たちの日常生活・本音の会話の映像。監督自ら最前線で撮影しその両方を記録したこのドキュメンタリーは、台北金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされた。
  なお、この作品は、アジア千波万波部門の最高賞・小川紳介賞を受賞した。

   23時15分、ホテル近くの居酒屋でビールと焼き鳥。これが、山形最後の夜。


10月9日(月)

   9時25分、ホテルチェックアウト。荷物を預けて、すぐ山形市中央公民館(アズ七日町)を目指す。映画祭の拠点である6階ホール、今年はこの日が初めてとなる。  

   10時、山形市中央公民館ホール。
   『願いと揺らぎ』(我妻和樹  2017  日本  146分)。インターナショナル・コンペティション部門。 
  
   2011年3月11日、東日本大震災で地震と津波に襲われた宮城県南三陸町波伝谷(はでんや)。そこに暮らす人々の復興への願いと心の揺らぎを、伝統行事「お獅子さま」復活をめぐる過程を軸に描く。
   我妻和樹監督は、2005年から民俗調査のため波伝谷に入り続け、2008年からは波伝谷でのドキュメンタリー映画制作を開始。震災までの3年間の映像を『波伝谷に生きる人びと』(2013、劇場公開版は2014)にまとめ、この作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭2013「ともにある」で上映された。『願いと揺らぎ』は『波伝谷に生きる人びと』のその後である。

   その前作も含めて、自分たちが上映できるかどうか考えながら、アズ七日町をあとにした。妻と合流したら、蕎麦屋で腹ごしらえして帰路に就く。

   14時10分、山交バスターミナルから仙台行きのバスに乗り込んだ。映画祭はまだまだ続くが、そろそろ現実に戻らなくてはなるまい。

   2年後、必ずまた、私(たち)は山形に来るだろう。


(※注1)
   次は山形国際ドキュメンタリー映画祭2017のHP。

(※注2)
   次は4年前の映画祭の報告。『越境するサル』№120「『越境するサル』的生活 2013~<ブラザー軒>と<ドキュメンタリー映画祭>と~」。


<後記>

   4年ぶりのヤマガタ報告。自分の作ったプログラムとその鑑賞記録をそのまま発信する。今回は全過程を報告したかった。

   次号は、映画祭期間中に出会った山形の珈琲についての報告。「珈琲放浪記」、初の山形篇。




(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。

2017年10月3日火曜日

【越境するサル】 №.162「今年出会ったドキュメンタリー 2017年7-9月期」(2017.9.30発行)

2017年7-9月期に出会ったドキュメンタリーについて報告する。 

 
               「今年出会ったドキュメンタリー 2017年7-9月期」

   2017年7月から9月までに観たドキュメンタリーを列挙する。映画の方はいつもの通りほとんどがDVDでの鑑賞。スクリーンで観たのは1本。( )内は製作年と監督名と鑑賞場所等。※はテレビ・ドキュメンタリー。

   7月・・・『寝たきり疾走ラモーンズ』(2017  島田角栄)
             『kapiwとapappo~アイヌの姉妹の物語~』
       (2016  佐藤隆之  サンプル)
             『シーモアさんと、大人のための人生入門』
       (2014  イーサン・ホーク)            

             『加藤一二三という男、ありけり。』(2017  ETV特集)※
             『出渕家の百年~国策と向き合って~』
       (2016  FNSドキュメンタリー大賞・優秀賞)※
             『もし、あなたの家族が…~日本の移植医療に未来はあるのか~』
       (2016  FNSドキュメンタリー大賞・特別賞)※
             『北九州 小倉 “百円酒場”のブルース』
       (2017 ドキュメント72時間)※
             『ラップで廃校阻止!~北星余市高・生徒会長の激闘486日~』
       (2017  サタデードキュメント)※    
             『闘う弁護士』(2017  サタデードキュメント)※
             『塀の中の“自由”~アフガニスタンの女性刑務所~』
       (2013  BS世界のドキュメンタリー)※
             『プリズン・シスターズ』(2017  BS世界のドキュメンタリー)※
             『アンニョンハセヨ!ワタシ桑ノ集落再生人  2011-2017』
       (2017  サタデードキュメント)※            
             『爆走風塵  中国・激変するトラック業界』
       (2017  BS1スペシャル)※
                   

  8月・・・『生まれ変わりの村』(2016  森田健)
             『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』
       (2016  ジャンフランコ・ロージ)
             『ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る~』
       (2015  八木景子)            
    
             『4400人が暮らした町~吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園~』
       (2017  NNNドキュメント)※
             『原爆救護~被爆した兵士の歳月~(前編・後編)』
       (2016  BS1スペシャル)※
             『追跡!原爆影響報告書~隠された安田高女の記録~』
       (2017  テレメンタリー)※
             『英霊たちの記念写真~柳田芙美緒が見た戦争~』
       (2017  サタデードキュメント)※
             『幻の原爆ドーム  ナガサキ  戦後13年目の選択』
       (2017  BS1スペシャル)※
             『原爆と沈黙~長崎浦上の受難~』(2017  ETV特集)※
             『潜れ~潜れ~  対馬の海女さん物語』
       (2016  FNSドキュメンタリー大賞・大賞)※
             『元ヤクザ  うどん店はじめます』(2017  ノーナレ)※
             『アフター・ヒトラー(前編・後編)』
       (2017  BS世界のドキュメンタリー)※
             『ぼくは生きると決めたよ  原発避難いじめからの脱出』
       (2017  NNNドキュメント)※
       
