2013年8月16日金曜日

【つむじ風】5号「さと子の箸置き」


 向田邦子はエッセイの中で、ひとり暮らしだが、晩ごはんだけは箸置を使っている、と書いていたので、私もそうするようにしている。ときどき箸を休めながら食事をすることが、人間の暮らしだと人に言われたのだという。





 向田ドラマでいちばん好きなのが、「あ・うん」である。男ふたりの友情とその間で揺れる妻、もいいのだが、私が好きなのは娘さと子のナレーションである。それから、私は「さと子」という名前が好きになった。


 好きなエッセイはたくさんあるのだが、涙が止まらなくなったのが「字のない葉書」である。終戦の年、向田邦子の末の妹が甲府に学童疎開をすることになって、まだ字の書けない妹が、父に「元気な日はマルを書いて、毎日ポストに入れなさい」と言われ、宛名だけ書かれた葉書の束をリュックサックに入れて、遠足にでもゆくようにはしゃいで出掛けて行った、という話である。


 脚本家、エッセイスト、小説家であった向田邦子は、料理上手で食いしん坊、器、書画、骨董にも熱中し、旅も好きだった。長谷川利行という画家の絵を、大変気に入っていたとか。長谷川利行は、ルンペン同然で、知人宅に押しかけて押し売り同然に自分の絵を売りつけ、帰ったあとには必ずシラミが落ちていたのだとか。彼の作品を一枚欲しいと思うようになったのは、自分が逆立ちしても出来ないものに憧れたからであろう。日向で昼寝しているカナヘビが、キングコブラに惚れてしまったのかも知れない、と向田邦子は書いている。

 私は二十代の頃、コピーライターのアシスタントをしていたことがあって、先生に毎日作文を提出するように言われていた。ある日、友人たちとの約束があって、中途半端に書いた作文を先生の机の上に置いて帰った。次の日、めちゃめちゃ怒られた。ごまかしはきかないのである。そして、「向田邦子を読みなさい」と言われた。

 それから数年後、職場の上司から向田邦子全集をいただいた。今、本棚から重い全集を取り出し、時々読んでいる。私もまた、逆立ちしても向田邦子にはなれない。だからこそ、憧れるのであろう。まもなく、航空機事故で空に飛んで逝ってしまった、向田邦子の命日がくる。

 向田さん、貴女が大好きです。

(harappaメンバーズ=KIRIKO)

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