2021年3月に№205を発信してから、1年半近く『越境するサル』は休止していた。10数年間の歴史の中で最も長い中断である。この中断の主要な原因が、人生初の書籍出版(2021年7月、『佐藤泰志をさがして』)と、1昨年から続いていた新聞へのエッセイ連載(2020年8月~2021年6月)であることは間違いない。要するに、体力が足りなかったのだ。ただ、この通信の内容について、ある種の迷いというか、行き詰まり感が徐々に蓄積していたのも事実だ。
いま、ようやく『越境するサル』を再開する気分になっているのだが、この際「原点」に戻ろうと考えている自分がいる。「原点」とは、この通信をスタートさせた時の「その時書きたいものについて書く」という単純なスタンスのことだ。
まずは、いま一番書きたい(語りたい)、最近観た映画たちについて書く。ジャンルを問わず、私が映画館で観ることを選択した映画たちについての、とりとめのない記録。「映画日誌」から始めよう……
「映画日誌2022年6-7月~そして『スープとイデオロギー』へ~」
少しずつ、少しずつ、私は映画館に出かける。八戸、青森、大館……まだ遠くまでは行けない。
6月某日 『教育と愛国』(2022 斉加尚代監督 107分)
八戸「フォーラム八戸」。
2017年、MBS(大阪・毎日放送)で放送された番組『映像’17 教育と愛国~教科書でいま何が起きているか~』は、その年のギャラクシー賞テレビ部門大賞を獲得するなど大きな話題を呼んだ。
「教育改革」「教育再生」の名のもとに政治が教育に介入していく過程を、倒産に追い込まれた教科書出版社の元編集者や保守系政治家たちが推奨する教科書の執筆者などへのインタビューを軸に構成したこのテレビドキュメンタリーに、その後の追加取材部分を加え再構成したのが、この劇場版『教育と愛国』である。語りは、井浦新が担当している。
▽予告編『教育と愛国』
会場の「フォーラム八戸」は、ドキュメンタリー映画としては異例の熱気に包まれていた。上映後に行われた、プロデューサーとゲスト(東奥日報編集委員・斉藤光政氏)によるトークイベントまで、その熱気は続いた。
6月某日 『ベイビー・ブローカー』(2022 是枝裕和監督 130分)
青森「青森松竹アムゼ」。
『万引き家族』の是枝裕和監督と『パラサイト 半地下の家族』のソン・ガンホ、カンヌ国際映画祭パルムドール監督とアカデミー賞作品賞受賞作主演男優のタッグ。さらには韓国が誇る魅力的な役者陣とスタッフたち。私たち観客の期待は否が応でも高まるが、その期待を超えた満足感に浸ることができた……
子を捨てた母・ブローカー・刑事、<赤ちゃんポスト>から始まった彼らの、釜山からソウルへ向かうロードムービーは、まぎれもない「家族」の物語だ(またしても「疑似家族」だが)。
7月某日 「林海象映画祭in御成座 FINAL」(第十回大山家上映会)
大館「御成座」。
『二十世紀少年読本』(1989 林海象監督 106分)
『夢見るように眠りたい』(1986 林海象監督 84分)
最近、すっかりお気に入りの街となった大館の、もっともお気に入りの場所「御成座」。このレトロな映画館で開催された「林海象映画祭in御成座 FINAL」で、林海象監督の最新作と初期の代表作2本を鑑賞した。
『BOLT』は、監督が主演に永瀬正敏を起用し、東北工科大学の学生たちと共に7年かけて完成させた「BOLT」「LIFE」「GOOD YEAR」の短編三部作。
「BOLT」は、大地震後の建物内で漏れている高い放射性の液体を止めるために、ボルトを締める作業に向かう男たちの物語。彼らの恐怖感と緊張感がリアルに伝わってくる。
「LIFE」は、避難区域内で孤独死した独居老人の遺品整理を仕事とする男を、「GOOD
YEAR」は、元の職場(原発であることが見て取れる)に戻ろうとするが叶わない男をそれぞれ描くが、どちらも「BOLT」の後日譚として位置づけられる。
3作品続けて観ると、徐々に主人公(永瀬正敏)の生き様に感情移入していく自分に気付く。これは同時代の物語なのだ。
▽予告編『BOLT』
三上博史が兄を演じる、サーカスで育った兄弟の物語『二十世紀少年読本』と、無声映画の趣きを感じさせる、佐野史郎の初主演作『夢見るように眠りたい』は、ともに1980年代の「伝説の映画」だ。これを映画館で観ることができること自体奇跡だが、今回、『夢見るように眠りたい』は16ミリで上映された。「御成座」でなければ体験できない企画である。「御成座」と、主催の「大山家上映会」に敬意を表したい。
▽予告編『夢見るように眠りたい』
なお、上映後のトークには、1年半前に再起不能と言われる大怪我をした林海象監督も登場。映画製作にまつわる、尽きることのない裏話の数々に堪能。これも奇跡の体験か……