      
    9月・・・『太陽の下で-真実の北朝鮮-』
       (2015  ヴィタリー・マンスキー)
             『台湾萬歳』(2017  酒井充子  青森シネマディクト)
             『TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)』
       (2016  遠藤尚太郎 )
             『AMY  エイミー』(2015  アシフ・カパディア)
             『ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生』
       (2016  ルイーズ・オズモンド)
    
             『中国  さすらい農民工の物語』
       (2017  発掘アジアドキュメンタリー)※
             『商店街のニューシネマパラダイス』
       (2017  サタデードキュメント)※
             『青春は戦争の消耗品ではない  映画作家 大林宣彦の遺言』
       (2017  ETV特集)※
             『死刑執行は正しかったのかⅡ  飯塚事件 冤罪を訴える妻』
       (2017  NNNドキュメント)※
             『ショックルーム~伝説の“アイヒマン実験”再考~』
       (2017  BS世界のドキュメンタリー)※
             『アフガニスタン 山の学校の記録マスードと写真家長倉洋海の夢』
       (2017  ETV特集)※
             『スクープドキュメント  沖縄と核』(2017 NHKスペシャル)※
             『2度殺された思い~遺族にとっての第三者委員会~』
       (2017  テレメンタリー)※
             『シリーズ  難民と向き合うヨーロッパ』
       (2017  BS世界のドキュメンタリー)※
             『孤高の牛飼い 40年~和牛のルーツを守る~』
       (2017  サタデードキュメント)※
  
                    
   毎回、「私のベストテン」とでも言うべき「収穫」を選んでいるが、2017年7-9月期の印象に残った作品について数本紹介する。まず、映画から。

『寝たきり疾走ラモーンズ』(2017  島田角栄)。
“寝たきり芸人”としてNHK Eテレ「バリバラ」などに出演するピン芸人・あそどっぐ。生後間もなく脊髄性筋萎縮症を発症し、目、口、指1本だけを動かしてネタを披露する彼に、島田監督・家族・芸人仲間・介護者たちが容赦なく“突っ込み”を入れる。この当たり前のような、不思議な雰囲気を私たちは味わう。ちなみに、私は彼のネタが好きだ。


『シーモアさんと、大人のための人生入門』(2014  イーサン・ホーク)。
 50歳でコンサート・ピアニストとしての活動に終止符を打ち、以後の人生を「教える」ことに捧げてきた84歳のピアノ教師シーモア・バーンスタイン。ピアニストとして成功するも演奏会恐怖症のためつねに抱えていた不安、朝鮮戦争従軍時のつらい記憶。その人生は決して平坦ではなかったが、音楽に対する情熱と愛を語る彼にふれるとき、私たちは何かあたたかいものに包まれたように感じてしまう。



『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』(2016  ジャンフランコ・ロージ)。
 アフリカからの難民が押し寄せるイタリア・ランペドゥーサ島。前作『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』で2013年度ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したジャンフランコ・ロージ監督が、難民危機の最前線であるこの島に移り住み、過酷な海の旅を経て救援された難民たちと島に暮らす人々の姿にカメラを向ける。美しい映像と複雑な現実、この作品はローマ法王をはじめ各界の人々に衝撃を与え、世界の話題をさらった。2016年度のベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされた。


『ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る~』(2015  八木景子)。
 2010年アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』。和歌山県太地町でのイルカ漁を一方的に批判するこの映画は世界的反響を呼んだが、日本からこれに反論する映画は生まれなかった。スポンサーも映画製作経験もカメラ技術もない、ほとんど素人の八木景子監督は、4カ月にわたる太地町への長期滞在と捕鯨論争両派へのインタビューによって、『ザ・コーヴ』の背後にあるものに迫ろうとする…完成度という点では多少難ありだが、貴重な資料やインタビュー映像といくつもの問題提起があふれている野心作である。今後「捕鯨」について語る際の原点となる作品である。


『太陽の下で-真実の北朝鮮-』(2015  ヴィタリー・マンスキー)。
 ロシア・ドキュメンタリー映画の巨匠ヴィタリー・マンスキー監督は、ロシアと北朝鮮政府支援の下、平壌に住む8歳の少女ジンミと両親の生活を1年間にわたって撮影する。ジンミは金日成の生誕記念「太陽節」で披露する舞踊の練習に打ち込むが、北朝鮮当局によって許されたのはすべて指示され繰り返し演技させられた“理想の家族”の姿の撮影だけだった。疑問を感じたスタッフは、録画スイッチを入れたままの撮影カメラを放置し、隠し撮りを敢行する。検閲を受ける前に外部に持ち出されたフィルムを編集して完成した本作は、北朝鮮政府とロシア政府の妨害にもかかわらず各国で公開され、さまざまな映画祭で高い評価を受けた。


『台湾萬歳』(2017  酒井充子  青森シネマディクト)。
 日本統治下の「日本語世代」の現在を取材した『台湾人生』(2009)、彼らの戦後の苦難を描いた『台湾アイデンティティ』(2013)に続く酒井充子監督の「台湾三部作」最終章。今回の舞台は台湾南東部・台東縣成功鎮。原住民族と漢民族系の人々がほぼ半数ずつ暮らす人口約1万5千人のこの町に暮らす人々、特に原住民族の人々の生活に密着し、台湾そのもの・普遍的な人間そのものを描く。詳しくは、『越境するサル』№161「酒井充子監督『台湾萬歳』、台湾三部作最終章へ」参照。http://npoharappa.blogspot.jp/2017/09/1612017911.html


『TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)』(2016  遠藤尚太郎 )。
 豊洲移転により80年の歴史に幕を下ろす、世界一のフィッシュマーケット、唯一無二の「ワンダーランド」築地市場。この巨大市場で1年4ヵ月の長期密着撮影を続け、築地で働く人々と名店の料理人をはじめ150名以上にインタビューを敢行した「唯一無二のドキュメンタリー」。世界を驚かせた、ドラマよりドラマティックな110分。


『ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生』(2016  ルイーズ・オズモンド)。
 50本目の監督作『わたしは、ダニエル・ブレイク』が第69回カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞したイギリスの巨匠ケン・ローチ。2016年に80歳を迎えた社会派監督の生涯とキャリアを明らかにする、ファンにとっては待ち望んでいたドキュメンタリー。BBC時代の伝説のテレビドラマ「キャシー・カム・ホーム」(1966)から『ケス』(1969)・『リフ・ラフ』(1991)・『レイニング・ストーンズ』(1993)・『レディバード・レディバード』(1994)・『麦の穂をゆらす風』(2006)・『大地と自由』(1995)・『天使の分け前』(2012)・『マイネームイズジョー』(1998)そして『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)などの代表作の映像と関係者の証言でつづる50年にわたる映画人生。1970年代から80年代の不遇な時代についての家族の証言は胸を打つ。


 テレビ・ドキュメンタリーからも数本。    

『闘う弁護士』(2017  サタデードキュメント)。
 制作はRKB毎日放送。現在、諫早湾干拓をめぐる裁判で漁業者側の弁護団を率いる福岡・久留米の馬奈木昭雄弁護士。彼が弁護士になりたての頃関わったのが水俣病訴訟。以来、つねに弱者の側に立ち、国や企業の責任を追及してきた。「絶対に私たちは負けない。なぜなら、勝つまで闘うから」と語る馬奈木弁護士の姿を追う。

『塀の中の“自由”~アフガニスタンの女性刑務所~』(2013  BS世界のドキュメンタリー)。
 原題『No Burqas Behind Bars』。国際共同制作 NHK/Nima Films/SVT/IKON/DR (スウェーデン  2012年)。前作『タリバンに売られた娘』で反響を呼んだニマ・サルベスタニ監督が、アフガニスタンの女性虐待問題に迫る作品。舞台はアフガニスタンの女性刑務所。自分の夫から逃げた罪で入所したナジベ、好きな男性と結婚するつもりで逃げて捕まったサラ…全身を覆うブルカの着用も強制されず、暴力・少女売買・結婚の強要が横行する社会から隔絶された、ある種の自由な生活が許される刑務所。しかし、彼女たちはいつか危険な「社会」に出ていく。

『プリズン・シスターズ』(2017  BS世界のドキュメンタリー)。
 『塀の中の“自由”』の続編。原題も同じ。国際共同制作  NHK / Nima Film / SVT / NRK / TVO / IKON / DRTV / CHANNEL 8(スウェーデン 2016年)。“駆け落ちした罪”で服役したサラは、出所後に別の男性と結婚。『塀の中の“自由”』が上映されるストックホルムに招待された際に難民申請を行い、スウェーデンで教育を受けて働くということに希望を見出していた。そんな彼女に、刑務所でともに暮らしたナジベが出所後に殺されたという情報が入る…前作『塀の中の“自由”』と合わせ、衝撃的な作品であった。一応テレビドキュメンタリーとしておくが、映画館でも観たい作品である。

『原爆救護~被爆した兵士の歳月~』(2016  BS1スペシャル)。
 原爆投下直後の広島、市民救助を命じられた若い兵士たちがいた。救助活動と遺体を葬る作業に従事した彼らは、戦後、放射能の影響による体調不良に苦しむが、差別と偏見を恐れて口を閉ざした。大多数が被爆者手帳を取得しなかったため“埋もれた被爆者”となっていった彼らの、苦難の戦後。2016年7月に放送されたこの作品は、平成29年度第33回ATP賞ドキュメンタリー部門優秀賞/グランプリを受賞。2017年8月6日再放送された。制作はテムジン。

『原爆と沈黙~長崎浦上の受難~』(2017  ETV特集)。
 原子爆弾が投下された長崎・浦上地区は、古くから弾圧されてきたカトリック信者と被差別部落の人々が暮らす土地だった。生き残った被爆者たちは戦後長く沈黙してきたが、それは差別によるものだった…自分たちの体験を伝えようと動き始めた彼らの姿を追う。同じくこの月に放送された『幻の原爆ドーム  ナガサキ  戦後13年目の選択』(2017  BS1スペシャル)とともに、戦後の闇に光を当てようとする意欲作。

『潜れ~潜れ~  対馬の海女さん物語』(2016  FNSドキュメンタリー大賞・大賞)。
 第25回FNSドキュメンタリー大賞・大賞受賞作品。制作はテレビ長崎。ナレーションは余貴美子。主人公の梅野秀子さんは対馬で最高齢の海女(83歳)。現在も自ら船を操縦しアワビやサザエを素潜りでとる。海女の稼ぎで家族を養い、息子ふたりを育て上げ、一人暮らしの今も冬の海に潜る、彼女の日常に迫る…BSフジで放送されているドキュメンタリー名作選「FNSドキュメンタリー大賞」。7月には、FNS各局が総力をあげて作り上げた2016年度の作品の中から、優秀賞受賞の『出渕家の百年~国策と向き合って~』(制作:石川テレビ)と特別賞受賞の『もし、あなたの家族が…~日本の移植医療に未来はあるのか~』(制作:テレビ新広島)も放送された。受賞作以外も、すべて秀作と言っても過言ではない。

