それから、帰郷した時に青森の図書館から寺山の本を借り、時間のある時にノートに書き写し、東京に戻る前に返却した。強烈に好き!という感じではなかったが、なんとなく惹かれるものがあった。
そして、一九九八年十一月一日、私は季節外れの里帰りをすることになった。それは、一日限りの市外劇「人力飛行機ソロモン・青森篇」が、行われたからだ。
参加者には、寺山のお面と地図とチョークが渡された(松山篇では、正岡子規のお面が配られたらしい)。アラーキーがいたり、宇野亞喜良氏がいたり、ジャンケンする者や手旗信号していたり、市内の中心部を通行止めにして、あちらこちらで市外劇が行われていた。確か、私はチョークで「寺山さん、みていますか?」、なんて書いたような気がする。最後は、青森文化会館(元)の舞台に皆が上がり、集合写真を撮った。
私もわずか数本の演劇を観ているが、この一日限りの市外劇が、今まで体験した演劇の中で忘れられないのには、もうひとつ理由がある。
その次の日に、友人たちとご飯を食べていたら、ひとりの友人の携帯が鳴った。それは、保育園から高校まで同じだった、同級生の自殺の知らせだったのだ。そして、私は東京に戻る日を遅らせることになった。
まだ芝居は続いているの?、と思った。
寺山修司が率いた「演劇実験室天井桟敷」のこの芝居の初演は、東京・新宿及び高田馬場での一九七○年の十一月だったという。私が、産まれた頃である。
そんな寺山の「寺山修司演劇祭」が、近々、青森県三沢市で開催される。
期間は、九月二十二日(日)~二十三日(月・祝)、入場無料。この機会に、テラヤマワールドをお勧めしたい。
手紙魔だった彼だったら、きっとSNSを活用していただろうなと思う。(harappaメンバーズ=KIRIKO)
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