7月某日 『台湾-デジタルデモクラシー』(2022 渡辺謙一監督 54分)
弘前「弘前駅前ヒロロ4階ホール」。
フランス在住、フランスや欧州のテレビ向けドキュメンタリーを製作している渡辺謙一監督が、自らのドキュメンタリー作品を持って来日して巡回自主上映する企画「渡辺謙一監督と、ともに考え、対話を開く」に参加した。弘前で上映された作品は、『台湾-デジタルデモクラシー』。監督自らパソコンを操作して映写するという、手作り感満載の上映であった。
『台湾-デジタルデモクラシー』は、ヒマワリ学生運動から新型コロナウィルス禍までを記録して(それ以前の、たとえば白色テロの時代もしっかり押さえているが)、台湾のデモクラシーの発展を描いている。彼が「デジタルデモクラシー」という言葉を使用していることからもわかるように、オードリー・タン行政院政務委員へのインタビューが軸となっているが、台湾の政府関係者・民間人・ヒマワリ運動参加者・フランスの学者らへのインタビューでコンパクトにまとめられた作品となっている。
上映後の監督トーク、参加者との対話も、なかなか有意義であった。
ところで、この作品の中でも重要な事件、というより結節点として言及されている「ヒマワリ学生運動」そして「立法院占拠事件」の際、私はたまたま観光客として台北に滞在していた。私たち観光客が乗るマイクロバスの横を通って立法院に向かうデモ隊の行動を、当たり前のこととして是認する観光ガイドや市民の姿に、市民の成熟を感じたものだ。
7月某日 『スープとイデオロギー』(2021 ヤン ヨンヒ監督 118分)
靑森「シネマディクト」。
とうとう、『スープとイデオロギー』にたどり着いた……昨年(2021年)、山形国際ドキュメンタリー映画祭 インターナショナル・コンペティション部門にノミネートされた本作を、私は山形の地で観るはずだった。しかし、コロナ禍の中、映画祭はオンライン上映のみで行われることとなり、しかも、『スープとイデオロギー』はオンラインでは上映されない作品だった。
今回ようやく観ることができた『スープとイデオロギー』だが、ヤン ヨンヒ監督の過去の長編3本(うちドキュメンタリー2本)の弘前での上映には私も関わっていた。上映後のトークでの、聡明でバイタリティーあふれる監督の姿はいまだ鮮明に記憶している。
NPO harappa:harappa映画館「故郷とは、家族とは—ヤン・ヨンヒ特集」 (harappa-h.org)
npo harappa blog: 【harappa Tsu-shin】
「故郷とは、家族とは」
その彼女の、3本の長編(『ディア・ピョンヤン』『愛しのソナ』『かぞくのくに』)で描かれ記録された両親について、どうしても納得しきれない部分があった。朝鮮総連の熱心な活動家だった両親は、「帰国事業」で3人の兄たちを北朝鮮に送るが、なぜ父と母は、「北」を信じ続けてきたのか?それは、ヤン
ヨンヒ監督が感じていた疑問でもあったように私には思われた…
本作は、これまでの監督作品の「家族の物語」とりわけ「母の物語」の続篇であるが、その謎解きの物語でもある。
▽予告編『スープとイデオロギー』
1948年、18歳の母は、韓国現代史最大のタブーである島民無差別虐殺事件「済州(チェジュ)4.3事件」の渦中にいた。長い間封印していた記憶を語った母は、アルツハイマー病を患い、その記憶も消えかけていく。ヨンヒは、新たな家族となった夫(荒井カオル氏)とともに、母を済州島に連れていく旅を計画する。本当の母を知る旅が、はじまる…
撮影から10年をかけた、魂を揺さぶるこのドキュメンタリーを、必ず弘前の地で上映する。
<後記>
とりあえず、『越境するサル』を再開する。まだまだペースはつかめないが、徐々に「書ける」ようになっている自分がいる。
しばらくは、映画に関する内容になる。映画館に関して、コロナ禍で生まれた空白を埋めたいという意識が強くなっているのだ。
次号は、ケストナー『ファービアン』を原作とするドイツ映画『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』(7/30~8/12「靑森シネマディクト」で上映予定)について。その次は、「harappa映画館」(9/10「函館発 佐藤泰志映画祭2」)について。
コロナによって、再び行動が制限される可能性はあるが。
(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。
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