『ショックルーム~伝説の“アイヒマン実験”再考~』(2017  BS世界のドキュメンタリー)。
 1961年、米エール大学のミルグラム博士によって行われた通称「アイヒマン実験」。命令を聞く立場の人間は、権威者の指示に従って他人に電気ショックを与える残酷な行為も“自分は命令に従っただけと自らを納得させてしまう”という実験結果で知られるが、はたしてこの理解でいいのか。現代の役者がこのテストを再現する。ナチス政権下でホロコーストの主導的役割を担ったアイヒマンの裁判に対するハンナ・アーレントの分析にも言及する、意欲作。原題:The Shock Room。制作:Charlie Productions(オーストラリア  2015年)。初回放送は2017年8月4日。

『シリーズ  難民と向き合うヨーロッパ』(2017  BS世界のドキュメンタリー)。
 中東やアフリカからの難民・移民の大量流入に揺れるヨーロッパの最前線を追いかけるシリーズ。ヨーロッパを目指す難民・移民が殺到する地中海で、人命救助活動にあたるアクエリアス号を取材した『死の海からの脱出』制作:Point du Jour(フランス  2016年)。難民受け入れ枠を急拡大したドイツで、認定作業にあたる審査官の仕事の現場を取材した『難民審査官  決断のとき』制作:HANFGARN & UFER Filmproduktion / ZDF(ドイツ  2017年)。ヨーロッパの一般市民が難民に対して抱く感情を、反対派・擁護派・ルール遵守型に分類し、実際の難民たちにぶつけてみた実験的なドキュメンタリー『“楽園”に渡った異邦人たち』制作:Zeppers Film(オランダ  2016年)。アフガニスタンからデンマークに逃れた少女ロクサールと移民局との交渉を取材した『亡国の少女  待ち続けて』制作:Made in Copenhagen(デンマーク  2016年)。4本すべて、いま私たちが観るべきドキュメンタリー。

『孤高の牛飼い 四十年~和牛のルーツを守る~』(2017  サタデードキュメント)。
 岡山県北の限界集落で、40年ほど前から和牛のルーツといわれる「竹の谷 つる牛」を飼い続けている73歳の平田五美(いつみ)さん。肉本来の「赤身のうまさ」を持つ「竹の谷 つる牛」は、「霜降り」に価値を置く和牛業界では異端の牛であり、一度は血統が途絶えた。「奇跡」の味として評価されつつあるこの牛を復活させ、血をつないできた平田さんの孤高の闘いを追う。制作は岡山のRSK(山陽放送)。地域のドキュメンタリー番組「メッセージ」2017年6月28日放送。


<後記>

   相変わらず、テレビ・ドキュメンタリーの充実ぶりに圧倒されている。こちらのチェックが間に合わない状態である。いつか、この報告の体裁も変わっていくかもしれない。
 近々、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(10/5~12)に出発する。私は4泊して、10本鑑賞予定だが、もちろんその内容はこの通信で報告する。映画祭の詳細は、次のHPを参照せよ。



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。


2017年9月20日水曜日

【harappa Tsu-shin】第25回harappa映画館「忘れられない女性たち」開催しました♪

9月16日は第25回harappa映画館「忘れられない女性たち」の上映会でした♪
今回の徐上映作品は、

〇『キャロル』
監督:トッド・ヘインズ
出演:ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、サラ・ポールソン、ジェイク・レイシー2015年 /アメリカ/ 118分
〇『あの日のように抱きしめて』監督:クリスティアン・ペッツォルト出演:ニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルト、ニーナ・クンツェンドルフ2014年 /ドイツ/ 98分
〇『ダゲレオタイプの女』監督:黒沢清出演:タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリビエ・グルメ、マチュー・アマルリック2016年 /フランス・ベルギー・日本/131分

以上の3本立てでした♪

アンケートに、「ポスターの女性に惹かれてチケットを購入した」というご意見もありましたが、
今回の上映のテーマが「忘れられない女性たち」というだけあって、
どの映画にも魅力的な女性たちが出てくるのです!!

 上映の前には、作品についてのちょっとした豆知識をお話♪

今回はいつも以上にたくさんの方々に足をお運びいただいて、本当に嬉しかったです♪

3連休の初日という貴重なお時間に、harappa映画館にお越しいただいた皆さま、
本当にありがとうございます!!
「まちなかに映画館を!」というスローガンのもと始まったharappa映画館ですが、
今回で25回目を迎えることができました!
皆さんのアンケートでの熱いメッセージを読んでいると、
いつか本当にまちなかに映画館が戻ってきてくれるといいな、、、
と願わずにはいられません。
harappa映画館もひとまずは30回を目指してがんばりたいと思います!!

また次回の上映会が決まりましたらharappaのHPなどでお知らせしますので、
楽しみにお待ちいただければと思います♪


(harappaスタッフ=太田)

2017年9月11日月曜日

【越境するサル】№.161「酒井充子監督『台湾萬歳』、台湾三部作最終章へ」(2017.9.11発行)

酒井充子監督のドキュメンタリー映画『台湾萬歳』(2017)を観るため、青森市(シネマディクト、9/9~15)に出かけた。イベントで賑わう日曜の街を横目で眺め、いつもの映画館にいつものように向かう。待ちに待った酒井監督の新作。少し緊張している自分がいた…

 
          「酒井充子監督『台湾萬歳』、台湾三部作最終章へ」

   『台湾萬歳』の舞台は台湾南東部・台東縣成功鎮。多様な民族が暮らす人口約22万5千人の台東縣、成功鎮は原住民族と漢民族系の人々がほぼ半数ずつ暮らす人口約1万5千人の町だ。もともとアミ族が暮らしていた地域に、1932年(昭和7)年漁港が作られ、それ以降日本人や漢民族系の人々が移住してきた。いまも続く「カジキの突きん棒漁」は日本人移民が持ち込んだものだ。
   映画の登場人物は5人(5組)。
   元カジキ漁・漁師の張旺仔さんと妻の李典子さん。張さんは19歳でカジキ漁船に乗り、30歳から病気で引退する49歳まで「カジキの突きん棒漁」漁船の船長を務めた。現在は畑仕事を日課とし、午後には港で船から魚が降ろされる様子を眺める。日本人が名付け親だという妻の典子さんと共に、長男夫婦と暮らす。
   「カジキの突きん棒漁」を営むオヤウさんと妻のオヤウ・アコさん。成功漁港からいまも夫婦でカジキ漁に出るアミ族の夫婦。アミ族はかつて漁港築港の際、労働力として駆り出された。夫婦で漁をするシーンは圧巻である。
   中学校の歴史教師カトゥさん。シンガーソングライターでもある。ブヌン族の伝統的な狩りをいまも続ける。地元のお年寄りからの聞き取り調査も行っている。彼の歌とギターがこの作品の中でひとつのアクセントになっている。
   ブヌン族のムラス・タキルダン(日本名:きよこ)さん。日本統治時代、ブヌン族はもともと住んでいた高地の村から強制的に移住させられたが、その移住経験者の数少ない証言者。カトゥさんに移住当時のことを話す。
   ブヌン族のダフさん。カトゥさんと共に伝統的な狩りをいまも続ける。彼らが森に入るとき先祖に捧げる祈りのシーンは、この映画の核心のひとつである。また、ダフさんの狩人としてのたたずまいとその確かな技量は、見るものを圧倒する。
   この5人(5組)の生活を淡々と描く『台湾萬歳』は、随所に歴史に翻弄された人々の悲哀や日本統治そのものへの冷静な視点などを交えながら、ひとつの「人間讃歌」に仕上がっている。いつのまにか私たち観客は、台東縣成功鎮を中心とする小宇宙の中に吸い込まれ、登場人物たちと共に呼吸し生活しているような気持になる。そして、エンドロールが流れ映画が終了したあとも、私たちは依然、その小宇宙の中にいる…  

   新聞社勤務(北海道新聞)を経て2000年から映画の制作や宣伝に携わっていた酒井監督の初監督作品は『台湾人生』(2009)。日本統治時代の台湾で青春期を送った「日本語世代」の5人の台湾人が語るそれぞれの半生。彼らへのインタビューで構成されたこの作品によって、私たちは歴史に翻弄された人々の人生と日本に対する複雑な想いを知ることとなった。
   その後、日本最初の超高層ビル“霞が関ビル”をはじめとする数々の超高層ビル建設に関わった、台湾出身の建築家・郭茂林を取材した『空を拓く  建築家・郭茂林という男』(2012)を監督した彼女は、『台湾人生』第二部とも言うべき『台湾アイデンティティ』(2013)を世に送る。再び、「日本語世代」の老人たちを訪ね、敗戦で日本が去ったあとの彼らの苦難、二二八事件・白色テロの時代を生き抜いた老人たちの語りを記録する監督。寄り添うようなカメラワークと監督の姿が心に残る。
   そして、韓国の国民的画家イ・ジュンソプとその日本人妻・方子の戦火に翻弄された人生を描いた『ふたつの祖国、ひとつの愛  イ・ジュンソプとその妻』(2014)を監督した後、いよいよ「台湾三部作最終章」へと向かう。

   私もそのスタッフである映画自主上映組織「harappa映画館」は、過去3回酒井充子監督作品を上映した。2010年3月、記念すべき最初のドキュメンタリー特集「ドキュメンタリー最前線」で上映した『台湾人生』、2014年2月上映の『台湾アイデンティティ』、2015年2月上映の『ふたつの祖国、ひとつの愛  イ・ジュンソプとその妻』。『台湾人生』と『ふたつの祖国、ひとつの愛  イ・ジュンソプとその妻』の上映の際には酒井監督も弘前を訪れ、観客の前で熱っぽいトークを繰り広げた。「harappa映画館」と弘前の観客は、「台湾三部作最終章」を完成させた彼女が再び弘前を訪れることを待っている。

   2014年2月の『台湾アイデンティティ』上映以後、私はそれまで以上に「台湾」に対して意識的であろうとしてきた。もちろん、酒井監督作品に触発されたことが大きい。2014年以降の「台湾体験」について、記録と記憶を綴ってみる。それは「酒井監督の新作を待ちながら」とでも名づけたくなるような日々だ。
   2014年3月。思い立って、台北へ旅行した。ほぼ3日間、定番のコースをまわっただけだが、台北の街とホウ・シャオシェン監督の映画、『恋々風塵』や『非情城市』の撮影地付近の雰囲気だけは味わうことができた。ちょうど「立法院占拠事件」の真っ只中であったことも、今思えば感慨深い(※注1)。
   2014年11月から、丸谷才一の長編小説『裏声で歌へ君が代』と、この作品をめぐるいくつかの論考に没頭する。垂水千恵の論考「丸谷才一の顔を避けてー『裏声で歌へ君が代』試論」(『新潮』2014年11月号)に導かれるように、日本を舞台とする幻の「台湾民主共和国準備政府」をめぐる小説である『裏声で歌へ君が代』を再読し、私自身の台湾への想いが過去にすでに形成されていたに気づいた。これも「台湾体験」だったのだ(※注2)。
   さらに私は、『裏声で歌へ君が代』に何らかの影響を与えたはずの台湾生まれの直木賞作家・邱永漢の小説『客死』(そして『香港』)にたどり着く。
   2015年12月、台湾出身の作家・東山彰良の直木賞受賞作『流』を読む。2016年4月、台湾で幼少期を過ごした作家・リービ英雄と東山彰良の対談「日本語小説の場所としての『台湾』」(『すばる』2016年4月号)を読む。2016年5月、リービ英雄の「故郷」台湾への旅を描く『模範郷』を読む…この間、エドワード・ヤン監督のいくつかの映画との遅すぎる出会いもあった。
   そして2016年5月、ついに酒井監督の近況を伝える紀行文「台湾、記憶の島で」(与那原恵、『文學界』2016年6月号)に出会う。
   「台湾、記憶の島で」は、台北で医院を営んでいた沖縄生まれの祖父とその娘(つまり筆者の母)のかつての住居を訪ねる記録だ。自らが台湾に引き寄せられる理由を静かに語る、その語り口が魅力的な紀行文なのだが、この旅は『台湾人生』公開以来の友人である酒井充子監督が次作(『台湾萬歳』)の撮影を続ける台東縣・成功鎮へ向かう陣中見舞いの旅でもあった…ようやく、「台湾三部作最終章」のイメージが見えてきた。
   2016年12月、戦前の台湾で生まれ育った日本人・「湾生」たちの「故郷」台湾への想いを描いたホアン・ミンチェン(黄銘正)監督の『湾生回家』(2015)を鑑賞。酒井監督の新作を待ちわびる気持はますます強くなった。
   こうして、2017年7月、東京「ポレポレ東中野」での『台湾萬歳』上映に至るわけだが、残念ながら私は駆けつけることができなかった。しかし、「青森シネマディクト」で上映されることを知り、この日ついに、私は映画館を訪れた…  

   さて、2018年度に弘前で『台湾萬歳』自主上映を実現するために、私はいくつかの企画を考え始めている。もちろん酒井充子監督には来ていただくことになるだろう。「台湾三部作」完成報告のトークは絶対に必要だ。それから同時上映はどうしようか…
   先月(8/20)、BS朝日のニュース番組「いま世界で」に酒井監督が出演しているのを偶然見た。番組では「台湾と日本を見つめる2つの視点」ということで、「湾生」を撮ったホアン・ミンチェン監督の『湾生回家』と「日本語世代」を撮った酒井監督の『台湾萬歳』を紹介していた。この2本立ても魅力的だ。あともう1本、台湾と日本人に関する映画を加えるか。それとも、「台湾三部作」を一挙上映するか。悩ましい、けれども胸が高鳴るような日々が続く。





  (※注1)
  『越境するサル』№127「台北の想い出」
   http://npoharappa.blogspot.jp/2014/05/no12720140501.html

(※注2)
   『越境するサル』№135「丸谷才一『裏声で歌へ君が代』再読~「台湾体験」の記憶へ~」
   http://npoharappa.blogspot.jp/2015/02/135.html


<後記>

   この映画を観た、その勢いでとにかく発信する。映画のエンドロールから、まだ丸1日たっていない。



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。



2017年8月10日木曜日

【越境するサル】№.160「アンジェイ・ワイダの遺言、『残像』」(2017.8.10発行)

7月の末、ポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダ監督の遺作となった作品『残像』(2016)を観た。映画館はもちろん青森市「シネマディクト」。
いつも以上に緊張した心持でスクリーンに向かったのは、ワイダ監督に対する思い入れのせいだ…

 
         「アンジェイ・ワイダの遺言、『残像』」

   2016年10月9日、アンジェイ・ワイダ監督急逝。享年90。その死の直前、『残像』は完成した。
   主人公は、実在のポーランド人画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893-1952)。その晩年の4年間がこの映画で描かれている。
   カンディンスキーやシャガールとも交流した前衛芸術家である彼は、創作と大学での美術教育に情熱的に打ち込んだが、スターリン独裁化ソビエト連邦の衛星国であるポーランドの政府は、芸術を政治に従属させようとする「社会主義リアリズム」に従うことを彼に要求する。
   芸術家としての尊厳をかけて政府の芸術政策に反発する彼は、職場を追われ、少数の学生と友人たちを除く社会から完全に孤立し、当局の弾圧も激しさを増していく…

   大学時代、不朽の名作『灰とダイヤモンド』(1958)に自主上映会で出会って以来、ポーランドの情勢とワイダ監督の映画制作について注視を続けてきた。1970-80年代、地方の上映事情ゆえなかなか作品に出会えない状況の中、『大理石の男』(1977)・『鉄の男』(1981)と問題作を発表するワイダ監督は私の中で光輝く存在であったし、東欧で地下水脈のように進行する民主化の動きの象徴でもあった。そして、1989年からの「東欧革命」が訪れる。

   『鉄の男』以降も、ワイダ監督はポーランドの歴史を描くことを自らの使命として作品を作り続けた。晩年、ソ連軍によるポーランド将校虐殺事件を扱った『カティンの森』(2007)、さらに自主労組連帯の指導者ワレサ(のちの大統領)を描いた『ワレサ  連帯の男』(2013)を完成させた彼は、もう充分にその使命を果たした、と私には思われた。このあと、どのような作品を彼は考えているのか。そもそも健在なのか。実はそのヒントとなる映像が存在していた。

   『残像』を観てから数日後、録画していたあるテレビ・ドキュメンタリーを観た。2015年にWOWOW(ノンフィクションW)で放送された『アンジェイ・ワイダ  若き映画人たちへ贈る言葉』。2度目だった。
   ワイダ監督の「抵抗三部作」、『世代』(1955)・『地下水道』(1957)・『灰とダイヤモンド』の映像を紹介しつつ彼の足跡を追いかけ、当時の検閲の実態にもふれたこのドキュメンタリーは、ワイダが設立した映画の学校「ワイダ スクール」に集う学生と監督との映画作りをめぐる様々な議論と交流に多くの時間をさいている。
   このドキュメンタリー撮影当時、彼は88歳。すでに『ワレサ  連帯の男』を完成させていた。冒頭、インタビューにに答えて彼はこう語る。

   「映画は私の人生そのものです…私には残された時間がありません…今起きていることを描きたいのですが…過去が私たちをつないでいるのです…私たちの体験 戦争 民主化運動 戦前のポーランドがどうだったか…こういった歴史の記憶が私たちをつないでいるのです…映画はそれを表現し社会と共に歩んでゆく義務があるのです」

   さらに「ワイダ スクール」で、学生たちにこう語りかける。

  「私の映画監督としての義務は死者の声を伝えることです…なぜならそれは、多くの過去の人の声、無念の思いでもあるからです…彼らの死があったことで、いま私たちが生きている…私たちは彼らよりだめな人間だ…彼らは勇敢で、その時起こっていたことを自分で引き受けた…その事実を伝えたいのです」

   …『残像』は、主人公ストゥシェミンスキが学生たちと野外で語らうシーンから始まる。ストゥシェミンスキの情熱的な言葉、学生たちへの期待、学生たちのストゥシェミンスキに対する信頼。その後の悲劇的な展開に比べ、そこには希望があふれている。

   そして私は、ストゥシェミンスキと学生たちの姿を、ワイダ監督と映画の弟子たちの関係と重ね合わせる。





<後記>

   ワイダ監督の遺作を見届け、それについて書かなければならない。そのような思いで映画館に出かけた…最後の作品まで見届けよう、そう思っていた監督たちが次々に世を去った。アンゲロプロス、キアロスタミ、若松孝二。彼らについて、もう一度見つめ直す作業が必要だ。
   さて、わが「harappa映画館」も、来たる9月16日(土)、上映会を行う。題して「忘れられない女性たち」。
   詳細は、ホームページで。



<付録>

   付録として、アンジェイ・ワイダ監督を扱った過去の『越境するサル』を掲載する。

     『越境するサル』№47(2006.10.1発行)

   1980年のポーランド。私にとって明らかに同時代史である「連帯」の闘いとその行方について、いつか辿ってみたいと思い続けてきた。その作業のスタートは、もちろんアンジェイ・ワイダ監督の映画『大理石の男』(1977年)と『鉄の男』(1981年)。まず、この2作品のビデオをじっくりと鑑賞することから始めよう・・・そう思ってからもう1年以上たった。

 
               「大理石と鉄の男たち~ポーランドの市民革命~」

   『地下水道』(1957年)や『灰とダイヤモンド』(1958年)で知られるポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ(1926~)の1977年作品『大理石の男』は、スターリン主義・スターリン時代を告発した先駆的な作品である。しかも、のちの独立労組「連帯」の出現を予告する内容となっている。
   主人公はふたりいる。ひとりは映画大学の学生アグネシカ。彼女はテレビ局の機材とスタッフを使って卒業制作のドキュメンタリーを撮影している。テーマは1950年代の「労働英雄」ビルクート。クラクフ郊外ノヴァ・フタ製鋼所のレンガ工で、レンガ積みの驚異的記録を持つ模範的労働者として国民的英雄とされ、やがて消えていった人物である。  
   博物館の地下室に放置されたビルクートの代理石像の発見を皮切りに、アグネシカは当時のニュース映画の調査、ビルクート周辺の人々への調査を重ねていく。この、ニュース映像と人々の回想の中にしか現れないビルクートが、もうひとりの主人公といえる。
   実際のモノクロのニュース映画、あるいは当時のプロパガンダ映画に似せて作られた映像(その作品のクレジットには「助監督アンジェイ・ワイダ」の名も見える。自分もプロパガンダ映画に手を染めていたとの「告白」であるのか)を、アグネシカとともに観ることによって、人々の回想をアグネシカとともに聴くことによって、私たちもまた1950年代のポーランドを追体験する。ビルクートが自立して行動しようとしたために英雄の座から引きずり下ろされ、やがて理不尽な裁判を経て人々の前から消えていく過程(まるでカフカの小説のようだ)を追体験する。
   そして、アグネシカの映画制作もまた挫折を余儀なくされる。政治的影響を恐れたプロデューサーに制作中止を通告されたのだ。だが、父親に励まされた(この父親が何とも優しく頼もしい。この映画に希望を感じさせる何かを感じるのは、このようなシーンがあるからだ)彼女は、ビルクートの息子を訪ねて、グダニスク造船所へ向かう・・・

   『大理石の男』が日本で公開されたのは1980年9月、東京岩波ホールであった。すでにポーランド国内だけでなく世界中で記録的な観客を動員し、日本でも大きな話題となっていた。私が観ることになるのはずっと後のことだが、1980年当時の『大理石の男』をめぐる状況はリアルタイムで把握していた。いや、把握しようと努めていたと言った方が正確だろう。
   1979年、下北半島の定時制高校(現在は閉校)に23歳で赴任した私は、当時町にひとつしかなかった書店に注文していくつかの雑誌を購読していた。最初に注文したのが『世界』・『朝日ジャーナル』・『日本読書新聞』の3誌(紙)で、しばらくの間かなり丹念に読んでいたように記憶している。世界と自分をつなぐ通路という意識があったのかもしれない。
   岩波書店の月刊誌『世界』には、高校生の頃から信頼して読んでいた「パリ通信」(藤村信)が断続的に掲載されていた。東ヨーロッパのスターリニズム諸国の動向を追い続けてきた「パリ通信」の1980年は、もちろんポーランドの「連帯」をめぐる緊迫のレポートである。
   「ポーランドー大理石の男たち」と題された通信(1980年11月号)において藤村信は、党官僚が形成する新しい特権階級(「ノメンクラトゥラ」)の対抗勢力として、知識人の運動と連携した労働者階級の組織・独立労組「連帯」が登場する過程をポーランド現代史の叙述とともに描き出す。そして最後の章において、『大理石の男』の上映が「一九八〇年夏にはじまる<革命>を予告し」たとして次のように記す。
   「『大理石の男』のメッセージは明瞭です。それはポーランドの歴史的真実を人びとにつたえ、人びとが真実をうけとめたことです。検閲当局が上映に横槍をいれるまでの最初の六週間に人口三千五百万の国で約二百万人をこえる人びとが競ってフィルムに殺到し、ヴロツワフでは上映はしばしば拍手と喝采によって中断され、幕切れで観衆はいっせいに立ち上がってポーランド国歌を合唱しはじめました。それは芸術史上、政治史上における一大出来事でした。」
   ポーランドの観客は、主人公の労働英雄ビルクートの中にポーランドにおけるスターリン主義の歴史をそのまま読み取り、最後にグダニスク造船所に向かうアグネシカの行動から1970年冬のグダニスク造船所反乱の挫折の記憶を読み取ったのだ。「連帯」の先駆けとなったのは、グダニスクのストライキ労働者による1970年冬の犠牲者を記念するための十字架の建立である。こうして、『大理石の男』のラストと、現実の<革命>がそのままつながっていく。
   「パリ通信」は、以後1981年12月13日の軍事クーデターをはさんでポーランドについて書き続ける。「連帯」と政府(党)の交渉・農民と労働者と知識人の関係・党そのものの変化・軍事クーデターの過程・ポーランド戦後史の概略・ポーランド共産党の悲劇の歴史・軍政下の状況が報告(叙述)されていく。これらの諸論文をまとめたのが、『ポーランド 未来の実験』(1981年、岩波書店)と『春はわれらのもの 軍靴の下のポーランド』(1982年、岩波書店)である。この2冊に収められた通信を読み続けながら、私はグダニスクの労働者とレフ・ワレサたちの闘いをイメージしていたのだ。
  
   『鉄の男』は『大理石の男』の続篇である。カンヌ映画祭でパルムドール(グランプリ)を受賞し、やはり全世界から注目された(もちろん政治的にもだ)。
   『大理石の男』のラストに登場するビルクートの息子マチェク・トムチックとあの女子学生アグネシカが主人公で、ふたりは結婚(結婚式のシーンにはレフ・ワレサも「出演」している)してともに反体制の活動家という設定である。アグネシカを演ずるのは前作と同じくクリスティナ・ヤンダ、ビルクートとマチェク(二役)も同じくイェジ・ラジヴィオヴィチ。このふたりのラブストーリーと「時代」がテーマである。
   物語は、酒浸りのジャーナリストであるヴィンケルが国家権力に脅しをかけられ、ビルクートの息子マチェクの信用を失墜させる情報を得るため彼とその周辺を探るところから始まる。ヴィンケルは、マチェクの妻アグネシカを獄中に訪ね、さらに政府との交渉只中のグダニスク造船所にも入り込む。この過程を経てヴィンケルは「改心」するのであるが、彼を狂言回しに記録映像・ニュース映画・『大理石の男』の断片等々とともに重要な回顧シーンが映画の中に現れる。1968年の学生スト、1970年の労働者反乱、ビルクートと息子の対立(それは学生・知識人と労働者の「同盟」の失敗をも示している)、そしてビルクートの死。これら回顧シーンによって、前作で不明だった部分が明らかにされる。
   政府と「連帯」の交渉の実況(まさしく「実況」だ)の熱気を背景に物語は終幕に向かう。「連帯」は勝利し、アグネシカは釈放されマチェクのいる造船所にたどり着く・・・しかし映画のラスト、自動車で造船所を出る党幹部は次のように言い放つ。「協定など何の価値もない。強制的な合意に法的効力はない。ただの紙切れさ。」
   軍事クーデターそして戒厳令の予感は、やがて現実となる。しかし、もはや後戻りすることができない時代の変化の一瞬、その時を、この映画はたしかに写し取った。
  
<後記>(№47の)

   今回、2本の映画と「1980年のポーランド」に絞って語ってみた。その過程で、ワイダの他の作品、他のポーランド映画が観たいと、痛切に思い始めた。参考のため青森市民図書館から借りた『ポーランド映画史』(2006年、凱風社)と『アンジェイ・ワイダ 自作を語る』(2000年、平凡社)が、あまりにも面白かったからだ。しかしここは我慢して、早速次のテーマの準備をすることにしたい。
   グダニスク、かつてダンツィヒと呼ばれたこの都市で生まれたある作家について次回書きたいと思う。その作家の名はギュンター・グラス。もちろん、例の「告白」をめぐる話だ。



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。